生きよ 堕ちよ

高校留年~プータロー~文系大学~再受験し医師~内視鏡に魅せられ消化器内科へ

どんなもんじゃーい

ある雑誌から査読依頼が来た。論文のテーマはこれ。

Hypnotherapy is more effective than acupressure in the production of the hormone prolactin and breast milk of postpartum Caesarean section」

 

あまり見ない単語がいくつかある。acupressureってなんだ?  

先日、フランス人のお姉さんが外来に来た時に大活躍したgoogle翻訳大先生に今回も訳してもらった。

催眠療法は、分娩後の帝王切開のホルモンプロラクチンと母乳の生産で指圧よりも効果的です」

 

‥どうかんがえても消化器内科ではないよな。これを僕にどう査読しろというのだろう。基本的に査読は断らないことにしているが、これは全く査読できる気がしないのでお断りした。

 

先ほどテレビを見ていたら、病院へのクレームを取り上げていたが、そこで某女芸人が、病院が100%治るといわないのはおかしいと言っていた。出ていた医師が即座に否定していた(金の聴診器はどうかと思うが、言っていることは至極真っ当だった)。

100%治すなんて言えないし、言ってはだめだ。僕も最善は尽くすというが、絶対に治しますとは言わない。そんなことをいう医者は自分に酔っているだけだ。治せるケースもあるが、治らないケースもあり、予想外の偶発症をおこす可能性は侵襲的な治療にはつきまとう。この世に100%はないというフレーズは陳腐だが、真理だ。

 

亀田の茶番劇が終わった。

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誰でもええからかかってこい(ただし身長175cm以下、体重70kg以下で格闘技のプロじゃない人)。

最初の3人は倒したが、最後の1人は倒し切れず。

 

 

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散々突っ込まれていたが、ヘッドギアも全然違う。亀田のほうはがっちりガードされているが、素人の方はすかすか(笑。

 

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この画像が一緒に張られていたのを見て、不覚にも爆笑してしまった。こういうセンスを身につけたいと常々思う。

 

 

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しかも、素人のほうがグローブもでかい。小さいグローブを使ったわりに、最後の1人はKOできず。

 

ボクシングの世界チャンピオンと言えば至高の存在のはずなのに、その権威に自ら泥を塗りたくるようなことをしてなにがしたいのだろう(もっとも団体側も暫定チャンピオン、正規チャンピオン、スーパーチャンピオンと一つの階級に複数のチャンピオンを作って価値を下げているが)。

デラホーヤ(身長179cm)は、シャキールオニール(216cm、148kg)とエキシビションマッチを闘った。デラホーヤと亀田を比べるのはどうかと思うが、それでも世界チャンピオンというくくりでは同じだ。それなのにこの違いはなんだ?

亀田は引退してプロではないから、プロ格闘家とはやらないと擁護する意見もあったが、この擁護者はそもそも世界を取ったボクサーが、素人と闘うのは是とするのだろうか。

 

体格制限をつけた素人相手に、より防御力の高いヘッドギアをまとい、倒しやすい小さなグローブをつけて、誰でもかかってこいやと叫びながら、素人を倒し切れず。

‥しょぼい、しょぼすぎる。やらなきゃいいのに。でも、衆目はひいたのでそれが目的なら正解なのかもしれない。

 

今日の体重は76.3㎏。 今週の内視鏡学会の予演会が本日あったが、思ったよりつっこまれてしまったので、ジムに行かず作り直していた。英語で作らないといけないので、グラフを多用したら、それがあだとなってしまった。余裕ぶっこいていたが、何とか作りなおした。家でHIIT、懸垂、ディップス、立ちコロを軽くするにとどめた。

