生きよ 堕ちよ

高校留年~プータロー~文系大学~再受験し医師~内視鏡に魅せられ消化器内科へ

奈良の大仏はやはりでかい

ネルソンズ面白いのになんでブレイクしないんだろう‥。

 

日大アメフト部の監督の会見で、当の監督が「かんさいがくいんだいがく」と連呼していた。関学関係者にとっては、何回もされている間違いだろうが、「かんさいがくいん」ではなく、「かんせいがくいん」だ(正確に言えば「くわんせい」らしいが、そこまでいくとどうでもいい気がする)。

アメフト経験者なら関学の名前は絶対知っているはずだし、そもそも謝罪に赴く大学の名前は絶対間違えたらあかんやろ。最も僕も「にほんだいがく」なのか「にっぽんだいがく」なのかよく知らないけど。

あの謝罪もなんか、しぶしぶやっている感がでていたし、結局自分が指示したとは言わなかった。責任は自分にあるといいながら、結局何も認めていなかったし、不愉快な会見だった。

 

今日は家族で奈良の大仏を見に行った。数年前に近くで行われた教育講演会に行ったが、その時は東大寺には入らなかったので、子供の時以来だった。

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せんとくんとジェームス・でーん。

 

まずは奈良公園へ。

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しかせんべいを買ってすぐに襲われている妻。

 

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ヘタレな末娘も動物は好きで積極的に触っていた。長女は動物が嫌いで逃げまどっていた。

 

昼食をとって大仏殿へ。

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すごい人だった。外人が多く、日曜日なのに修学旅行と思われる学生もたくさんいた。子供のころに来たところで、大人になってから来てみると思ったより狭かったとか小さかったと思うことがあるが、ここは大人になってからでも広くてでかかった。

 

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大仏。やっぱでかい。

 

f:id:mfuku4585:20180520221043j:plain大仏の裏。

 

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柱の穴。外人観光客も結構通っていた。妻も通りたそうにしていたが、挟まると恥ずかしいので結局通らなかった。僕は子供のころ通ったし、僕より小柄なおっさんが通ろうとして「あかん、無理や」と戻ってきたので、トライすらしなかった。

 

大仏殿の外に病を患っている部位を触るとよくなるという像(調べてみたら賓頭盧尊者像【びんずるそんじゃぞう】というらしい。びんずるで変換できるのに驚いた)があったので、手を精一杯伸ばして右肩を触っておいた。

触る過程で若干肩が痛かったが、僕はびんずるそんじゃ先生を信じている。ジムに行っても、家でやるのとあんまり変わらない筋トレしかできず、家でも懸垂ができず、ストレスがたまるので、びんずる先生本当によろしくお願いします。

春日大社も行こうかと思ったが、しんどくなってきていたし、たぶん子供たちは興味がないだろう(数年前に伊勢神宮に行った時も食べ物にしか興味がなかった。確かに赤福のかき氷は絶品だった)と思い、帰宅の途に就いた。

 

今日の体重は76.8kg。昨日、娘二人と近所のお祭りに行きもろもろ屋台で食べて、今日も奈良の屋台でもろもろ食べたので増えたかと思ったが、よく歩いたため、横ばいで済んだ。

敗血症よりまずは血液疾患だろう / お気にのTシャツが‥

昨日は当直。昨日のうちに1件消化管出血を止血した。その後、腸閉塞のコンサルトあり。WBCがかなり減少しており、腸閉塞から敗血症となりWBCが下がったという推理がなされていた。

CTで膿瘍を作っているわけでもなく、その他イレウス以外に異常なし。ややタキっているが(イレウスで腹痛かったらそりゃタキるわ)、平熱であるし、乳酸は正常でアシドーシスもなく、アニオンギャップも正常。CRPは1代。よくみるとRBCも血小板も下がっており、pancytopenia(汎血球減少)となっている。

ERのDr.は腸閉塞と敗血症を一元的に考えているが、血球減少を来すほどの敗血症にしてはその他のデータがしょぼすぎる。敗血症の有無はともかく、イレウスとpancytopeniaは分けて考える必要があり、pancytopeniaの原因としては敗血症より先に血液疾患を考えねばならないと判断し、ER Dr.にそう返事をしてカルテにも記載した。

