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生きよ 堕ちよ

高校留年~プータロー~文系大学~再受験し医師~内視鏡に魅せられ消化器内科へ

高校留年した僕が医者になった経緯②

高校留年した僕が医者になった経緯

今日は娘二人を連れて水族館へ。イルカショーが楽しかった。

 

2度目の3年生へ

 

続きを書く。

高校留年した時に、選択肢は二つあった。

このままもう一度3年生をするか、中退するか。はっきりとは覚えていないが、同級生で10人以上留年したものがいた。留年を選んだ者もいたし、中退して、単位制の高校にうつった者もいた。

 

結局留年することを選んだが、どうしてこうしたかはまったく覚えていない。かっこ悪いので地元の友人には高校の近くの予備校に通うことにしたと嘘をついていた。高校が私服だったのが幸いしたが、もっと近くに4大予備校がすべてあるのに、どうしてそんな遠いところのマイナー予備校に行くんだ?と聞かれた時は少し困った。

 

留年した同級生に加え、2年の時に留年していた何人かと知り合い、つるむようになったが、それでも学校が楽しいわけはなく、ますます足が遠のき、1学期の時点で再留年が決定する欠席数を余裕で越えていた。タバコで停学をくらうという大変ダサい経験もした。

 

担任に呼び出され、このままだと再度留年するぞと言われた。しかし、これから毎日来ればなんとか卒業できるかもしれないと言われたため、2学期からはほぼ毎日行った。しかし、勉強はまったくせず、初めてクラスで最下位の成績をとった。一緒に留年したやつに馬鹿にされたが、そいつはブービーで五十歩百歩であった。しかも、そいつは僕より平均点数が低く、クラスにもう一人バカがいただけだった(笑。

 

そいつはまあまあ屑で、金を数万円貸していたが、なかなか返してくれなかった。埒が明かないので、お互い追試となった古文のカンニングをさせてくれたら、ちゃらにしてやると無理やり自分を納得させるために条件を出した。そのころは得意科目、苦手科目などなく、すべてが苦手科目であったが、特に古文だけはまったくわからない上に勉強意欲もわかず、受験勉強を真面目にするようになっても苦手であった。

 

一応見せてくれたが、結局僕よりも出来が悪く、僕のほうが成績がよかった。すると何でカンニングしたお前のほうが成績がいいねん、納得いかん、俺のをカンニングしたことを先生に言うとわけのわからないことを言い出した。借金チャラにしておいてもらって何を言うとんねんとうんざりした。他にも不愉快なことは多々あったが、留年して他につるむやつもいないので仕方なく付き合っていた。高校を卒業してからは一度も会っていないので、今どこで何をしているかは知らない。

 

2学期、3学期と真面目に行った甲斐あり、なんとか再留年は免れ、放り出されるように卒業した。

 

ふざけた大学受験 

 

まったく勉強していない癖に、大学の願書を3つも出していた。受かる可能性など0であるのはわかっていて、二つは受けに行かなかったが、一つは受けに行った。受けに行く前の日も、中学の同級生が数人家に来ていて、英単語ターゲットの最初の20くらいを覚えている僕を見て、おー賢いやんけと言い、僕もそうか?などと答えていた。皆、プータローかフリーターであり、大学受験とは無縁のものだった。

 

ひとつ受けに行った大学は、高校の系列大学であり(といっても当時は内部推薦はなかった。入った時は、その大学になんか行くかと皆言っているが、結局そこに落ち着く者は多い)、もともとの学年のものが一浪で多く受けていた。

 

これが僕の初めての大学受験だが、ある意味一番強く印象に残っている。

とにかく問題がわからない。いや問題の意味すらわからない。そりゃそうだ、まったく勉強していないのだから。本当に苦痛であった。

 

昼ご飯の時に、もともとの学年のものと食事をしたが、皆、あかんわ、できんかったわと口々に言っていた。このままやと受けても無駄やな、今からマージャンでもしに行くかと誰かが言い出し、いいなそれと皆同意した。

 

僕は本気でその場にいるのが嫌だったので、よし行こうと一人だけガチのテンションで言ったら、皆は、そうは言うても受験料払ってるしな、やっぱり受けるわと急に冷静になった。そりゃまあ、そうなんだが、あかんようなこというて、みんな受かる気やん、ほな、マージャンするとか言うなやとちょっと苛々してしまった。

しかたないので、一応最後までいたが、当然のごとく落ちていた。

 

後ろ向きなプータロー生活

 