研修医時代の思い出③ 各論 下

今日は娘たちと昼ご飯を買いに行き、公園に遊びに連れて行った。タンドリーチキンを作ったが、まあまあ美味で子供たちも喜んで食べていた。

今日はゆっくり筋トレができると思い、肩と足の筋トレを行った。フロントレイズ、サイドレイズ、リアレイズを3セット行った後、仕上げに逆立ち腕立て伏せをしようと思ったら、予想以上に追い込めていたようで、力が抜けてしまって逆立ちが崩れて、頭と足を強打した。何とか受け身をとって、首はひねらなかったが、下手したら大惨事だ。

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長女がケラケラ笑っていて、嫁が「笑い事じゃないのよ。」と娘をたしなめていたが、すぐ後に自分が声が出ないほど笑い転げていた。

本人曰く、大丈夫と思ったから笑いが止まらなくなったと言っていたが、絶対違うな。前、息子の髪を切っていて、失敗して髪が一部無くなってしまった時も、自分でやったくせに笑い転げていた(僕も笑ってしまったけど)。 

恐ろしいわあ。おーこわ。

 

続きを書く。

麻酔科

麻酔科の部長は鬼のように怖い先生でよく怒られた(昔はもっと怖かったらしい)。腰椎麻酔をしていて、無事に入って安心して、薬をブシュッとこぼしてしまった時は「ああ、死んだ。」と思ったが、それはそんなに怒られなかった。僕は挿管をする時に、マッキントッシュ(鎌みたいな器具)をこねる癖があるらしく、それはよく怒られた。とにかく、毎日びくびくしていたのを覚えている。その割に麻酔中に眠くなり、うつらうつらしていたら、「なんだ、この部屋は笑気が漏れているのか?」と呆れながら言われたことがある。

 

ICU

ちっこいながらもICUがあり、CHDFや人工呼吸器をいじくっていた。今はもうさっぱりわからないが、当時はそれなりにいじれた。救急病棟に入院してくる患者の指示だしも行っていた。研修医二人で、レベル300の薬物中毒者に挿管して、胃洗浄を行ったりしていたが、今の時代では許されないだろう。気管に鶏肉を詰めて、挿管してもSpO2が挙がってこない人がいたが、気管支鏡で鶏肉を取ったらすーっとSpO2が上がったこともあった。

 

3次救急

研修病院は2次救急までだったので、1ヶ月間3次救急の病院に勉強に行かされた(今勤務している病院なのだが)。なんとなくアウェイ感があり、ガツガツいく性格でもないため、あまり前に出ずに最初は適当にさぼっていたが、折角の機会なんだからもっと積極的にと専攻医の先生に注意された。その後、前に出るようにしたら、最終的には褒められた。皆Dr. carに乗りたがったが、そう機会は多くなく、僕が行っていた時は数回のみだった。同学年の研修医の先生が一度機会を譲ってくれたが、理由は忘れたが途中で引き返すことになり、残念だった。

 

研修医の時は医師もそれなりにおり、まあまあいい環境だったと思っている。それで専攻医で残ろうと思い、実際残った。しかし、専攻医中に人が徐々に減っていき、皆疲弊し、雰囲気もいまいちとなっていった。誘われたこともあり、途中で別の病院に脱出を試みたが、パワーゲームでつぶされた。

ディープな場所にあったが、僕自身はいうほど怖い目にあったことはない(後輩はERで患者に首を絞められていたが)。ERで怒鳴られたことはあるが、これはどこの病院でも一緒だろう。

今勤務している病院は有名研修病院であり、研修医も優秀な者が多い。しかし、病院が大きいので、科同士のつながりがいまいち弱い(僕自身、他科の先生で顔も知らない先生は多いし、研修医も回ってこなければ知らないまま終わることもある)。中規模病院はその点は密であり、そこはメリットであった。

僕が後期研修医になった時に、研修制度が大きく変わったが、変わる前に研修を終えることができてよかったと思っている。今の制度は、学生のポリクリの延長に過ぎない。うちの科に来る研修医も1か月でいなくなってしまう(内科志望でも回ってこない研修医もいる)。 

 