 

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ERの採血では、芽球は見られなかったが、本日の採血で芽球がでており、leukemiaと診断されていた。

 

2時すぎに眠りにつくことができ、6時に尿意で目が覚めた。それ以降眠れそうになかったので、シャワーを浴びた。

朝ご飯を食べた後、何気なくER待機患者をみていたら、EMRを数日前にされた患者が血便で来ていた。EMR後出血か、CSせなあかんなと思っていたら、コンサルトの電話がかかってきた。

GEだけかけて緊急CSをすることにした。同意書をとって待機していると、3次救急に吐血、ショックが搬送されてくると情報あり。ナースよりCSをどうするか?と聞かれたが、ショックをある程度落ち着かせないと内視鏡できないし、もろもろ準備している間にCSは終わるだろうと判断し、まずCSをしてしまうこととした。

EMRした部位は上行結腸、横行結腸と深部であり、TCSが必要であったが、腸管が長く以前部長は18分かかっていた。前処置しないとCSの難易度は跳ね上がるが、それでも10分かからずにTCSできた。

 

ある曜日のCS当番を増やす際に部長しか空いている人がおらず、皆で協議し部長にやってもらえますか?(とにかく件数増やせとはっぱかけているのも部長だし)と言ったら、その日アンギオ当番の僕をCS当番に当てると言ったらしいが、こんな青二才に負けているようではいけないでしょう。もう少し件数をこなした方がいいんじゃないのかね?

アンギオはもうしなくてもいいと言っていたらしいが、確かに件数は減っており、僕の貴重な憩いの時間が無くなってしまった。

 

上行結腸といってもほとんど盲腸よりだったが、EMR後のクリッピングした部位の基部からoozingあり、クリップをかけた。途中でショック、吐血患者のコンサルトの電話がかかってきており、止血後すぐに3次救急へ出張用の内視鏡を持って出かけた。

食道静脈瘤破裂の既往がある人で、病識がなく昨日も酒を飲んでいたとのこと。口頭で内視鏡をすることを伝え、すぐに内視鏡室に取って返し、残りの機材を運んだ。

3次救急で内視鏡をしたところ、食道に凝血塊がくっついており、外すとred plugあり。EVLで止血した。その後9時になったので、カプセル内視鏡を装着し、上記患者の入院の段取りと指示出しをした。

 

普段はあまりガウンを着ないが、緊急CSと静脈瘤などの大量出血(以前噴水のように吐かれた血が直撃したことがある)はガウンを着るようにしている。今回もガウンを着たが、下部の時にガウンが便と血液で結構汚れた。

入院の指示を出していたら自分からほんのり便臭がする。ガウンを通り越してスクラブにも付いたかと思い、スクラブを着替えて再度指示を出していたら、まだ臭い。

‥まさか、スクラブを通り抜けてTシャツへも臭いがうつった? そう思ってTシャツを脱いで臭いを嗅いだら‥。お気に入りのデウスのTシャツが‥。裸でスクラブを着て仕事に戻った。

指示を出し終えて、10時前に内視鏡当番に参加し、14時前までぶっ通しで内視鏡を行い、そのまま病棟へ行き、患者の退院を切り、紹介状も作成した。

そこで限界を迎え、当直明けの午後は帰るようにと励行されていることもあり、病院を出て近所でラーメンを食べて帰った。

 

当院の年間緊急内視鏡が大体800~900と思っていたが、昨年は1000を少し超えていた。1日平均で3回弱だ。日勤帯の緊急内視鏡も含まれるため、当直帯で3回というのは少し多い気がする。

 

今日の体重は76.6㎏。当直中はもろもろ食べたし、今日もケーキを食べたが、ハードな当直だったせいか、体重は増えなかった。

目指せ、微笑みの国

自分が買ってきたお土産が早くなくなると、なんかちょっと勝った気がしてうれしくなってしまう。しょーもないことですが(笑。家にも同じものを買って帰ったが、確かにまあまあ美味しくてすぐに無くなった。

