生きよ 堕ちよ

高校留年~プータロー~文系大学~再受験し医師~内視鏡に魅せられ消化器内科へ

冷静になると紙袋はないわ‥

今テレビでやっている白い巨塔をちょこちょこ見ている。原作では訴訟になる疾患はカルジア・クレブス(胃の入り口の癌)だったが、診断ツールとして胃透視がメインであった時代ならともかく、内視鏡全盛の時代には決して診断が難しい疾患ではないため、膵癌と肝臓のリンパ腫というマニアックな病態に変更されていた。

岡田准一はめちゃくちゃ男前だが、白衣があまり似合わない気がするのは僕だけだろうか‥。沢尻エリカの愛人役ははまり役だ。

 

今週は前病院の後輩の結婚式があった。

結婚したら買えないだろうと思い、一生ものとして使うもの(靴、時計、コート、カバンなど)でちょっといいものを独身時代に買っていた。そのうちのカバンの留め金が壊れていてしばらくほったらかしにしていたが、結婚式があるのでブランドショップに修理に持っていったら20000円以上かかり、1か月以上かかると言われた。さすがに高すぎるため、近くの修繕屋で直してもらうことにした。

いずれにせよ、結婚式にもっていくカバンが無いため、どうしようかと思ったら妻にちょっと上質な紙袋を持たされ、これでいいじゃんと言われた。

まあいいかと思い、結婚式に参列したが、もちろんそんな紙袋を持った者は一人もいなかった。袱紗がでかくてポケットに入らなかったが、それでも袱紗だけを持っていった方がよかった(笑。後輩たちは紙袋でもかっこいいと言ってくれたが、多分内心死ぬほど馬鹿にしていただろう(笑。急に恥ずかしくなってきたため、引き出物の袋に早々に突っ込んだ。

後で妻に、紙袋のやつなんかおらんかったわというと、からからと高笑いしていた。妻は僕に惨事が降りかかった時、本当に楽しそうに笑う。

結婚式はいい式であった。僕も同じホテルで結婚式を挙げたが(僕は披露宴はしなかったが)、景色がいいホテルで、かなり暑い日だったが気持ちよかった。約2か月ぶりに前病院の同僚にあったが、まだそんなに経っていないのに懐かしかった。

 

今日の体重は76.7㎏。今日は娘二人と昼食を食べに行き、その後ゲームセンターと公園に行った。5月とは思えないほど暑い日で汗をたくさんかいたが、体重は減らない(笑。

転職ならぬ転病院における迷いと決断

迷いと決断というお題で思いつくのは去年から今年にかけての転職、というか転病院だ。

大学卒業後、研修医2年と後期研修医3年を公立の2次救急病院で過ごした。その後、公立の3次救急病院にうつって12年目を迎えていた昨年の秋に、上述した2次救急病院から内視鏡治療を統括する医師として来てほしいというオファーが勤務している病院の部長経由であった。

オファーを受けるべきか、否か

ここで僕が考えた選択肢は2つ。

○オファーを受けて、2次救急病院に行く。

○オファーを蹴っ飛ばして自分で病院を探す。

オファーを蹴っ飛ばして、3次救急病院に残るという選択肢もあるが(後で知ったが、そうしている医師もいた)、3次救急病院は激務で、また長くいすぎたこともあって後2~3年で辞めようと思っていたので、その選択肢はなかった。

2次救急病院は、3次救急病院ほど消化器に専念できないが、内視鏡治療の統括というのは魅力的な話であった。また医師になって最初の5年という重要な時期を過ごした病院でもあり(研修医の同期とは2年を過ごしただけだが、15年以上過ぎた今でも定期的に会っている)、全く問題がない病院だとは言わないが、愛着はあった。

しかし一番のネックは一緒に働きたくないスタッフ(以前同じ病院で勤務していた)がその病院にいることだった。表だって揉めたわけではない(僕が我慢していた)が、自分がやりたいようにやるから他の人は文句を言わずにそれに従いなさいというスタンスが受け入れ難かった。