今日の体重は76.5㎏。炭水化物を減らそうとしているが、今日近所に最近できたパン屋でパンを買って食べてしまった。美味しかった。

自分のは良くても他人のは嫌(一部下品な話あり)

うちの病院は急性期病院で、ベッド数が減ったこともあり、慢性期や癌のターミナルは長期間みない(というかみていると、ベッドが到底回らない)。

その中でもうちの科は超急性期であり、平均在院日数は7日前後だったこともある(なぜかポリぺクが勘定されなくなって、一旦腫瘍内科や他院に投げていたケモも一部またやりだしているので、今はもう少し長いと思うが)。専攻医は毎朝、部長の退院、転院プレッシャーにさらされ続けている。

ずっと診てきた人なので、最後まで看取りたいなと思っても、部長が許さない。昔あの手この手で転院を引き延ばして看取ったこともあるが、今は難しいだろう(僕もその元気がないのが正直なところ)。最近ある患者の転院が遅れて、当院で患者が亡くなった時に、担当医と主治医が部長に怒られたそうだ。部長の立場も分からないでもないが、患者を看取るのにはパワーがいるし、怒ることではないだろう。臨床研修病院では一定数のゼク(病理解剖)を取る必要もあるし。

 

そのため、ターミナル状態の患者を見ることがぐっと減り、その上緩和ケア科ができたので、癌性疼痛の管理はそちらに任せている。というか、そうせざるを得ない雰囲気だ。昔のように自分たちでやっていたら、病棟から早く緩和ケア科にコンサルトしろというプレッシャーをかけられる(せん妄や感染症の時もそれぞれの専門家にコンサルトを促される)。

GW中に入院した癌のターミナルの患者に、フェントステープが処方されていたが、効果が今一なため、持続点滴に変更することにした。フェンタニルの処方は久しぶりだったので、テープから点滴に変更する時の換算量はどうだっけ?と調べて処方した。

 

未明に血便患者のコンサルトを受けた。コンサルトしてきた研修医が、ショック状態の血便でアルコール多飲患者と最初に言ったので、食道静脈瘤かと思い聞いていたが、途中でバイタルは落ち付いていますと言ったのでずっこけそうになった。ショック状態なんちゃうの?と聞くと、来た時は血圧が低めであったらしいが、輸液で戻ったらしい。

鮮血がでたエピソードが2週間前にもあり、BUNが上がっておらず、静脈瘤ぽくはない。しかし以前、血便患者に緊急で大腸内視鏡をした時に、大腸全域と小腸まで真っ赤だったことがあった。小腸出血?と思ったが、ためしに挿入されていた経鼻胃管から吸引してもらったら、真っ赤な血液が返ってきた事があり、あわてて上部に変えたら食道静脈瘤だったことがあったので(上部消化管出血が赤いまま出てくる時はすごい勢いで出血している時だが、その人はBUNは上がっておらず、血圧は正常だった)、油断はできない。

本人を診察すると、けろっとしていて血圧も戻り、頻脈にもなっていない。酒を飲んでいるためか陽気であり、診察した時はしびんで排尿していた。終わった時に自分の手でしびんを外し、両手でペニスを触っていた。

血圧低下は脱水か、迷走神経反射か、いずれにせよ、上部消化管出血ぽくはない。エピソードからヘモ(痔核)出血が一番疑わしい。下部消化管内視鏡の説明をし、緊急で行うこととした。

 

口頭で検査内容と偶発症の説明をし、いざ同意書を取ろうと思ったが、ふとそこで気付いた。

「‥そういや、さっきちOこいじっとったな。」

いつもは同意書にサインをさせる時に、自分が持っているipadを下敷きにして書かせるが、なんとなく抵抗があった。状態の悪い人には、代わりにサインすることがあるので、字書けますか?代わりにサインしときましょか?と聞いてみた。