羽田空港で買ったが並ばずに買えた。長蛇の列ができているお土産もいくつかあったが、そんなに美味しいのだろうか? 食べ物で並ぶということに結構抵抗があって、基本的には並ばない。何回か並んで食べたことはあるが、正直並んでまでかな?ということがほとんどだった。

 

火曜日に直腸の巨大ポリープをESDしたが、5時間かかった。90×80×50㎜(本当はもっとでかい。標本を入れる箱に入らなくなるためあまり広げなかった)あるIsp polypででかすぎて中々お尻から出なかった。

ビニール袋をお尻にねじ込んで、袋内に入れようとしたが、直腸内で広がらずに断念。クスコを持ってきたが、肛門で広げようとすると痛がるため断念。結局、留置スネアで一部をひっかけて肛門から顔を出させて、おならをしてもらい排出した(それでも一部千切れてしまった)。

これだけ大きくて丈が高いと、栄養血管もぶっとくて出血との戦いであった。切っては止め、切っては止めの繰り返しだった。途中でどこを切っているかよくわからなくなり、心はボキボキ折れていたが、諦めるわけにはいかないと自分を鼓舞した。幸い偶発症なく切除でき、貧血は進行したが経過は問題なし。

 

以下、出血シーンがありますので苦手な方はご注意ください。

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ぶっとい貫通血管

 

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見ていただけで動脈性に出血

 

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切除後潰瘍に動脈の断端が‥。拍動していて見ているだけで恐ろしかった。

ちなみに赤いのは静脈で、白いのが動脈です。

 

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先日初海外の思い出について書いたが、それを書いたきっかけは写真を見て懐かしくなったのと、もう一つは以下の学会の案内を見たことがきっかけだ。  

 

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記事内でも書いたが、gastroという学会の前身の世界消化器病学会(調べてみたところ、世界消化器病学会は無くなっておらず、2年に1回行われている。gastroは世界消化器病学会の間の年に行われているよう)に行ったのが、僕の初海外だった。今年の夏は昨年APDWで生き損ねた香港に行くことになっているが、今年のgastroがタイであり、一度タイに行ってみたいなと思っていたので、妻にお伺いを立ててみたところ、演題が通ればという条件付きながら許しが出た。

前回はしょぼいネタで通ったし、その気になればDDWやUEGWも通せそうなネタもあるため、多分楽勝だろう。オーラルで出して英語を嫌でも勉強しないとという状態に身を置くことも可能だが、やっぱりポスターにしておこう(笑。

 

今日の体重は77㎏。帰宅がちょっと遅かったので、水曜日のダウンタウンを見ながら脚のトレーニングをした。

 

 

 

内視鏡総会で海鮮丼を食べ損ねた

学会で東京へ。新幹線の方が好きだが、安くあげようと思い、かなり早く申し込んで飛行機で。新幹線の半分の値段で来れたが、安いせいか席の選択肢がまったくなかった。

羽田空港で昼食を食べようとうろうろしていたが、ちょうど食事時で結構混んでいた。牛タンの店が比較的空いており、若干高かったが飛行機を安くあげたので、ちょっと贅沢するかと思い入った。美味だった。

学会は勉強になったが、ずっと座っていたので疲れた(笑。本売り場に行き、以前執筆した本(2Pだけど)が発売になっているかと思っていたが、売っていなかった(3つほど回ったがどこにもなかった)。大体学会に合わせて発売することが多いが、間に合わなかった様子。名誉のために書いておくが、僕はちゃんと締め切りに間に合うようにだした。

 

夜に研修医の時の同期と西麻布のラーメン屋へ行った。居酒屋メニューもあり、大変美味しかった。翌日に発表が控えていたので、柚子酒一杯にしておいた。最近節制気味だったが、結構食べて締めのラーメンも完食した。チートデイということにしておこう。

ホテルは会場近くの京急EXにした。せっかく主題に通ったし、ホテルくらいは贅沢しようとしたが、高輪プリンスは勿論、品プリもかなり高かった(あのイースOタOーですら)。