急性期か、生活の質か 、それとも‥

自分で病院を探すというのは未知であり、またここでも次のような迷いがあった。

○もう少し急性期の病院で頑張るのか。

○40代も後半に入ってきており、仕事のペースを落とした病院を探すのか。

業者を通していくつか病院を見に行ったが、そのうちの急性期病院はオファーを受けた病院を凌駕する魅力はなかった。少しペースを落とした病院にも見学に行ったが、生活の質はぐっと改善しそうであり、魅力的で正直ぐらついた。

オファーを受けた病院からは消化器部長だけでなく、院長からも電話、手紙を頂き、また直接面談にも来られた。熱い先生でここでも正直ぐらついた(ほんとぐらぐら)。

 

両親や妻にも相談したが、結局決断するのは自分であり、悩んでいたところ、知人を経由して大学病院での勤務の話を頂いた。母校でもなく、これまで働いていた病院の関連大学でもなく、縁もゆかりもない大学であったが、これまでの医師人生を市中病院で過ごした僕にとって、大学病院は未知の世界であった。

2次救急病院か、ペースを落として働ける「生活の質」を保てる病院か、それとも大学病院か。悩んだが、クリアーカットに答えはなかなか出てこなかった。

決断‥? 消去法‥?

上記オファーを受けてから、決断まで時間がなく、ゆっくり考える時間もなかったが(非常勤で食いつないで、もう少しゆっくり考えることも考慮したが、家族のことを考えるとそれも選び難かった)、最終的には大学病院を選んだ。

大学病院という未知の世界に興味があったのと、何年かいれば学位を貰えるというのと、あと数年はまだパフォーマンスを落とさずに治療内視鏡ができるだろうと判断したのが決断した理由だが、正直なところ、減点法で決めたという側面は否定できない。

もっとたとえがうまくなりたい 

この選択肢がよかったのかどうか何とも言えない。しかし、4月に赴任後1か月以上経っても臨床一本やりで来た僕は、臨床だけでなく研究や教育の場でもある大学病院に戸惑いを感じている。何も考えずに臨床に没頭できるというのはある意味幸せな環境であった。

これまでサッカーをすることだけに専念していればよかったのが、チームをうつってサッカーだけでなく、クラブの運営や球場の清掃にまで労力を割く必要が出てきた。

‥たとえとして伝わるだろうか(笑。

 

 

久々のESDで緊張した

まだ若いつもりでも老いは着々と身をむしばんでいる。先日、娘たちと散歩に行った際、通りがかった公園に鉄棒があった。小3の娘はクルクル回り続けることができるし、年長の娘も逆上がりができるようになっていた。負けじとおっさんも逆上がりをしてみたところ、体と鉄棒の間に陰茎が挟まり、絶叫しそうになった。なんとか完遂したけれども代償は大きく、陰部ほどではないが他の部位もギシギシいっていた。

長女はブレイブボードをすいすい乗りこなしているし、次女もあっという間に自転車に乗れるようになっていた。失って気づく若さのかけがえのなさ。娘たちが眩しい。

 

大学病院に英文誌がないと前回書いたが、一部はオンラインで読むことができた。

‥そりゃそうだよな、日本の学会誌もオンライン化が進んできているし。個人的には紙媒体の方が好きなんだけど。あんまり読まない学会の雑誌はオンライン化してほしいけど。

 

今週、大学病院にうつって初めてESDを自分で行った。身内に職員がいて、若干難しい病変のため、准教授直々に切除を依頼された。

‥プレッシャーが。施設をうつって初めての症例はできればくそ簡単な前庭部病変あたりをサクッと切ってどや顔したかった(それでどや顔するのもどうかと思うけど)。

初めての症例で偶発症をおこすとその印象を払拭するのが大変なので、かなり慎重に切った。体部大彎の病変でやや難易度が高かったが、糸付きクリップがかなり有効で標本は40㎜を超えたが、30分ちょいで偶発症なく切ることができた。ほっとした。