「書けまっせ。」

そう言って手を出してきた。そこは「じゃあ、書いといて下さい」やろう、酔っ払ってるわりに律儀やなと思ったが、反射的にipadと同意書を渡して、寝たままサインさせた。クリップボードを探せばよかったが、後の祭りだった。なんとかボールペンは安物をわたすのが精一杯で、ipadはがっつり握られていた。

後でipadケースの染料が落ちるくらいアルコール綿で念入りに拭いた。自分のちOこなら全く平気だが、他人のは激しく嫌なのはなんでだろう。多分汚さは互角だろうし。

 

全く関係ないが、過激な罰ゲームにはまっていた高校の同級生たちが罰ゲームとして男同士で69を行ったらしい。一人は、いったらダサいだろうと思い、本気でいかさせてやろうとしていたらしいが、それはなかったそうだ。

場所はそのうちの1人の家だったらしいが、奥さんが隣室で泣き崩れていたらしい。そりゃ、旦那が男同士で69してれば泣くわ。関東連合でも敵対チームに男同士で69をさせたという話を聞いたが、彼らは自主的にやっているところが違う。30歳前後の話だが、なにやってんだろう。あいつらにとってゲームはそれ自体を楽しむためではなく、罰ゲームをするための手段と化していた。

その夫婦の結婚パーティーに僕も出たが、かわいらしい奥さんだった。これが原因かどうかは知らないが(一因ではあるだろう)、その夫婦は離婚した。

あいつらの話をすると話がド下品な方向に行くのでもうやめる。

 

酒を飲んで動けなくなっていたらしいが、住所を見ると僕の実家の近くだった。車でも電車でも1時間以上かかる距離なのに、なんでこんなところまで来て酒を飲んでいるのだろうか。職場がこちらですか?と聞いてみたら、職場も家の近くらしい。ここまで来るより梅田や難波の方がよっぽど近いのにますます謎だ。

緊急で大腸内視鏡をしたところ、直腸に少量の血液があるが、深部はきれいだった。下行結腸あたりまで挿入して通常便を確認して戻った。直腸を見ると予想通り、ヘモがあり、一部潰瘍となっていた。観察時には出血がなかったが、露出血管様に見える部位もあったので、クリップしておいた。

会社の同僚が来ており、今後どうなるのか聞かれたので、帰宅可能だと説明すると、酒に酔ってるし、入院させてくれと言われた。

急性アルコール中毒ならまだしも、酒に酔ってるだけで入院させていたらきりがないため、入院適応はないと説明した。

 

3時すぎに寝たのに、6時前に目が覚めたので、これをつらつら書いている。只今7時30分。このまま呼ばれずにフィニッシュできますでしょうか。

研修医時代の思い出② 各論 上

今日は午前中、長女と本屋に行き食事をした。フロアガイドを見ながら、何が食べたい?と聞くと、貝がたくさん入ったそばをみて、そのそば屋を選択した。昨日潮干狩りでもらった貝をたくさん食べたし、今日は貝ご飯を作ると嫁が言っていたのに、どんなけ貝が好きなんだろう。

帰りに抽選会に参加できたので、娘にガラガラを回させたところ、三等賞を見事にあてた。食事券1000円分とささやかだけど(笑。

今日は当直。一人処置をして入院させた。GWをはさんでいるとはいえ、週2回の当直はきつい。専攻医以来だ。なんとか2日間病院に来ない日を作れそうなだけましか。

 

続きを書く。

僕らのころはスーパーローテーションはまだなかった。僕は内科コースであったので、内科全科とICUと麻酔科と他院の3次救急を回った。その各科の思い出を書いてみる。

 

糖尿病内科

一番最初に回った科。オーベンは熱心な先生だったが、外来が多く、夕方までほとんど一人だった。研修医に何かができるわけではないので、とにかく患者さんの話をよく聞いていた。医者になって一番患者の話を聞いていた時代だったと思う。内分泌もぽつぽつきており、DKA甲状腺クリーゼが来た時は大変だったのを覚えている。

 