景色はよかったが、おっさん一人なのであまり意味なし(笑。

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朝ご飯のバイキングはよかった。いいバイキングの時はテンションが上がってしまう。昨日食べ過ぎたせいで胃はもたれていたが、スクランブルエッグがふわふわで、結構食べた。朝カレーを食べている人が結構いたが、さすがにそれは真似できなかった。

 

朝早くから発表でいつものごとく緊張していたが、係が僕の発表の時に次の発表を間違えて出したため、修正に手間取り、そのおかげで緊張がほぐれ、発表は特に問題なく終わった。主題だが総合討論がなく、その分質疑応答が4分と長めだったが、今回は我ながらスムーズに質問に答えることができ、気が付けば5分以上答えていた。

今回のネタは救急に絡めたが、僕が勤務している病院は救急を受け入れる率(応需率)が国内トップクラスであり、とにかく救急は断るなとお達しが出ている。空床がなくても受けるため、朝までERで数人待機していることは珍しくない。その強みをつかわさせてもらった。

 

研修医の時の同期がもうすぐ無くなる築地市場を案内してくれるとのことであったので、11時ごろに会場を後にし、築地市場へ。

初築地だったが、完全に観光地となっておりすごい人だった。外人が非常に多かった。

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場内のすし屋は12時前だが、長蛇の列となっており(洋食屋も混んでいたし、日本初の吉野家もまあまあ混んでいた)、場外にでて海鮮丼を食べることにした。

同期はオンコールで、大丈夫今日は呼ばれませんよと言っていたが、注文してすぐに病院からコールあり。徐脈の患者に一時ペースメーカーを入れたいのでヘルプをとのことであった。

残念だがやむを得ないので注文をキャンセルし、店を出た。病院に向かう同僚と別れて東京をぶらぶらした。デウスエクスマキナに行きたかったが、スーツであり、暑いし、また荷物も結構重かったため断念した。羽田でラーメン(食べ終わってからまたラーメンだと気づいた)を食べて、帰りの飛行機へ。ちょっと早めに手続きしたら、非常口だが窓際が取れた。帰りに病院によってもろもろ仕事を終わらせてきた。

 

2年前の内視鏡学会総会も東京で、その時は減量を始めたばかりで東京を歩き回っていた記憶がある。たまたま入った店がダウンタウンなうの収録現場であったり、帰りに電車の中で変な外人に体を触られたりとなかなか濃い日だった。 

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今日の体重は76.6kg。よく食べて、胃がもたれている状態だが、連日10000歩以上歩いていたせいか、体重は増えなかった。肩のサポーターをもっていかなかったせいか、肩の痛みが強い。効いているのかどうかわからないサポーターと思っていたが、結構効いていた様子。 

消化器内科を選んだ理由

仕事が忙しいせいか、今週はメニエール病の症状が強く出た。月曜日は寝る前にdizziness(浮遊感)がひどく、吐き気もあった。メニエールのめまいはvertigo(回転性めまい)と習った気がするが、違う病気なのだろうか。耳閉感はずっとあるが、今日家に帰ってきて、期限切れのイソバイド(医師としてどうかと思うが)を飲んでゆっくりしたら改善傾向となった。

‥仕事いやいや病なのだろうか。

 

唐突だが、消化器内科医を目指した転機について書いてみる

医師を目指すことになった転機は複雑で、クリアーカットには書けそうにない。それに比して消化器内科を志望した動機はより単純であるので、それを書いてみようと思う。

安吾の言葉に貫かれた

医学部入学前~入学後しばらくは精神科医になりたかった。

精神病者は自らの動物と闘い破れた敗残者であるかもしれないが、一般人は、自らの動物と闘い争うことを忘れ、恬として内省なく、動物の上に安住している人々である。」

坂口安吾が「精神病覚え書」で書いた上記内容に全身を貫かれ、強く共感し、精神科医を志した。しかし、諸事情で精神科への道は断念した。

高校をダブっていたころや浪人していたころはそれなりに闘い懊悩したが、おっさんになって自分の中の動物と闘うことはあまりなくなり、慣れ合うようになった。安吾からみれば唾棄すべき存在だろう。

