生きよ 堕ちよ

高校留年~プータロー~文系大学~再受験し医師~内視鏡に魅せられ消化器内科へ

越えてはいけない境界がみえないゆえの残酷さ

今日は土曜日だが、病院が開いているので勤務あり。前病院でも土日のどちらかは行くようにしていたが、ある程度好きな時間に行けたので、さほど苦にはならなかった。

前病院は労基が入り、残業代の不払い分を2年分支払ってくれた(もらうべきものだが、まとまってもらうとうれしかった)が、大学病院は残業は全く管理しておらず、1秒たりともつかない。その分給料は安いのにも関わらず、バイトも制限されている。

‥バイトを制限するなら残業代つけるべきでは? この働き方改革のご時世に真っ向から逆らっているが、大学病院とはどこもこういうものなのだろう。

若いころは残業代関係なく病院にいたが、今は少しでも早く帰って子供たちと触れ合いたい。残業代が付かないとなるとなおさらだ。しかし、今日は同門会に参加する必要があり、仕事が終わっても帰ることができなかった。

同門会といっても参加率は非常に悪く、僕も今年赴任したから参加するように言われただけ(別の科の新人は来てなかったが)だ。感想はあえて書かないが、来年以降僕が参加することはないだろう。

そもそも同門ではないし。前病院の関連大学や今勤務している大学には同窓会費や同門会費を払っていた or いるが、母校にはびた一文払っていない。こんな僕を入学させてくれて、医師免許を取らせてくれたのに申し訳ないと思いつつ、毎年実家に届いている払い込み用紙は見て見ぬふりをしている(笑。

 

話は変わるが、僕の顔には水疱瘡の跡が残っている。おっさんになって目立たなくなって来たが、若いころはそれなりに目立っていた。物心つく前に罹患してしまい、掻くことを抑えられなかったためだ。

中学の時は、同級生にドリルであけたようだということで、ドリ穴というあだ名をつけられた。小中学生というのは残酷なもので、踏み込んでいい領域といけない領域の境界がよく分かっておらず、平気でそこを超えてくる。

僕自身も他人に対し、その境界を超えたことはあると思われる(と言っても具体的にどこで超えたかはよくわからない。逆に僕にドリ穴といったものもそんなことは忘れてしまっているだろう)ので、まあしゃあないなと思うが、あの中学はくそだ(笑。大学と違って学校愛を全く持つことができず(ダブった高校の方が好き)、いまだにあそこに行ったのは失敗だったと思っている。

 

前置きが長くなったが、勤務先で種々のウィルスの抗体を調べた結果が返ってきた。ワクチンは学生のころや前病院で打ったはずだが、いくつかのウィルスで追加接種が必要だった。ドリ穴を思い出したのは、この結果を見てであって、さすがに水痘の抗体は陽性であった。麻疹(はしか)は陽性だが、低値であり1回接種が必要、ムンプス(おたふく)は陰性であり、これも1回接種が必要。風疹とB肝は不要であった。

おたふくは小学校低学年のころ、よりによって旅行前に発症したが、親は旅行を強行し、美味しそうなご飯を全く食べられなかった記憶は今でもおぼろげにある(鬼やなと思うけど、僕も旅行前に子供らが熱出したら悩みそう)。それなのに、抗体が陰性なのはちとせつない。はしかや風疹は罹患したことなし。その他クオンティフェロン(結核の検査)も調べられていたが、これは陰性であった。

ワクチン接種に来るように書いてあるが、はしかのワクチンは入手困難なため、しばらく打てないと書いてある。医師のくせに何を言っているんだと思われるだろうが、はしかって罹患すると大変らしい。残念ながら、はしかに罹患した人を診たことがない(ERでは診ているかもしれないが)。コプリック斑とか見てわかるのだろうか?

 

今日の体重は76.6㎏

 

雲の上過ぎて実感わかず

遅ればせながらラインを導入した。これまで拒んできていたが、職場のチームの連絡を潤滑にするためということで、さすがにわがままを通しきれなかった(妻も、ラインを入れていない人には個別でメールなどで連絡する必要があるのでめんどくさいと言っていたが、まさに僕がそれだったよう)。

いまだに仕組みはよくわかっていないし、なんか負けた気分だが(何に?)、とりあえず北斗の拳とエガちゃんのスタンプを買ってしまった。送る人もあまりいないので、妻に送りまくっている(笑。

「わが生涯に一片の悔いなし」のスタンプはちょーかっこいいが、どういう時に使えばいいのだろう‥。

 

