生きよ 堕ちよ

高校留年~プータロー~文系大学~再受験し医師~内視鏡に魅せられ消化器内科へ

高校留年した僕が医者になった経緯③

勉強開始

 

突然受験勉強をしようと思い立ったが、高校に入って以降ほとんど勉強しておらず、何から手をつけたらよいかわからなかった。妹に勉強のやり方を聞いたり、受験本をとりあえず買ってきて読んだりした。

 

その本に、まず志望校を決めろと書いてあったので、どこの大学を目指そうかと考えた。といっても、大学のことなどほとんど知らないので、高校の同級生が通っている国立大学(僕の直接の知り合いが通っている一番賢い大学だった)を第1志望にし、なんとなく憧れていた関西学院を第2志望にした。

 

何がしたいかということはまったく考えず、大学へ行くこと自体が目標であるため、学部選びも適当で、高校は文系コースにいたこともあり(勉強してないから、理系も文系も関係ないが)、とりあえず就職するなら経済学部かと安易に決めた。

 

国立を目指すのなら、まずはセンター試験だと思い、勉強開始時すぐに過去問をやってみた。今は違うようだが、当時は800点満点であり、確か200点あるかないかくらいだった。しかもほとんどは国語の点数であった。

 

この時点で点がとれるとは思っていなかったが、これが悪い点だというのはさすがの僕でもわかった。

 

宅浪を選択 

 

家から30分圏内に4大予備校すべてがあったが、今の段階で予備校に行っても、ついていけないし、授業料が無駄だと考え、宅浪を選択した。

高校に4年通ったおかげで、社会は大体やっていたが(身についたものはもちろんないが)、どれもあまり興味が持てず、唯一やっていない倫理政治経済を選んだ。理科はなんとなく生物を選んだ。

 

20年以上前の話なので、どんな勉強をしていたか、詳しくは覚えていないが、大学に合格した後に振り返ってみると、かなり愚かな勉強をしていた。数学はいきなり青チャートから始めたし、英語も小難しい参考書をやっていた。

 

第一志望にした国立大学に通っている高校の同級生に、受験勉強をすることにしたというと、彼が使っていた参考書をくれたので、それを使って勉強しだしたところ、さっぱりわからなかった英語がなんとなくわかるようになってきた。

 

バカにしてくれてありがとう 直接はいわんけどな

 

中学の同級生に、受験勉強をすることにしたといったところ、どこ受けるねん?と聞かれた。あまりにしつこいので第一志望校を伝えたところ、え?、うかるわけないやん、OO大学やで、絶対無理やんと言われ、笑い飛ばされた。

 

大学に行っている者に言われるならまだしも、仕事がしんどいからと既に2回も転職し、そのくせ同い年の奴が大学卒業した時には4年先に働いている俺の方が給料上やとわけのわからないことを言っている(プータローの時の僕ですら同意できなかった)おバカに笑われる筋合いはなかったのだが、とりあえず言い返さなかった。まあ、見とけと思い、付き合いだけを絶った(後日大学に合格した後、たまたま道で会った時に話しかけてきたので、話しかけるなとだけ言い放った)。

 

彼にはある意味感謝している。勉強を継続するモチベーションは美しいものや前向きなものだけでは十分でない。きれい事だけでは継続できない。ルサンチマンまで総動員し、どす黒い衝動や薄汚い感情も勉強のモチベーションに昇華させた。僕はこれを否定しない。人格は若干歪んだし、失ったものもあるが。

勉強の原動力の一部を担ったのは彼だ。お礼は言わないけどね。

 

邪魔せんといて 

 

実家はマンションで、僕の部屋は廊下に面していたので、これまでも皆、親を介さず、窓をノックして誘いに来ていた。受験勉強を始めた後も、皆構わず誘いにくるし、遊んでいても上述した時ほど露骨ではないにせよ、嫌なことを言われるようになってきたので(そりゃ、今まで自分たちと同じようにだらだらしていた者が、急に勉強するなどと言い出したら、僕がその立場でもイラつく)、部屋を変わり、誘いにも乗らないようにした。