診断が楽しくて神経内科を志望

つぎに志したのは神経内科であった。症状から理詰めで診断がつく(少なくとも国試レベルでは)のが楽しかった。その思いは大学を卒業してからもしばらく持続していた。

初期研修2年は市中病院を選んだ。今は珍しくないが、僕が研修医になった2002年にはまだ少数派であった。研修終了後に神経内科へ進まなかったのは、神経内科が嫌になったというよりも、色々な科を回ってより魅力的な科ができたからだ。それが消化器内科であった。

胃カメラとの出会い ~ごっつおもろい~

研修医1年目で消化器内科を回った当初は正直あまり興味がなく、同時に回った神経内科の方が楽しみであった。僕が研修した病院は中規模病院であり、また緩い時代であったため、研修医にも胃カメラをさせてくれた。

胃カメラは非常に面白かった。勿論最初は下手だが、日進月歩で上達し、少しずつ自分の手足のように動かせるようになるにつれ、ますますのめりこんでいった。4か月で消化器内科の研修は終わったが、他科を回っている時も暇を見つけては胃カメラをしに行っていた(途中で今回っている科に集中しろと怒られたけど)。

当直室での密会 貞操の危機? 

研修2年目も半分が過ぎ、研修終了後の進路を決めないといけなくなった時、消化器内科の部長から呼び出された。当直室に来るように言われたため、貞操の危険を感じたら拳で身を守らねばと気合を入れて行ったが、そこで来年消化器内科の後期研修医(3~5年目)を受けないか?と誘われた。

内視鏡が面白く、これは生涯の仕事にできそうだと思えたこともあり、他院に落ちたこともあるが、結局そのまま後期研修医として残ることにした。

その後回った循環器内科もカテーテルをさせてくれて楽しかったが(心筋梗塞の緊急カテに術者として入ったこともある)、回ったのが後期研修医の試験後であったので、これが試験前であったら消化器と循環器で悩んでいたと思う。

消化器内科を選んだ転機 

内視鏡が誘い、部長が密室で熱心に誘ってくれたことが心をあけ放った。

ラオウケンシロウがユリアの感情を取り戻させた時の描写を借りた。これが転機だ。口や肛門に棒突っ込んで、下品で汚い科だと他科の先生に揶揄されたこともあるし、辛いこともたくさんあったが、この科を選んでよかったと思っている。

部長とは後期研修医になった後、一緒にカナダの学会に行き、同じ部屋に泊まり、また密室で二人きりとなったが、勿論何もなかった。 

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しかし、僕と二人きりになりたがることを考えると僕のことが好きだったのかもしれない。

しんどいこともあるが、達成感で疲労も吹き飛ぶ

ESDやERCPといった治療内視鏡は楽しいし、大腸内視鏡は奥深く、まだまだ上達の余地がある。また緊急内視鏡も我々の業務の多くを占めている。今でも夜中緊急で呼び出された時、空いている道を車で走りながら、絶対治してやるとテンションを挙げていくし、緊急内視鏡治療がうまくいった時は達成感があり、脳の中で何かの汁がじゅるじゅる出ている。

この瞬間は自分に酔っているが、それくらいは許してもらってもいいと思っている。

  

#わたしの転機

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今日の体重は76.9㎏。めまいが少し残っていたのでふらふらしながら、ブルガリアンスクワットとピストルスクワットを行った。太ももが水平になるくらいだが、ようやく補助なしでピストルスクワットが何回かできるようになった。

初海外の思い出②

今日は1日ゆっくり。キャンプに行っている息子以外の家族で外出。

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でっかいエビを食べた。食べにくかったが、旨かった。

 

続きを書く。

10年以上前なので、時系列が定かではないが、かんたんな日記を書いていたので、それを頼りに。まず市内観光へ。バスでモントリオールのめぼしいところにつれて行ってくれるツアーに参加した。

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その途中で立ち寄ったでかい建物。ここで少し降りて見学していた。同じツアーに参加していた東南アジアのDr.数人と軽い自己紹介をしていてふと見ると、我々の乗ってきたバスが動いている。

部長と慌ててバスへ駆け寄り、乗せてもらった。東南アジアのDr.もがはがは笑いながら乗り込んできた。

 