某国のVIPが医療ツーリズムでやってくるので、内視鏡をするように少し前に命じられていた。VIPと言っても生半可な金持ちではなく、世界長者番付に入るレベルの金持ちらしい。

僕に割り当てられたのは2人で、1人は下部消化管内視鏡、1人は上下部消化管内視鏡をする必要があった。

幸い挿入は簡単で、1人は50秒代、1人は2分30秒ほどでTCSできた(前日どこかのホテルで豪遊していたようで便処置は2人とも悪かったが)。VIP?、それがなんか関係あるか?、知りまへんなあと開き直っていたのもよかったのかもしれない。

あまりに金持ち過ぎて実感がわかなかったのもある。前病院で副院長の内視鏡をした時はごっつい緊張した(笑。自分が理解できる範疇のものを、雲の上のものより高く評価することはままあることだ。

何泊かして、いろんな検査を受けて帰るらしいが、総額4桁万円!かかるらしい( ゚Д゚) 持っている人は持ってますなあ。僕にとっての1万円くらいの感覚なんだろうな(笑。

‥不条理やわ。ま、がんばろ。

 

今日の体重は76.4kg。最近、娘たちにおなかぷよぷよ~と言われているが、確かに太ってきている。しかし、今日はおなかの具合がごっつい悪く、数値は減った。バイトに行くとなぜかおなかの調子が悪くなる。朝ごはんは復活していた(笑。

 

汚い話で始まり、NHKを見直して、恥ずかしい思いをしたちょいストレスフルな当直の話

汚い話もあり、閲覧注意です。

 

今週のバイト先での当直の話。腹痛患者がウォークインで受診した。僕は消化器内科医だが、この病院には消化器の常勤がいないので消化器疾患の入院が難しく、消化器疾患を診づらいというもどかしさがある。しかし、ウォークインで来てしまっているのでとにかく診る必要があった。対応した事務曰く、腹痛で悶えているとのことで何度もトイレに行っているとのことであった。

とにかく一度診察をと思い、診察ベッドに寝かせた。どこが痛い?と聞くと、肛門が痛いと。便が出そうで出ないと訴える。腹痛は全くなし。とにかく一度ジギタール(肛門指診)をしてみることにした。

 

‥肛門を見るとやつと目が合った。‥うOこだ(目ないけど)。こんばんは。どうもこんばんは。肛門に挟まっている。結構太い。いわゆる糞詰まりだ。ここまで来たら自分でほじくり返せるやろうにと思いながら、摘便をした。何度も言うが、検査の中で大腸内視鏡はトップクラスに好きだが、便処置がよい状況でという大前提があり(この日、大学病院の大腸内視鏡で下剤飲んだんかいな?というくらい便処置が悪い人のポリープを9個取ったばかりだった)、うOこ自体は

嫌いランキングのトップクラス

に常にランキングしている。

 

仕事とはいえ、なんでおっさんのうOこをほじくらんといかんのだ、とニヒリズムに支配されながら黙々とほじくった。患者は悶えていたが、これを取らんと楽にならんよと言いながら、かまわずほじくった。結構ほじったので、浣腸するかと思い、ナースに用意をしてもらっていたら、ある程度予想はしていたが、激しく排便した。

まさに出る瞬間を目撃したが、僕の心にはさざ波もたたなかった。硬い便が出た後に柔らかい便が大量に出る経験を皆一度はしていると思うが、まさにそれだった。

普段は便秘ではなく、こんなことは初めてだというので、とにかくかかりつけ医を作って緩下剤について相談するようにいったら、ここでは薬は出ないのか?と言い出した。救急と夜間診療をごっちゃにしている発言にいらっとしたが、それは救急の仕事ではないと主張だけはしておいて、緩下剤を少し処方した。

 

その後もウォークインと救急車がちょこちょこ来たが、12時くらいにはすべてさばけた。火曜日の深夜のテレビは結構面白く、どうせ当直室ではあまり眠れないのでよくバラエティを見ているが、この日はNHKスペシャルが特に興味深かった。

安楽死についてのドキュメントで、神経難病(途中から見たので病名がわからないが、多系統萎縮症?ALS?)に罹患した人が安楽死のためにスイスへ渡っていた。

患者を何人も看取ってきたが(バイト先でも何人か看取った)、僕にとって死は仕事で触れるものであって、自分自身の問題としてとらえきれてはいない。近づきつつあるが、まだまだ先の問題と思っている(前のブログでも書いたが、怖いので目を背けている)。