 

今週、前病院で診ていた人(♂)がこちらを受診したいといって、外来に来ていると連絡があった。結構なVIPで超お金持ちで、この日はおつきの人が来ているとのことであった。外来に来てくれたらいつでも診ますよと返事をしておいた。

よっぽど有名(と実力は必ずしも相関しないけど)な医師ならともかく、普通は医師個人よりも病院を目当てに通っていると思っているので、病院を変わる際にはもちろん誰も誘わなかったし(というか聞かれない限り自分からはほとんど辞めることを言わなかった)、来ると言ってくれた人達もやんわりと断っておいた。

来るとしたら僕のファンのおばあちゃんたちかな?と思っていたので意外だった。

 

今日の体重は76.1㎏。今日はバイトであり、昼は王将で唐揚げとニラレバを食べた。炭水化物は抑えたが、カロリーは1000kcalオーバー(笑。内視鏡中に、私と同世代で当直してその後内視鏡は大変ですねとナースに言われた。

確かに救急当直は結構きついが、これでOO円もらえるのだから、頑張らねばと言い聞かせながらしのいでいる。前の病院の時の当直代は屁みたいなものだったので、このあたりの消化器救急は俺が守っていると自己陶酔して当直のきつさを紛らわせていた。そうでもしないとやってられない面もある。やっぱり夜は寝るものだ。

枯れた心がわずかに再生/大学病院‥

僕は無機質で枯れた人間だった。本は昔から好きだが、感動をすることはほとんどなかった。映画、風景、音楽などに心を動かされることもほぼなく、涙を流したことはない。

しかし、おっさんになって漸く人並みに近づいてきたのか、本や映画で涙が出そうになることがちょいちょいある。まだ涙をこぼすところまではいっていないが、おじいになるとそうなるかも。

先日、子供たちと話していて22世紀を迎えることができるかどうかという話題になった。僕は120歳超なので無理だけど、娘たちは可能性あるねと言った。すくなくともあなたたちが成人するまでは頑張って生きるけど、それ以降は天国から見守っとくわというと、長女が「次生まれてきても、またお父さんとお母さんと家族になりたい。」と言った。

不覚にも涙がこぼれそうになった。喋ると声が震えそうになるので、ちょっと沈黙し、今度は僕がはるちゃんの子供として生まれてくるよとなんとか絞り出した。

親として不完全で、いびつな人間なのは自覚しているけど、子供たちはなんとかまっすぐ育ってくれているようでほっとしている。‥みんなもうちょっと勉強頑張ってほしいけど。

 

今日の午前中は仕事だったが、夕方そんな娘二人を連れて近所の祭りに行った(娘は昼間妻と行っており2回目)。

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どこ見てんの?

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このわたあめ700円( ゚Д゚)

娘たちに甘いお父ちゃんに上手にたかり、気が付いたら3000円以上使わされていた。息子も友達と走り回っており、お父さんお金ちょうだいと近寄ってきた。蹴散らしたが、何回もちょろちょろ来てお金をせびるので、かわいそうになり(なんやかんやで小遣いもやってないし)1000円やったら、ありがとうも言わずに去っていった。

からあげ(冷えてたけど)、たこ焼き、イカ焼き、かき氷、ポテトなどたくさん食べてお腹いっぱいになった。

 

話はころっと変わるが、論文にはインパクトファクターという評価項目がある。論文の引用数を掲載数で割った数値(正確にはもっとややこしいけど)で、絶対的な指標ではないが、これが高い論文がよい論文とされている(批判もある)。我々の領域ではGastroenterologyという雑誌を筆頭にGUT、American journal of gastroenterology、Gastrointestinal Endoscopy、Endoscopyなどが高い数値となっている。

ちなみに前病院はこれらがすべて図書館にあったので、読みたいなと思う時には図書館に行くだけで済んだし、日本の雑誌でも胃と腸、胆と膵、消化器内視鏡といった雑誌は科で購読していた。その割には抄読会もやってないけど(何回かやってはぽしゃった)。

大学病院の図書館には驚いたことに、これらの雑誌が一つもなかった(和文誌も)。スポーツ誌経済誌などは充実しているけど。その割には抄読会は行われているが、皆どこからネタを調達しているのだろうか。open accessの雑誌から?