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バスに向かって疾走する部長。

その他色々見たが、どこかの大学を見たくらいしか覚えていない。ツアー終了後、学会場に行って登録した後、部長と街を散策した。これもあまり記憶にないが、地下鉄に乗ろうとして乗り方がわからず、断念したことは覚えている。

夕食はホテルの近くの中華街へ。いろんなものを食べたが、結局中華が一番おいしく、何度か訪れた。

 

翌日はポスターを張る日であったので朝一で学会場へ。作ってくれた部長には悪いが、我々のポスターがダントツしょぼかった。部長はすぐにどこかに行った。指定時間にはポスター近くに立っていて、質問がある人がいれば答えないといけないのだが、ややこしいことを言われても困るので、誰かが近寄ってきたら自分もこのポスターを見ているふりをしようとしていた。が、そんな心配は全くの杞憂であり、誰も近寄ってこなかった。飽きてきたので途中で抜け出した。

午後から部長と合流し、食事をして(小奇麗なレストランに行ったが何を食べたかは忘れた)、街を散策&クルージングへ。

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なんかの像の前で。

 

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モントリオールの街並み

 

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クルージング中。

 

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セリーヌ・ディオンが結婚式をしたノートルダム聖堂。余り信仰心が豊かな方ではないが、厳かな気持ちになった。

あちらの食事は量が多く、胃がもたれており、二人ともまったく食欲がなく、夕食は抜いた。

 

翌日は早起きしてケベックシティへ観光へ。僕ら二人ならツアーバスに押し込まれるところであったが、開業医夫妻も参加されたため、車をチャーターしてもらい、ガイドさんもいた。ケベックシティへはモントリオールから車で2~3時間の距離で、途中、何かが世界一の滝(ナイアガラではない)を見たが、思ったよりしょぼかった。

 

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何かが世界一の滝。

 

ケベックシティは街の雰囲気が素晴らしかった。

 

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シャトーフロントナックというでっかいホテル。もうほとんど城だった。

 

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ケベックシティの街並み。

 

土地の名物を食べ、普通にうまかったが何を食べたか忘れた。土産を見ていた時、部長が娘への土産といって、言っちゃあ悪いが誰が着るねんというような、胸元にケベックシティとで~んと書かれたこの上なくださいTシャツを買おうとしていた。

「先生、そんなん娘さん着ませんて。香水とかにしたほうがええんちゃいます?」

「前回買った香水がなあ、まだ封も切られてないんや‥。」

「‥そうっすか。」

涙がこぼれそうになった。もう僕にはこれ以上何も言えなかった。部長は結局そのTシャツを買っていた。あのTシャツは着てもらえたのだろうか‥。

最も、僕も誰が被るねんという真っ白い帽子を買ったが、家で2回被っただけで、外に被って出る勇気がなく、そのままになっているので人のことはあまり言えない。

 

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探してみたらまだあった。どうしてこれを買ったのだろう? 旅のテンションは恐ろしい。

 

その後、妻と娘がわしをいじめるんや、息子だけが味方やと切ない話を聞かされた。当時独身だった僕にはそうっすかとしか言いようがなかったが、自分にも娘ができて、当時の部長の切ない気持ちはなんとなくわかる。まだ娘はなついてくれているが、ものや食べ物で釣ってるだけかもしれないがいつ、自分がそうなるかと冷や冷やしている。

僕も金遣いは荒い方だが、部長はさらに荒く、わけの分からないものを買いまくっていた。僕もメープルシロップと思って買ったものがドレッシングであったが。

挙句の果てに手持ちの金がなくなり、最後の方は僕が飯代もタクシー代も出していた。「おお、すまん、細かいのだしといてくれ。」とその都度いうが、おまえ大きいのもないやろっと突っ込みたかった。

そうはいっても僕が仕えた部長の中では一番人格者で、いい人で天然で面白い人だった。出張費としてスタッフだけ病院から補助が出たが、半分僕にくれた。

また車でモントリオールまで戻り、夜は学会主催のカナダナイトと名付けられたパーティへ。ビュッフェ形式でまあまあ美味しかった。世界と名がつくだけあり、いろんな国から参加者がいて、外人が踊りたおしていた。テンションの高さにはついていけなかったが、その場にいるだけでまあまあ楽しかった。