安楽死は非常に難しく繊細な問題であり、僕自身の考えも曖昧模糊としているため、ここではこれ以上述べないが、番組内では家人に見守られながら、薬を投与して意識が混濁するところも放送していた。

NHKは不祥事がちょいちょいあり、ペイパービュースクランブルを導入せずに、勝手に流しておいて有無を言わさず聴取料を取る手法は、権力の横暴にほかならず、非合法組織のみかじめ料や押し売りと本質はなんら変わらないと思っているが、こういう良質な番組がたまにあるので、まあ払っといてもいいかという気にはなる。子供らはよく見ているし。

 

2時過ぎにようやくテレビを消して寝ようとしたが、安楽死の番組が衝撃的であり、なかなか眠れなかった。それでもいつの間にか眠ってしまっていたが、4時過ぎに病棟患者の急変で起こされた。その後、救急搬送依頼もあり、結局眠れなかった。

診察の合間を縫って7時過ぎに朝食を食べようとしたが、いつもは外科内科それぞれの分があるが、外科の先生の分しかない。しばらく待ったが、出てくる気配がないのでいろんなところに電話してみたら、今月からは外科の先生の分のみで、内科の分は事前申請がないと出せないと言われた。

‥事前申請も何もそんな話は全く聞いていない。病院の中にコンビニでもあればいいが、そんなものはない。昼前に開くちっこい売店のみだ(正直品ぞろえが悪くて一度しか使っていない)。

当直あけで帰られるなら別にいいが、そのまま内視鏡を1日するため、何かを食べておきたい(朝を食べない人もいるが、僕は子供のころから朝食は習慣づいている)。

朝食は病院食で、毎回全く同じメニューで、味は悪くないが、長期入院の患者は飽きるだろうなと思っていた。無いなら無いで前もって用意する(夕食はそうしている)が、いきなり言われて戸惑った。

検食の評価も毎回僕が書いていたのに、せめて前もって言ってくれよと思ったが、仕方ないので教えてもらったパン屋に行って朝飯を調達した。

 

午前の内視鏡が終わった後、医局秘書さんにこう言われた。

非常勤の先生(内科は基本非常勤が当直している)は朝食を食べない人が多いので、今月から廃止したが、また再開します。

‥俺、めっちゃ朝飯食べたいみたいやん。いや、無いなら無いでええねんけど、ごっつい恥ずかしいわ。一応、お礼を言っておいた。

ある患者が入院適応であったが、認知症があり、個室が空いていないため、入院させることができなかったり、なんかストレスがたまる当直だった。内視鏡バイトだけにしたいが、当直をしないと前病院よりも給料が下がってしまうので踏ん張らざるを得ない。

 

今日の体重は76.5kg。いらっとしていたのか、朝のパン屋で多くパンを買ってしまい、昼は中華を食べに出た。色々食べ過ぎた。

生きよ、堕ちよ

川崎で痛ましい事件があった。その犯人に対して、死ぬのなら一人で死ね、いやそれは違うという議論をネットで見た。

一人で死ねという発言がきっかけで、同じような環境にあるものの犯罪を誘発する可能性があるという主旨らしい。

 

こんな記事も見た。以下、引用。

「(Q.事件絡みでマスコミから取材がかなりきているかと思いますけども、それについては?)論点がずれているんじゃないかなと思います。引きこもりの人に一人で死んでしまえは間違っています。完全に。意味が分からない。一人で悩んで一人で自己完結して一人で死んでくれ、それは暴論だと思います。コメンテーターの方のご意見もそれも一つの意見だと思います。ただ、大きな大皿で一くくりにはしてほしくないなと。それは間違いなく思います。色んな要因が重なって今回の事件が起きただけで、そのごく一部の側面だと思う。引きこもりというキーワードは。100、200ある側面のただ一つだけを切り取って、引きこもりというキーワードだけが一人歩きしていくのはすごく嫌だな。我々も言葉としてちゃんと表現したい」

 

‥引きこもりに死ねとは誰も言っていないのでは? 精神障害者の犯罪率が高くないように、引きこもりの犯罪率も高くないと思われる。今回の犯人が引きこもりであったことと、事件の因果関係は不明だ。

「一人で死ね」には「他人(多くの場合、自分より弱いもの)を巻き込んで死ぬくらいなら」という枕詞がつく。もちろん、「死ぬな、生きよ」という大前提があっての話だ。

 