母校の図書館は卒業生でも利用することができ、昔登録していたが更新していなかった。いつかこれらの雑誌を読みたいなと思うこともあるだろうと思い、バイト後に大学病院に戻る前に再度利用するために母校へ行った(平日の17時までに行く必要があった)。

5年以上ぶりだがあまり変わっておらず、基礎医学の建物は相変わらずぼろいままだった。今の大学病院は基礎から綺麗になっているが、母校は臨床から綺麗になっている。

手続きはサクッと終り、さて論文でも見てみるかと思い見てみると‥。

‥英文誌は1冊もなかった。かろうじて胃と腸はあったが。思わず3週くらい回ったが、やはりない。地下の収納庫に降りるとほとんどの雑誌は購読が中止されていた。

‥市中病院の前病院が一番論文が充実しているというのはどうなのだろうか。

 

今日も体重を測り忘れた。体重に対する興味が薄れてきている。これはリバウンドの危険信号だ。

どうして物を買う時ってわくわくするのだろう

今日は幼稚園のバザーがあり、役付きの妻はずっと駆り出されていた。終了後、打ち上げに出かけ、まだ帰ってきていない。子供の食事の準備をし、風呂に入れ、歯を磨き、寝かせた。たまには羽を伸ばしてもらわないととは思うが、普段21時過ぎに寝てるのに大丈夫なんだろうか。

 

大学無償化法が成立した。年収基準はもう少し緩めて、成績の基準をもう少し厳しくしてもよいと思うが、悪い法律ではない。ネット記事にはこうあった。

高校卒業から2年を過ぎた学生は対象外となり、停学や留年になれば支援は打ち切る。」

‥現役か一浪までしか許されないか。紆余曲折あり、再度学びたいと望む低収入者は救ってもらえないか。働きながら浪人して、何年かかけて合格した者も対象に含めてほしいところだ。受験生の多様化がもう少し許容される社会となってもいいのに。

 

右肩が治ったと思ったら、左肩も五十肩になった。右ほどひどくないが、右はほったらかしにしていて機能障害がでてしまい、リハビリに時間がかかったため、診てもらいに行った。

エコーで診てもらったところ、腱は大丈夫だが、やはり炎症があるとのことであり、肩関節にステロイドを打ってもらった。幸い可動域制限はほとんどないので、今回はリハビリを受けずに済んだ。痛みは0とはならないが、マシにはなった。

 

今月結婚式がある。久しぶりの結婚式だ。久しぶりなんで、結婚式のマナーや服装について調べなおした。

スーツOK、ネクタイOK、YシャツOK、靴‥‥‥。

‥靴がない。黒いストレートチップかプレーントゥと書いてあるが、そもそも黒い靴はブーツくらいしか持ってない。10年以上前に買った一張羅のエドグリはあるが、茶色だし、メダリオンが入っている。常識のない僕は昔の結婚式でこれを履いていった気がする。引っ張り出してみたが、どう見ても黒には見えない。

さすがに40も半ばを過ぎてこれはまずいだろうということで子供たちを昼ご飯につれていくついでに靴を見に行くことにした。

 

腹減った腹減ったと子供らがうるさいので(昔飼っていた文鳥の雛を思い出した)、とりあえず腹ごしらえをすることにした。あれが食べたい、これが食べたいとうるさい中、カツオが美味しい店に入った。子供らも大きくなって食べるようになり、4人で5000円を余裕で越え、気が遠くなりそうだった。

妻の母の日プレゼントを皆で選び、いざ百貨店へ。皆で靴を選んでねと言っておいたが、長女しか参加せず、長男と次女は椅子に座りこんでしまった。ったく、食うだけ食っといて。本も買ったのに。