 

翌日は胃痛で部長がダウンしたため、一人で学会場へ。ライブを見ていたが、丁度ESDが普及し始めたころで、ESDのライブを見ていた。当たり前だが演者は皆日本人だった。その後、外人のESTのライブを見たが、普通にdeep cannulationしてESTしているだけなのに、会場では拍手が起こっていた。この程度なら医師4年目、消化器2年目の僕でもやっていることだったので、拍手することなのだろうかと不思議に思っていた。

午後は復活した部長と博物館に行ったと日記には書いてあるが、まったく記憶にない。その後一人で街の散策にでた。ただ歩いただけだが、初海外であり、歩いているだけで楽しかった。

 

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一人散策で訪れたところ。

 

部長は本調子でないため、夕食は一人で中華街へ。海外での初一人飯で少しドキドキしたが、特に問題なく終了した。

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お世話になった中華街。

 

翌日帰国の途に就いた。帰りもアメリカを経由したが、特に問題はなかった。デトロイトの空港は広く、回り切れなかった。免税店でフェラガモの財布を買った。帰りの飛行機は空いており、横になって寝ることができた。

おっさん二人で一部屋ってのはストレスやなあと思っていたが、上でも書いたようにいい人であるので、ストレスはほとんどなかった。トラブルもあったが、楽しい旅だった。

 

今日の体重は76.9㎏。脚の筋トレをした。ピストルスクワットを補助なしでやろうとしたが、よろけてしまい、肩に激痛が走った。

 

 

初海外の思い出①

4日の日直は終盤に近付くにつれ忙しくなり、ショック状態のAOSCにERBDを入れ(ノルアド投与中であったが、検査中も血圧低下し、ショットで投与した)、EGDを2件した。1件はICUへの出張であったが、最初に言われたにもかかわらず、諸事情(こちらの事情もあり、向こうの事情もある)で最後になり、17時を回った。

そこで嫌な思いをまたさせられた。細かく書くとうんざりした気持ちがまた戻ってきそうで、カタルシスにならないので書かない。ICUのナースには時々強烈なキャラの人がいるが、そういう人に出会ってしまったのが運のつきと思うしかない。

内視鏡室のナースはかなり忙しかったようで16時にようやく昼食にありついていた。かわいそうに。僕ももろもろ仕事があり、20時前にようやく病院を出ることができた。体調不良はどこかへ行ってしまっていたのが幸いだった。

 

10年以上前に使っていたPCに入っていた写真をようやく救出した(起動しないのでどうしようかと思ったが、セーフモードでなんとかデータを吸いだした)。

色んな写真があり懐かしくなったが、初めての海外であるカナダの写真が出てきたので、その思い出を書いてみようと思う。

今はgastroと名前が変わってしまったが、かつて世界消化器病学会という学会があった。今は毎年やっているようだが(今年はタイなので行こうかなと思っている)、当時は4年に一度というオリンピックのような学会で、2005年に当時勤務していた病院の部長が演題を出していこうと言い出した。

追記:別の記事にも書いたが、世界消化器病学会は2年に1回今もやっていて、その合間の年にgastroをやっているよう。

 

スタッフが2人で専攻医の僕が1人という少ない体制でとても忙しいのに、2人も抜けるのはまずいでしょうといったが、部長がどうしても行くと言ってきかない。2番目の先生も諦めていたのか、行って来たら?と言った(内心はらわた煮えくりかえっていたと思う)。

会場はカナダのモントリオールだった。当時の僕は日本の学会発表すら数回しかしておらず、ましてや海外の学会なぞ経験があるわけもない。英語できないんですけどと部長にいうと、DDWほど厳しい学会ではないし、なんとかなるということであった。

眼科の部長がセレブでいろんなところに旅行されていたので、カナダについて色々聞いたが、セレブすぎて(エコノミーで行くの?最低ビジネスでしょうと言われたり、勧められたホテルは超高級ホテルばかりであった)、あまり参考にはならなかった。