しかし、引きこもりに死ねとまでは言わないにしても、今回の犯罪を引きこもりと関連付ける風潮はゼロではない気がする。不確かな状態は不安で、わかりやすい答えを求めたがるのはある意味必然だ。正しいとは限らないが。

僕も20歳のころのままであれば、今頃引きこもっている可能性は高い。1年ほど引きこもり生活をしてみて思ったのは、僕には長期間耐えられないなということであった。あの頃は、同じようなプータローが何人かいたので、彼らと遊ぶくらいのことはしていたが、それでも全く前を向いておらず、何をしていても表層の楽しみしかなかった。

引きこもっていても、僕は自死は選んでいないだろう。死が怖いからだ。「悪霊」でキリーロフは、人間に自殺を思いとどまらせる理由は、小さなものが痛みで、大きなものがあの世だと述べた。もちろんこれだけではなく、もっと複合的な理由があるだろうが、キリーロフの自殺論を読んだ時、主人公のスタヴローギンよりもキリーロフの方に強い興味を抱き、大学1回生時のレポートにもキリーロフについて触れた。

人それぞれ背負っているものは全く異なるが、立ち入ることが許される距離の人には「生きよ、堕ちよ」と言いたい。

 

土曜日に小学校の運動会があった。午前中は仕事であり、内視鏡が6件入っていた。3件が下部で3件が上部であった。若い先生に、子供の運動会があるんで申し訳ないが下部は僕がさせてもらって、上部を先生に任せるわといった。

しかし、どこか焦っていたのだろう、挿入のバランスが狂ってしまって、スムーズにはいかなかった。それでも12時過ぎには病院を出ることができたので、午後からは見学することができた。

午前のリレーは娘、息子ともに先頭ランナーで一位でゴールしたらしい。息子は有志の音楽隊で太鼓をたたき、運動会の雑用がかり?も引き受けており、リレーのゴールのテープ係をしたり、旗を持って走り回っていた。娘も楽しそうに走ったり、踊ったりしていた。

狭い学校で座るところもろくになく、ずっといると疲れるので、午後からくらいがちょうどよかった。

 

今日の体重は76.6㎏。今日は、僕の誕生祝とのことで、夜に焼き肉をし(家が今でも臭い)、ケーキを食べた。この年になると誕生日自体はうれしくないが、妻と子供らが書いてくれた手紙とプレゼント(息子はアイス、娘は漬物)はうれしかった。

骨折や脱臼をした鎖骨がセクシー

今日の通勤時、降りる駅を寝過ごした。幸い二駅ほどで起きたため、遅刻はしなかったが、アルコールを飲んだ時以外で初めてのことだった。当直明けの翌日だったが、直明けよりも次の日の方が眠い。

 

流行りに乗っかってやってみた。

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わたくし。鎖骨がセクシー。

この女の人綺麗と思う?と息子に聞いたら、「‥おとうさんじゃん、おえっ。」と言われた。次いで娘二人に見せたところ、おとうちゃんかっこいいと普段言ってくれているのに、微妙な反応だった。

確かに自分が強すぎて、ニューハーフにしか見えない(笑。

 

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長男。結構かわいい。友達のお母さんたちに、「ゆうくんはしゃべらないといいんだけどね~。」とよく言われている。

 

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長女。長男によく似ている。長男はこの写真を見て、僕じゃんと言っていた。鈴木福君にも似ている。

 

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次女。やはりどこか長男に似ている。3人ともあまり似ていないと思っていたが、こうやってみるとどこか似ている気がしてきた。

 

アメリカの医学部の学生(医師免許を取ったか取らないかくらい)が大学病院に1週間ほど見学に来ている。見た目は東洋系だが、中国系で日本語はあいさつ程度。僕にはあまり関係ないと思っていたが、学生の見学スケジュールを見たら、なんと僕のESDの部屋に割り当てられている。2度見したが、間違いなかった。

‥困った。‥英語か。

僕は受験生時代、大学別模試で英語だけ名前が載っていた。母校は10番代、ワンランク上の大学では20~30番代だったと記憶している。Z会の英語でも段を持っていた。

が、僕のいびつな経歴から推察されるように、学校でほとんど勉強しておらず、予備校にも行っていないため、耳で英語を学ぶことがなく、読解、文法、英作文に特化していた。センター試験も2次試験もリスニングがない時代であったため、これでもなんとかなったが、それゆえヒアリングとスピーキングは壊滅的で、誇張抜きで気の利いた小学生にも負けていると思う。