腎臓内科

ある珍しい病気とネフローゼが合併した症例の担当になり、いろんなところで発表をした。論文にしたいと言ったが、指導医がめんどくさいからダメと指導してくれなかった。透析の機械を組み立てるように言われやっていたが、技師さんにしょっちゅうやりなおされていた。単に邪魔をしていただけだったかもしれない。

 

免疫血液内科

僕らの研修医時代は緩い時代でどの科も色々なことをさせてくれた。この科ではマルク(骨髄穿刺)やCVライン挿入をよく行った。オーベンの先生がごっつい働く非常に穏やかな先生であった。ケモの患者が多かったが、専門的すぎてほとんどわけがわからなかった。初めて受け持ち患者が亡くなったのがこの科だった。

 

神経内科

同期研修医は2年目になってすぐに1人辞めて、2年目に1人来たので(一瞬だけ7人になったが)結局6人のままだったが、述べ7人の同期研修医のうち、4人が神経内科志望だった(僕もそうだった)。しかし、最終的には誰一人神経内科の道を選ばなかった。オーベンの先生は非常に穏やかで、僕が神経内科志望ということもあり、同期(神経内科志望ではない)が一緒に回っていたが、僕に優先的に変性疾患をあててくれた(この規模の病院では脳梗塞が多く、変性疾患は珍しい)。オーベンの先生が外来で手が離せない時、代わりにルンバール(腰椎穿刺)を一人でしに行ったりしていた。本当に緩い時代だった。

 

消化器内科

内視鏡をさわっていなかったら、僕はこの科を選んでいなかったかもしれない。今のようにルーチンの胃カメラで鎮静をしない時代だったが、普通に研修医は胃カメラをさせてもらっていた(内視鏡中に先生、これ何ですか?と聞こうと思ったら、部長は散歩していなかった。さすがにそれはあかんと思う)。ERCPも乳頭到達まではさせてもらったし、大腸内視鏡もするかと言われたが流石にそれは辞退した。内視鏡が面白く、消内の研修が終わり他科を回っている時にも胃カメラをしにいっていたので、あいつは消化器内科志望なのか?ということで、部長に専攻医で残るように勧誘された(狭い当直室に呼び出された時は何をされるのか、いざとなったらこの拳で身を守るしかないと強く握りしめていた)。

 

呼吸器内科

部長が有名な先生で、まあまあアカデミックだった。でも、色々させてくれることに変わりはなく、トロッカーを入れたり、気管支鏡をやったりした。他の科では抗生剤を適当に使ってもあまり何も言われなかったが、さすがに呼吸器内科では色々指導を受けた。

 

循環器内科

消化器の部長も天然で面白かったが、ここの部長は話術が巧みで面白かった。僕は研修医の中で2番目に回ったが、1番目に回ったものと僕はカテが上手かったらしく(循内の先生は、最近の研修医はみなうまいのかと思ったらしいが、その後はそうでもなかったらしい)、診断カテとスワンガンツは普通にできた。研修医2年目のある日、心筋梗塞に緊急カテをすることになり、上の先生が一人しかおらず、僕が術者をしたことがあったが、緊張しつつも楽しかった。学生の時に実習で「インフレーション」と言いながら血管の詰まった部位をバルーンで膨らませているのを見てかっちょいいなあと思っていたが、自分でそれをすることができて感動した。循環器を回る前に専攻医の進路を決めないといけなかったので、消化器を選んでいたが、先に回っていれば変わっていたかもしれない。

 

長くなったので一旦区切る。 

 

 

研修医時代の思い出① 総論

今日は家族で潮干狩りのため毎年行っている海岸へ。GW中ということもあり、結構な混み具合であった。

潮干狩りというよりも貝拾いであり、定期的に貝がばらまかれ、子供たちが殺到する。こんなん潮干狩りと違うと、どこかのお父さんが口にしていたが、まさにその通りだ。

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今日の成果。取ったものは持って帰ることができず、帰りにお土産でちゃんと処理した貝をもらえる。その後BBQをし帰宅。帰りの車では皆爆睡だった。