 

発表は部長が作り、登録もしてくれていた(僕の名前をファーストにしてくれていた)。移動を含めたら1週間かかるのに部長に荷物は機内持ち込みできる小さなスーツケースオンリーにするように言われた。過去に荷物のトラブルにあったとのことであった。詰め込むのは大変だったが、言われるとおりにした。

また、安く上げるために相部屋にするぞといわれた。おっさん二人相部屋って誤解されへんかなと嫌だったが(というか普通に嫌だった)、従わざるを得なかった。

 

そしていよいよ旅立ちの日がきて、バスで関空へ向かった。おっさん二人だが、ちょっとうきうきしていた。土産を現地で買うと荷物になるからということでまず空港でカナダ土産を買い、帰国数日後に病院に到着するように手配した(2番目の先生に少し多めにお土産を買ったが、それでもしょぼいものだった。2番目の先生は全くそれに触れなかったが多分100万もらっても喜ばなかっただろう)。

出国審査後、部長がいきなりエルメスに消えていった。子汚いおっさん(すいません)と思っていたが、意外とおしゃれでエルメスのタオル地のネクタイを必ず免税店で買うようにしているらしい。僕も尊敬する(子汚いとか言ったけど)部長を見習って、それ以降海外に行くたびにエルメスでネクタイを買うようになった。

 

エコノミーで10時間以上はきつく、あまり眠ることができなかった。エアカナダと確かノースウェスト航空が選べたが、もちろん安いノースウェストを選んだ。中々素敵な飛行機で、相撲取りの様に太ったCAがほとんど投げるようにお菓子をくれた。アジアのサルにはそれで上等ということなのだろう。何様じゃ、体臭きついくせに。

トランスファーのためデトロイトの空港に寄ったが、ものすごく混雑していた。しかも9月11日のせいか、入国審査が厳しく、半パンにだらしないシャツを着ていた僕は「Dr.? Dr.? Dr.?」と3回も聞かれた。うっさいんじゃ、見えへんで悪かったのうと思いながら、卑屈に笑ってYesと答えていた。

通り過ぎるだけのアメリカで手間取り、なんと次の飛行機に乗り遅れた。何のために荷物を機内持ち込みだけにしたのだろう‥。慌てても仕方ないのでととりあえずスタバでなんか食おうとしたが、部長の英語が通じず、I don't know.と切り捨てられていた。仕方ないので僕がジェスチャー混じりで買った。

その後、ノースウェストのカウンターに行き、今度は部長の英語で次の便に振り替えてもらった。ちょっと尊敬した。

 

紆余曲折はあったが、なんとかモントリオールに到着した。業者は通していたが送迎はなく、自分たちでタクシーを捕まえてホテルへ向かった。タクシーの運ちゃんが何か話しかけてきたが、部長も僕もよくわからず、部長が警戒心丸出しで「危ないな、詐欺かもわからんぞ、無視や無視。」と言った。多分、よーきたな、旅はどないやった?くらいのことを言っていたと思うが‥。

30分くらいでホテルに到着した。ホテルの選択肢はいろいろあったが、学会場の目の前のホテルであり、正直あまりいいホテルではないが、近い分高かった。

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男二人で泊まった部屋。

 

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ホテルから見た学会場。部長が選んだが、部長は最初の登録の時と発表日の一瞬しか会場に行かなかった。会場から離れれば同じ額でもっといいホテルに泊まれたのに、なぜここを選んだのか謎。サービスもあまりよくなく、朝のバイキングも卵とソーセージばかりで途中で見るのも嫌になってきた。

ホテルで現地のコーディネーターに会った。飛行機に乗り遅れた話をしたら、ノースウェストなんか選ぶからだと言われた。ほな、選択肢に入れんといて欲しいわと言いたかったが、ケチった僕らが悪いので仕方がない。他に日本人が何組かいて、ほとんどは男2人組だったが、同じ部屋なのは僕らだけだった。

長くなったのでいったん区切る。

 

今日の体重は76.8㎏。食欲がようやく戻ってきた。今日はジムに行かず、家トレ。