ここまで読み書き能力と聞く話す能力が解離したものはなかなかいないだろう。日本の英語教育の歪を極端に体現していた。

たまに外人の患者が来た時に困ったり、海外の学会に行ったりして半分以上(ていうかほとんど)何言っているかわからないことを経験して、少しは聞けて話せるようにならないとと思い、それなりに勉強をしたこともあったが、どこかでこのまま話せなくてもええやんけと開き直っている面があり、本気ではなく、毎回頓挫していた。

 

このような体たらくだが、僕の部屋の見学まで2~3日しかなく、今更勉強してもしょうがないので、なんとかなるやろと開き直っていた。若いころの僕なら眠れないくらい気にしていただろうが、おっさんになって図太くなった。

そしてESDの日がやってきた。本来、僕は介助と指導をする予定であったが、術者が多忙であり、急遽術者をすることとなった。部屋で待っていたら、その学生がやってきた。

もともと、初対面の人と他愛のない会話をすることが日本語でも苦手なのに、ましてや英語だ。ESDについて説明し、向こうの質問に答えつつ(ワンモアを何回言ったことか)、早く患者こいこいと念じていた。そういう時に限ってなかなか来ない(笑。

漸く患者が来たが、まず尿道バルーンを入れる必要があった(この大学病院では男は医師が入れないといけない)。尿道バルーンを入れたのは研修医の時以来で15年くらい前だが、英語を話すよりはましだったので助かったと思いつつ、とりかかった。

ESD自体は病変がscar近くにあり、難渋が予想されたが(指導の予定であったが、今年発売されたEndo-skill update 2018の豊永Dr.の切除を見てイメトレをしていた)、なんとか40分で切除することができた。

臨床工学技士さんのアドバイスでスネアとクリップを用いて病変をけん引したが、これが有効であった。大学病院のコメディカルは市中病院よりあまり働かないが、臨床工学技士さんは非常に優秀で助けられている。

終わった後に標本を見せて、少しだけ話をして、最後にI'm sorry, I am not good at English.というと、いやいや素晴らしい技術を見せてもらった(アメリカではESDはあまり普及していないらしく、見たことないと言っていた。胃癌が少なくて、大腸癌が多いという事情もあるだろう。一般的には大腸ESDの難易度は胃ESDの難易度より高い)とお世辞を言ってくれた。

くそー、僕の英語力がもっとあればもう少しやりようがあったのにとせっかくアメリカから来ているのに申し訳ない気持ちになった。

 

今日の体重は76.8㎏。患者さんからクッキーをたくさんいただいた。なかなか買えないクッキーらしく、半年待ちもざららしい。もちろん美味しくていくらでも食べられそうだ。やばい(笑。

冷静になると紙袋はないわ‥

今テレビでやっている白い巨塔をちょこちょこ見ている。原作では訴訟になる疾患はカルジア・クレブス(胃の入り口の癌)だったが、診断ツールとして胃透視がメインであった時代ならともかく、内視鏡全盛の時代には決して診断が難しい疾患ではないため、膵癌と肝臓のリンパ腫というマニアックな病態に変更されていた。

岡田准一はめちゃくちゃ男前だが、白衣があまり似合わない気がするのは僕だけだろうか‥。沢尻エリカの愛人役ははまり役だ。

 

今週は前病院の後輩の結婚式があった。

結婚したら買えないだろうと思い、一生ものとして使うもの(靴、時計、コート、カバンなど)でちょっといいものを独身時代に買っていた。そのうちのカバンの留め金が壊れていてしばらくほったらかしにしていたが、結婚式があるのでブランドショップに修理に持っていったら20000円以上かかり、1か月以上かかると言われた。さすがに高すぎるため、近くの修繕屋で直してもらうことにした。

いずれにせよ、結婚式にもっていくカバンが無いため、どうしようかと思ったら妻にちょっと上質な紙袋を持たされ、これでいいじゃんと言われた。

まあいいかと思い、結婚式に参列したが、もちろんそんな紙袋を持った者は一人もいなかった。袱紗がでかくてポケットに入らなかったが、それでも袱紗だけを持っていった方がよかった(笑。後輩たちは紙袋でもかっこいいと言ってくれたが、多分内心死ぬほど馬鹿にしていただろう(笑。急に恥ずかしくなってきたため、引き出物の袋に早々に突っ込んだ。