長女はエドグリやジョンロブといった靴を持ってきたが、まあびっくりするようなお値段(僕が買った時の倍近くした)なので、値段を見せて優しく戻すように言っておいた。が、何足も買うものではないので、そこそこのものが欲しいと思い、結局チャーチの靴にした。サントーニの靴もかっこよかったが、サイズがなかった。

買った時はわくわくしたが、後でカードの請求を見て青くなるのはいつものこと(笑。

ちょっと変わったことをしてみようと思い、ポケットチーフをアマゾンで買った。スリーピースもかっこいいなと思ったが、一から全部揃えないといけないので断念した。

 

妻から帰宅すると連絡あり。一応迎えに行こう。

今日の体重は75.9kg。GWあけには77.7㎏までいき、やばいなと思ったが、ちょっと減ってきた。

肉、肉、肉

せっかく大学病院にいるのだし、消化器病学会と内視鏡学会の指導医を取るかと思い調べたところ、内視鏡学会はセミナーを2つ(今年までなら1つで済んだのに‥)受ける必要があるが、消化器病学会は既に取得条件を満たしていることが判明した。内視鏡学会と同じくなんかセミナーを受ける必要があるのかと思っていたが、そんなことはなかった。内視鏡学会の2つのセミナーはとりあえず申し込んでおいた。

 

5月2日は勤務日でカンファレンスは終わっていなかったが、同期達との食事のため、6時過ぎに抜け出して待ち合わせ場所へ。

場所はこの回を毎年行っているスペアリブが美味しい店。

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いつもは同期と後輩のみであったが、今回は一人先輩も参加された。楽しい会であった。唯一の独身だった同期が5月1日に令和婚をしたとのニュースもあり(新婚早々に駆り出して申し訳なかったが)、盛り上がった。

是非式に呼んでくださいといったら、式をするのがめんどくさいなあと言っていた(笑。その気持ちはわかるが、きっかけがないと皆集まりづらくなっている(一部の同期とは学会や東京に行った時に顔を合わすが)ので、皆が集まるいい機会でもあり、そういわずに是非やってくださいとプッシュしておいた。

とはいうものの、僕自身も結婚式はなかなか億劫で、式と身内だけの食事しかしなかったが、準備は妻に全部任せて僕は服を選ぶ時に式場に一度行ったのみだった。その時にこんなに来ない旦那さんは初めてですと褒められた(笑。

 

5月3日の昼は家族で近くの川へ行きBBQをした。

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肉、魚、野菜などいろいろ焼いた。肉もうまかったが、ししゃもやゲソがうまかった。


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上述したスペアリブの店でマシュマロを焼いて食べることを教わり、BBQでもマシュマロを焼いて食べるようにしている。トロっとなって非常に美味。妻は昼間からぐびぐび飲んでいた。下戸の僕はお茶のみ(笑。

夜、息子は学校近くのお祭りに行き、娘たちはそのお祭りに出るだんじりに参加したため遅くなった。楽しかったとのことであったが、疲れたのかすぐに寝てしまった。

 

5月4日。息子とラーメンを食べて、ゲームセンターに行ったくらいでのんびりした。夕方から妻と子供たちは夜のピクニック?に出かけたので、近所のスーパーで夕食を調達した。

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ステーキを買ってきて焼いた。外国産の安い肉だが美味しかった。楽しかったグアムを思い出した。10時前に皆を車で迎えに行ったが、妻がまたぐびぐび飲んだらしく、娘に酒臭いと言われていた。

 

5月5日は実家へ。実家に向かう途中のココスで昼食。

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僕はこの王様のローストチキンを食べた。初めて食べたが、結構ボリュームがあり、美味しかった。減量を徹底する人は皮は食べないらしいが、美味しいのは皮なので残さずいただいた。