 

ふと研修時代のことを思い出したので、つらつらと書いてみる。

僕らのころは、今と違ってまだ大学で研修する方が一般的で、外病院で研修するほうが少数派だった。大学病院よりも実臨床が学べるかなと思い、僕は外病院での研修を選んだ。病院選びは結構適当で、有名病院も受けたし中規模病院も受けた。

高校留年から医師になった経緯に書いたように僕の経歴はぼろぼろで(よく医学部に入れてくれたなと母校の懐の太さに感謝はしているが、その割に大学病院で研修もしていないし、入局もしていないし、同窓会費も払っていない)、このぼろぼろの経歴で有名病院は無理だろうと自分でも思っていたが、大学の成績はまあまあ良い方だったので、ひょっとしてと思って受けた。しかし案の定ダメであり、最初に受かった中規模病院に行くことにした。

 僕はその中規模病院がある地域のことをよく知らなかったが、なかなかディープな場所で、合格した後に同級生に「なんでそんなところ行くん? やめとき。」と言われた。彼はその地域のパチンコ屋でアルバイトをしていた時に「にーちゃん、球だしてや。」と言われ、無理だというと、本物か偽物か知らないが、拳銃を出されて脅されたらしい。

ギャング映画は結構好きで、Boyz n the hoodやjuiceは何度も見たし、生まれ変わったらムキムキでラップができる黒人になりたいとは思っていたが、日本で環境だけ先取りするのはごめんだった。そんな話を聞かされて不安になったが、もう後の祭りであり、そこで研修するしかなかった。

 

研修をした病院は400床足らずの病院で、今は外病院での研修がメインになり、まあまあ人気らしいが、僕らの頃は定員7人のところ、直前で1人が別の病院に行き、6人と定員割れであった。みな別々の大学で、6人中3人が再受験生であった。

研修前の講義が長かったが、あまり内容は覚えていない。模擬外来で、同期にダメ出しされたのと、同期同士の探り探りの会話で、海外旅行の話が盛り上がっていた時、海外に行ったことがなかった僕だけ入れずにポツンとしていたことはよく覚えている(笑。

 

同期とはすぐに仲良くなり、研修が始まったころ行われた日韓ワールドカップを皆で一緒に見ていた。研修をしていたのは15年ほど前になるが、今でも定期的に食事に行ったり、飲みに行ったりしている。

研修医の頃は、ICUブックの英語版を買って皆で抄読会をしたりと勉強もしたが、まあまあ遊んでいた。研修医2年目の時にボウリングがなぜか流行り、後輩も含め皆で仕事を早く終わらせて、近くのボウリング場に行っていた。投げることがメインであるため、2人で1レーンを使い、たくさんのゲームをこなしていた。

皆どんどん上手くなり、200を越えるものも結構いた。一人は専用の靴を買い、200を越えたら、ボールを買うと言っていたが、200を越えたのに買わなかった。買ったら伝説だったのに(笑。

僕は最高180くらいで残念ながら200は超えなかったが、昔は100ちょぼちょぼだったことを考えるとかなり上達した。数年前にやったら、また100ちょぼちょぼだったけど。

 

内科持ち回りで、救急外来にくる内科患者の時間内対応をしないといけなかったが、これは研修医の仕事にさせられていた(押し付けられていた)。最初は率先だってやっていたが、慣れてくると苦痛であり(それゆえ押しつけたのだろう)、嫌だった。僕が専攻医になると、研修医に押し付けてはだめということになり、結局いつまでたっても自分で見る羽目になった。

優しいナースもいたが、嫌なナースもおり、こういう時はよい記憶より悪い記憶のほうがよく残るもので、いじわるなナースの方が印象深い(笑。研修が進むにつれて、こちらもそれなりにできるようになってくると、嫌な態度を取られることも減っていった。

長くなったのでいったん区切る。

 