後で妻に、紙袋のやつなんかおらんかったわというと、からからと高笑いしていた。妻は僕に惨事が降りかかった時、本当に楽しそうに笑う。

結婚式はいい式であった。僕も同じホテルで結婚式を挙げたが(僕は披露宴はしなかったが)、景色がいいホテルで、かなり暑い日だったが気持ちよかった。約2か月ぶりに前病院の同僚にあったが、まだそんなに経っていないのに懐かしかった。

 

今日の体重は76.7㎏。今日は娘二人と昼食を食べに行き、その後ゲームセンターと公園に行った。5月とは思えないほど暑い日で汗をたくさんかいたが、体重は減らない(笑。

転職ならぬ転病院における迷いと決断

迷いと決断というお題で思いつくのは去年から今年にかけての転職、というか転病院だ。

大学卒業後、研修医2年と後期研修医3年を公立の2次救急病院で過ごした。その後、公立の3次救急病院にうつって12年目を迎えていた昨年の秋に、上述した2次救急病院から内視鏡治療を統括する医師として来てほしいというオファーが勤務している病院の部長経由であった。

オファーを受けるべきか、否か

ここで僕が考えた選択肢は2つ。

○オファーを受けて、2次救急病院に行く。

○オファーを蹴っ飛ばして自分で病院を探す。

オファーを蹴っ飛ばして、3次救急病院に残るという選択肢もあるが(後で知ったが、そうしている医師もいた)、3次救急病院は激務で、また長くいすぎたこともあって後2~3年で辞めようと思っていたので、その選択肢はなかった。

2次救急病院は、3次救急病院ほど消化器に専念できないが、内視鏡治療の統括というのは魅力的な話であった。また医師になって最初の5年という重要な時期を過ごした病院でもあり(研修医の同期とは2年を過ごしただけだが、15年以上過ぎた今でも定期的に会っている)、全く問題がない病院だとは言わないが、愛着はあった。

しかし一番のネックは一緒に働きたくないスタッフ(以前同じ病院で勤務していた)がその病院にいることだった。表だって揉めたわけではない(僕が我慢していた)が、自分がやりたいようにやるから他の人は文句を言わずにそれに従いなさいというスタンスが受け入れ難かった。

急性期か、生活の質か 、それとも‥

自分で病院を探すというのは未知であり、またここでも次のような迷いがあった。

○もう少し急性期の病院で頑張るのか。

○40代も後半に入ってきており、仕事のペースを落とした病院を探すのか。

業者を通していくつか病院を見に行ったが、そのうちの急性期病院はオファーを受けた病院を凌駕する魅力はなかった。少しペースを落とした病院にも見学に行ったが、生活の質はぐっと改善しそうであり、魅力的で正直ぐらついた。

オファーを受けた病院からは消化器部長だけでなく、院長からも電話、手紙を頂き、また直接面談にも来られた。熱い先生でここでも正直ぐらついた(ほんとぐらぐら)。

 

両親や妻にも相談したが、結局決断するのは自分であり、悩んでいたところ、知人を経由して大学病院での勤務の話を頂いた。母校でもなく、これまで働いていた病院の関連大学でもなく、縁もゆかりもない大学であったが、これまでの医師人生を市中病院で過ごした僕にとって、大学病院は未知の世界であった。

2次救急病院か、ペースを落として働ける「生活の質」を保てる病院か、それとも大学病院か。悩んだが、クリアーカットに答えはなかなか出てこなかった。

決断‥? 消去法‥?

上記オファーを受けてから、決断まで時間がなく、ゆっくり考える時間もなかったが(非常勤で食いつないで、もう少しゆっくり考えることも考慮したが、家族のことを考えるとそれも選び難かった)、最終的には大学病院を選んだ。

大学病院という未知の世界に興味があったのと、何年かいれば学位を貰えるというのと、あと数年はまだパフォーマンスを落とさずに治療内視鏡ができるだろうと判断したのが決断した理由だが、正直なところ、減点法で決めたという側面は否定できない。

もっとたとえがうまくなりたい 

この選択肢がよかったのかどうか何とも言えない。しかし、4月に赴任後1か月以上経っても臨床一本やりで来た僕は、臨床だけでなく研究や教育の場でもある大学病院に戸惑いを感じている。何も考えずに臨床に没頭できるというのはある意味幸せな環境であった。

これまでサッカーをすることだけに専念していればよかったのが、チームをうつってサッカーだけでなく、クラブの運営や球場の清掃にまで労力を割く必要が出てきた。

‥たとえとして伝わるだろうか(笑。