実家でのんびりしていたら、おかんが僕の幼稚園の卒アルを持ってきた。かれこれ40年前になるので、写真の一部は白黒であり、また印刷ではなく、写真がそのまま貼ってあった。小さな折り紙も張っており、これは作るのが大変だったろうなあと感心した。

 

夜は近くの焼き鳥屋に食事へ。

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とても美味だった。妻はまたぐびぐび飲んでいた。僕はジンジャーエール。隣のテーブルの僕と同世代くらいと思われる男性集団が非常に盛り上がっており、息子がうるさいと言って壁を叩きそうになった。やめなさいというと、お父さんなら勝てるでしょと言い出した。

‥小学生の時は喧嘩の強さがヒエラルキー決定因子かもしれないが、中年のおっさんにはそれは当てはまらんよ。喧嘩なんかしたら馘になるし、相手8人くらいおんのにぼこぼこにされるわ(笑、と言っておいた。

 

GW後半は肉をよく食べた。僕の後にトイレに入った娘が二人とも「くさっ。」と言った(笑。蛇蝎のように嫌われるのは時間の問題かもしれない。

今日は体重を測り損ねた。

ERで迎えた令和元年

GWだが4月30日は勤務で、勤務後そのまま非常勤の当直へ。寝当直ではなく、救急車も一晩で数台は来るため、まあまあ忙しい。令和元年は非常勤のERで迎えた。0時ぴったりに飛び上がって令和になった瞬間地球にいませんでしたなんて、使い古されたくそしょうもないことをやるかと家族に言っていたが、僕は診察中でその瞬間を認識せず、家族は皆爆睡中であったらしい。

中規模の2次救急病院の救急は本物と偽物が入り乱れており、見抜く目が必要になる。前病院は3次救急であり、かつ救急部を通ってくるので本物の救急が多かった(たまになんじゃそらというのも混じっていたが)。

久しぶりに玉石混交の2次救急をやって、本物の救急ばかりを診られるというのはしんどいのはしんどいが、腕のふるい甲斐があり充実していたなとつくづく思う。一晩で4~5件緊急内視鏡をすると疲れるが、このあたりの消化器救急は俺が支えていると自己陶酔することができた。きっしょいナルシシズムであるのは重々承知しているが、それくらいは許されてもよいだろう。

非常勤先では朝食が出るが、もちろん検食(病院食)だ。ただなんで文句はいえないが、毎回全く同じメニューだ。この曜日の朝はこの食事と決まっているようだが、ちょっとは変えてもいいのになと思ってしまう。

当直明けの内視鏡はないため、9時過ぎに病院を出て高速に乗ると結構渋滞していた。GWなんで皆どこかへ遊びに行くのだろう。当直であまり眠れなかったのもあり、ニヒリスティックになってしまった。

 

前病院の後輩から、論文がアクセプトされたというメールが来た。彼のお父さんはある手技の達人で我々の業界では超有名人であるが、息子である彼も非常に優秀で同じ処置がうまかった。が、父親と同じ道を歩まず、違う道へ進むため、その道で有名な病院に修行にでている。

一応僕がセカンドオーサーだが、ほとんど直すところがなかったように記憶している。前病院で書かないとなあと思っていたネタがいくつかあったが、結局書かずに出てしまった。大学病院にいる以上、論文を書かないといけないため、ぼちぼちネタを探さないといけない。

 

平成が終わった。平成になった時は高校生だった。皆そうだろうけど、30年の間にいろんなことがあった。平成の初期はどん底だったが、徐々に持ち直した。何とか大学を卒業して仕事をしているし、家族もできた。令和元年は病院を変わったが、覚えやすくてよい(笑。これからは子供たちの時代だ。もうちょっと頑張るけど、徐々にペースダウンしていってもよいかなと思う。

 

今日の体重は75.6㎏。明日も勤務日だが、勤務後に研修医の時の先輩、同期、後輩たちと年に1回の食事会を行う。いつものスペアリブがうまい店なので、食べ過ぎてしまいそうだ。