この時点で将来のことなどまったく考えておらず、回りにプータローやフリーターが結構いたことから、僕も迷わずプータロー生活に突入した。プータロー生活は楽しかったが、何も積み上げず、時間をすり減らしているだけであった。無意識下に焦燥は間違いなくあったが、刹那の快楽に溺れて目を逸らしていた。

 

高校時代の同級生にプータローをしている者がいて、そいつとつるむようになった。そいつの中学の同級生に皆のたまり場になっている家があり、そこでマージャンをしたり、カラオケに行ったり、飲めない酒を飲んだりしていた。地元では中学の同級生とバイクに乗ったり、カラオケに行ったり、ふらふらドライブしたりしていた。後は一人で延々ゲームをしていた。

 

このころに前向きなことをしたのは、車の免許を取ったことくらいだった。当たり前だが、金がなく、ピーピー言っていた。20万くらいのしょぼい軽を買い(パワステもパワーウィンドーもなかったし、ホーンがならなかったが、東京まで往復で行ったりもした)、セルフのあまりない時代に、ガソリンスタンドで1000円分を平気で入れていた。

 

この有様なのに、成人式には参加した。最初は行くつもりなかったが、中学の同級生が前日誘いに来たため、当日スーツを作って(ウエストはベルトでごまかした)、急遽行った。いやあ、プータローのくせによく行ったわ。式場では、特にこれといったことはなく、皆で食事をして帰った。

 

高校の同級生のプータローが、父親が大学に行けと煩いのである大学に願書を出して、一応受けに行っていた。試験に小論文があり、尾行とピーピングについて書いたとわけのわからないことを言っていた(本当かどうかは知らないが、彼はかなり特殊な性癖を持っていると自称していた)。そいつも1秒たりとも勉強していないため、発表を見に行かない(僕は上述した大学受験ではもちろん見に行かなかった)と思っていたら、見に行くから一緒に着いてきてくれと言い出した。受かってるわけないやんけと言ったら怒り出したので、仕方なく見に行った。

 

当たり前だが、名前はなかった。受かっているわけはないのだが、不思議なことに落ち込んでいた。本当はガチで受けたんだろうか? 落ち込むくらいならちゃんと勉強すればいいのに。 

 

さらに不思議なことに、合格したと父親を騙すために、母親とともに、合格祝いの食事会を開いた。僕も参加するように言われ、参加した。母親が勤めているバーの下のふぐ料理の店で行ったが、そこのマスターや母親の知人におめでとうと言われ、彼はうれしそうにしていた。その時は笑いをこらえるのに苦労した。合格祝いやと食事はマスターのおごりだったが、てっちりやてっさもあり、結構な額だっただろう。罪深いわ。騙すためになんで合格祝いまでする必要があったのか、今でもよくわからない。合格証書見せろといわれたらどうするつもりだったのだろうか。

  

高校の同級生で2浪していたものも何人かいたが、ある時、そのうちの一人に、俺もあかんけど、お前見てるとほっとするわと言われた。そう言われても、まったく反論できない状況であり、へへへと笑って聞いていた。彼は毎年、関東、関西と10校以上大学を受け散らしており、受験期に皆にちょっとした旅行をしていると言われていた。受験時の新幹線で小学生の男の子の太ももに興奮したなど言っていたが、そんな状況であり、不合格連発であった。

 

最終的に龍谷大学の法学部に補欠で受かり進学した。4年で卒業したが、就職がなく、親の金でアメリカに行ったり、キャバクラに通うためにバイトをしていたが、突然司法試験を受けると言い出し、専門学校に通いだした(ロースクールができる前)。僕が後期研修医の時にあったきりだが(その時は司法試験は3カ月で受かると言っていた)、それ以降音信不通となり、どうしているかよくわからない。

 

蓄積した焦燥がついに爆発し、勉強開始 

 

2浪していた同級生も皆進学先を決め、プータロー仲間もバイト先を探してきたり、就職をしたりしている中、僕だけが前に向かおうとしていなかった。

しかし、4月のある日、朝起きた時に、勉強をして大学へ行こうと突然思った。きっかけとなる出来事は特にないが、蓄積した無意識下の焦燥が臨界点を越え、刹那の快楽でごまかしきれなくなったのだろう。レールを飛び出し、人生を切り開く才能がないことは自分でも重々承知していた。そのため勉強をするしかなかった。

 

会社を経営し軌道に乗せたり、プロスポーツ選手になるには、これをすれば必ず成功するという手法は存在しない。才能やセンスの面が大きい。しかし、勉強はある程度のところまでは才能など必要ない。上記ジャンルに比べるとはるかに公平だ。そのことはわかっていた。しかし、ちゃんと向き合わずに易きに流れていた。

 

長くなったので今日はここまで。