 

こうしてたまに訪ねてくる高校の同級生を除いて、人付き合いを絶ち、毎日勉強を続けていた。問題はまあまあ解けるようになっていたが、模試を受ける発想もなく、自分の実力がどの程度なのかさっぱりわからなかった。

 

夏が過ぎ、秋となった。センター試験の願書を出さないといけないが、どうやってもらったらよいかわからなかったので、家から一番近い国立大学へ行き、ふらふら歩いて、ある建物の警備の人に聞いてみると、ありますよと言われたので、もらって帰ってきた(それ以降もここでもらうことになる)。

 

私立大学は関学の経済と商に願書を出した。昔から関学におしゃれなイメージを抱いており、KKDRでは一番好きだったので、そこだけに出すつもりであった。しかし、関大の新しくできた学部も魅力的であったので、そこにも願書を出した。これらに落ちたらどうしようと不安に思い、まったく主体性のない理由だが、高校の同級生が通っている龍谷大学の2学部に、センター利用であるが、願書を出した。

 

受験本番

 

そしていよいよセンター試験を迎えた。僕にとっては高校入試以来の真剣な試験だ。最寄り駅に着き、会場に向かっていると血相を変えて逆向きに走ってくるものが何人かいた。なんだなんだ?と思っていると、会場の入り口で、ここはOO大学ではないのですか?と聞いているものがいた。そこの会場は高校で、たまたま最寄り駅が同じ会場が二つあったため、人の流れに乗って間違った会場に来てしまったようであった。

そこから、大学はかなり遠いため、試験開始には間に合わなかったかもしれない。僕は自分の会場の高校の場所を知っていたので、たまたま間違えなかった。しかし、それ以降、センター試験、大学受験、医師国家試験と行ったことない試験会場はすべて下見に行った(医師国家試験は違う友人と2回行った)。

 

初めてのセンター試験はよくわからないまま終わった。昼食をもっていかなかったので、近くに食べるところが無く、コンビニもなかったため、往生した。それ以降、おかんに弁当を作ってもらうようにした(内科認定医の試験の時も作ってもらった)。

 

自己採点をしてみると、800点中610点ちょいだったが、これがどのくらいの点数なのか、さっぱりわからなかった。その時の僕はセンターリサーチの存在すら知らなかったが、たまたま行った地元の本屋で、確か旺文社だったと思うが、センターリサーチをやっていたので、書いて送った。

 

え? 肺に陰?

 

第一志望の国立は、確か下から2番目の評価だったと思う。ボーダーには届いていなかったが、全く気にせず、願書を出した。

いきなり3浪であるため、願書に健康診断が必要であったが、その健康診断を作ってもらいに行った病院で、肺に陰影があると言われた。無頼派気取りで生きてきたが、実際かなりの小心者である僕は、これまで吸っていた煙草をすぐにやめた。

 

あほすぎる‥ 

 

まず私立の試験が始まった。関学が最初であった。手ごたえはあまりなかったが、経済、商とも受かっていた。前の席で、京大がどうのこうのいって、周りを威嚇している(つもりの)者がいたが、その彼は落ちていた。

関大の試験は、今はなきローカル予備校が会場であった。たしか、英国数のうち2科目選択で、まず英語の試験であった。英語は非常に簡単で、ほとんどできたので、これは受かったなと思った。次の国語は選ばなかったので、食事のため、一旦家に帰ったが、途中で雑誌を買い、家に帰って風呂に入って読んでいた。グラビアページを読んでいるうちに内なる衝動に身をつかれ‥。気がつくと無駄なカロリーを消費していた。おかげで次の数学は散々で、解なしという答えが2~3問でてくる始末であった。案の定落ちた。

 

龍谷は、気分転換に合格発表を見に行こうとし、玄関に行った時にごとっとドアポストに何かが入れられた。とりだしてみると、合格通知だった。合格発表はまだなのに、もう来ちゃったと思い、結局行かなかった。

 