今日の体重は76.7㎏。肩の筋トレとドラゴンフラッグをした。

予想外の当直

今日は当直だが、まったく気付いていなかったので、当直確認の電話がかかってきた時に思わず違うと言ってしまった。なんか、凄い損した気分だ(笑。今週は金曜日にGWの当直が入っているため、ちゃんと見たつもりだったがスルーしていた。

早速、投げっぱなしジャーマンの様な転送が1件入ってきた。GWの合間なので、こういう転送はよく来る。転送を断ってはいけないという金科玉条はご立派だが、なんとも言えない転送が多いのも事実。

治療が終わったら受け入れてもらえますか?と聞いたら、患者と家族が自分たちの病院の方針に不満を抱いており、多分戻りたくないというと思いますとのこと。

そう言われたらしゃあないっちゃあしゃあないけど、なんか釈然としない。でも受けざるを得ないので受けた。

 

先週胃カメラをしていたら、胃カメラが終わった患者の全身に膨疹がでていると言われた。初めての胃カメラだが、大腸内視鏡は受けていたため、鎮静剤や鎮痙剤が原因とは考えにくい。ルゴール液をまいたため、それが原因と考えられた。

ルゴール液とはヨウ素のことで、小学生の時にヨウ素でんぷん反応で使ったあれと恐らく同じもの(細かい成分は違うかもしれないけど)。食道はルゴールで染まるが、食道癌は染まらないので、怪しい病変を見ればルゴールを散布する。

ルゴールのアレルギーの話は聞いたことがあったが、はじめて自分で経験して少し焦った。アナフィラキシーショックが否定できないため、念のためERへ搬送した。幸い、大事にならず帰宅した。

 

5月に入ってもう一段階減量に気合を入れるつもりで、夜は炭水化物を抜く予定だったが、予定外(?)の当直が入ってきたため、明日から開始することにした。今日はジムに行くつもり満々だったので、そのやる気が体内をめぐって昇華しきれず、悶々としている。

 

headlines.yahoo.co.jp

 

是非、那須川天心とやってほしかった。

一部抜粋する。

「選考基準は「亀田と戦いたいという熱意が最も強い」ことが伝わったというもの。また、キックや総合格闘技で無敗街道を走る那須川天心がこの企画に応募したことが話題となったが、より多くの挑戦者にチャンスを与えるべく4名と戦うことになったため、プロボクサー、プロ格闘家は除外された。」

またよくわからない文章だ。どうして、より多くの挑戦者にチャンスを与えることが、プロを除外することとイコールになるのだろう? 4人のうちにプロも入れればいいだろうに。那須川天心をぼこぼこにすれば、流石亀田となるのに(無理か)。

 

連休前なのに、明日は色々処置があるため、少し寝ておきたいところ。

アルコールが個性? 

今週も引き続き忙しい。

火曜日は大腸ESD。まず全大腸観察できておらず(腸がredundantなためTCSできず、次回は太めのスコープでと書いてあったが、その時に変更してトライしてほしかった。僕ならそうしている。上級医なんで言えないが)、全大腸挿入を試みて何とか10分で盲腸へ。

前回観察しえた範囲にポリープがたくさんあったことから推測できるが、観察できてない部位にもたくさんポリープがあり、ESDが必要なものもあったが、もともとたくさんポリープを取る必要があり、一部のみ切除し次回に回すことにした。それでも6個EMRしてから、S状結腸のLSTに対しESDを行った。

spasticな腸であり、EMRは難渋したが、ESDはうまくポケットを作ることができ40分ほどで切除できた(1時間切りたいな~といったら、主任に「そんなに早くできるの?」と言われた)。

ヘパリナイゼーションが必要な人だったが、案の定本日出血したため、緊急内視鏡を行った。ESD後潰瘍は大丈夫だったが、EMR部から出血が疑われたため、クリップを追加した。