本命の国立大学の入試の前に、その大学に通っている高校の同級生と会った、受験のアドバイスをしてくれたり、僕が解けなかった問題をあっさりと解いたりし、単純に尊敬の念を抱いた。

 

後日、僕が医学部に入った後、彼が建築を学ぶため、某大学を再受験するからと、数学の過去問の模範解答を作らされたが、その時には彼は色々忘れてしまっていて、 解説をしていたところ、おー微分な、なんとか+Cやろと積分微分がごっちゃになっていて、あの時の賢かったあいつはどこへいったんやと悲しい気持ちになった。

 

本命の国立大学の前期試験を迎えた。数学が終わって、友達同士答え合わせをしているのを聞くともなしに聞いていて、自分のケアレスミスが判明し、そのダメージを引きずったまま、残りの試験を受けた。しかし、終わった時は、まあまあできたので受かったかなと楽観していた。

 

落ちていると思ったあいつが

 

前期の発表を待っている間、後期に備え勉強しないといけないが、身が入らないでいたところ、龍谷に通っている高校の同級生が2人遊びに来た。落ちていると思ってきたのだろう、にやにやしていたが、結果は聞いてこなかった。まず関大での話をした。

 

「‥で、あほなことして、関大落ちたわ。」

「あはっはっは。バーーーカ。」

「ま、関学受かったからええけどな。」

「えっ?」

 

おもむろに合格証書を出した。空気が冷えたのがわかった。彼らの顔はひきつっていた。あれだけ見下していた僕が、自分たちが届かなかった大学に受かったことを受け入れられないようであった。全部落ちていると思ったと言われた。見下されて当然であったので、別に彼らに怒りはなかったが、ちょっと嬉しかった。

 

で、本命の国立大学であるが、落ちていた。ショックは受けたが、あまり引きずらず後期を受けた。後期の問題はものすごく簡単で、かなりの出来であり、合格を確信したが、僕の番号はなかった。簡単すぎて差がつかなかったのであろう。センターでビハインドを背負っていた僕は落ちるべくして落ちたのだが、かなりショックだった。

 

合格発表の場で、「受かったの? おめでと~~~う。」とチアガールが叫び、ブラスバンドがじゃかじゃか演奏していた。応援団もシンバルを鳴らしていた(この時に応援団が嫌いになった)。落ちた人間への配慮はないんかいと思いつつ、とぼとぼと帰路についた。僕の負のオーラを察し、誰も近づいてこなかった。

 

後日、成績開示をしたら、前期後期とも惜しいところで落ちていた。特に後期はぎりぎりアウトであった。

 

うざいうざいうざい 

 

落ちたら進学しようと考えていた関学の入学手続きの締め切りが同じ日だったので、落ちたショックを引きずりながら、関学へ向かった。残酷やわー、1日くらいずらせよと思いつつ、入学金もろもろを払い、手続きをした。

 

憧れていた関学に入学するとはいえ、本命に落ちたショックはそう簡単には霧散せず、とっとと帰ろうと思っていると、在学生らしき男が話しかけてきた。

 

「入学手続きですか?おめでとうございます~~。」

「(なんやねん、こいつは?)はあ。」

「あれ、もしかして関学本命じゃないの。」

「(みたらわかるやろ、ぼけ)ええ、まあ。」

「本命はどこ?」

「(こいつ、うっさいのお)OO大学です。」

「あー、OO大学いいよね、僕も行きたかったんだ。でも関学もいい大学だよ、KKDRの一つだし。」

「(おまえのことなんかしらんわ。KKDRの一つやからってなんやねん。しょーもないオOニーは一人でせえ、ぼけっ)ああ、僕もKKDRの中では一番好きです(なんで俺合わせてんねんやろ。なさけないわあ)。」

「そうだよね~。」

 

そしてよくわからないサークルの案内をされた。こんなデリカシーのない男がいるサークルには絶対入らないでおこうと強く誓った。

 

そうしてはれて僕はKGボーイ(笑)となった。

今日はここまで。