しかしヘパリンはよう血がでるわ。ワーファリン飲ませたままの方が血でえへん気がする(実際EMRをそれでやったことはある。出血しなかった)。ワーファリンはINR延びるの時間かかるから、ヘパリンも長期間になるし。DOACが出た時は効果の指標がないのはどうなんやろと思ってたけど、今はほとんどヘパリンがいらないDOACのほうがいいなと思う。

昨日は、DBERCPの手伝い。かなり難渋し4時間以上かかったが、なんとか胆管結石を取りきった。検査が終わったら9時近かった。

 

こんな記事を見た。

www.msn.com

 

アルコール規制は利権利権で現実的に難しいと思う。個人的には無くなっても全く困らないし、アルコール肝硬変の患者で結構しんどい思いをしてきているので、賛成か反対かと言われれば、賛成寄りの意見ではあるが。

 

この記事の中に、看過できない部位があったので抜粋する。

「さすがにそれは気持ち悪い。お酒を飲む、あるいはどの種類のお酒を好むか、さらにはその酔いっぷり……は、現時点では人の個性を形成する大きな要素となっているため、そこだけは死守したい……ところではあるけれど、もしかすれば30年後はそういう“個性”自体が、あまり意味を成さない世界となっている可能性も充分にあり得るので、抗うこと自体無駄なのかもしれない。」

 

正直、この文章の意味がよく分からないが、アルコールが人の個性を形成する大きな要素というのはまったく賛同できない。

適量を楽しく飲んで、健康に問題ない程度で済ませられれば何の問題もない。しかし、限度を超えて飲む者は一定数いる。もちろん消化器内科医という仕事がら、そういう人に多く接しているのは間違いないが、そういう人を「ああ、個性だからしょうがないねえ」とは思わない。すくなくとも尊重すべき個性とは断じて違う。

 

C型肝硬変やB型肝硬変とちがって、アルコール性肝硬変は原因が100%自分にある。自己責任で済ませられるのなら、好きなだけ飲めばいい。しかし、限度を越えて飲むと周りに迷惑が掛かるし(あるアルコール依存の患者の奥さんが外来に来て、強制的に入院させてくれと哀願されたことがある)、急性アルコール中毒、アルコール性肝硬変による食道静脈瘤からの吐血、アルコール性膵炎などで病院に搬送される人は珍しくない。

太く短く生きる、俺は好きなだけ飲む、病院の世話にはならんと覚悟を決めて飲むのならいい。それも本人の生き方だ。しかし、アルコールを大量に飲んで、いざ体が悪くなったら病院にすがる人は多い。

 

飲み続けているのに、定期的に受診して、悪くなっているのを見ているだけの人もいる。お腹刺して病院に来てるのと一緒でいくら病院に来てもよくはならない、治療は禁酒だけと言ってもピンと来ていない人が多い。実際経験しないとわからないことは多いが、こればっかりは後戻りできないため、そうなる前に止めないととこちらも口を酸っぱくしていう。

断酒会を勧めても、本人の意思がないと参加できないため、参加しない人が多い。精神科に紹介しても、精神科への偏見からドロップアウトしてしまう人も多い。

 

日本には応召義務があるため、患者を拒否することができない。いい制度だと思うが、アルコールを止めない人を前にして、複雑な心境になることがある。

アルコールは少量なら問題ないが、ベクトルとしては薬物や毒と同じだ。多量に飲めば死ぬし、癌もできる。20代でアルコール性肝硬変で死んだ人を見たことがあるし、入学したての学生が、急性アルコール中毒で亡くなったというニュースを見ない年はない。

どうしたら適量で抑えてもらえるのだろうかという葛藤は消化器内科を続ける限り、つきまとうのだろう。消化器を選んだことは後悔していないし、また研修医に戻って科を選びなおすとしても消化器内科を選ぶだろうが、この葛藤とは縁を切りたい。

 

今日の体重は76.7㎏。減量を始めてもうすぐ1年になるが、また間食がちょこちょこ増えてきた。ぼちぼちもう少しきつめに減量に入ろうかと思っている。