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生きよ 堕ちよ

高校留年~プータロー~文系大学~再受験し医師~内視鏡に魅せられ消化器内科へ

高校留年した僕が医者になった経緯⑥

高校留年した僕が医者になった経緯

本日はバルーン内視鏡を用いたERCPを行った。昨年、他院でも行われていて、成功したとのことであった。逆にプレッシャーがかかったが、何とか処置はできた。空き時間に学会の準備をするつもりであったが、内視鏡のヘルプで呼ばれて、結局できなかった。

 

どこいってもはまれず 

 

続きを書く。

1人で家にこもって延々と勉強していた影響で、人とコミュニケーションをとるのが難しくなっていた。人としゃべる時に上手く言葉が出てこなかった。大学入学後も、完全なぼっちでないが、それに毛の生えたような状態で過ごしていた。

 

今でもそうだが、大体どこに行っても浮いてしまう。そこにいることの違和感を感じる場が多い。僕はどこにも所属しないデラシネなんだとカッコよく言いたいが、実際そんないいもんじゃない。医学部にすっと入るような真面目な人たちからすれば、僕は異質だろうし、かといってプータロー時代につるんでいた者たちからみても異質だ(大学4回の時、中学の同窓会で久々に会ったが、いきなり金貸してくれと言われ、切なかった。相手はフリーターだったが、こっちは学生だし、次いつ会うのかわからんのに。大した額ではないので貸したが、それ以降会っていない。そういう存在にすぎないんだろうなと悲しくなった)。

 

安住の地はクラスの後ろ 

 

先生、若いころもてたでしょ~と病院の飲み会でちょいちょい言われる。確かにある層にはもてる。大正~昭和前半には強く、今でもおばあちゃんのファンは結構いる。しかし、若い時にいわゆるもてたという記憶はない。

 

こう言われた時、僕はこう返す。

「もててへん。ていうかさ、クラスの後ろの方でゲームの話とかしてる女っ気のないきっしょい奴らおったやろ。俺、そのグループやから。」「うそでしょ~。」

 

嘘ではない、本当だ。そういうところが一番落ち着く。ヒエラルキーの下層とされている場所(えてして、こういう層の奴らの方が面白いし、このヒエラルキーは学校だけで、社会に出てからはひっくり返ることも多い)が定位置であった。

高一の時に、間違えてリア充グループに入ってしまって、女子高の文化祭などに連れて行かれたが、非常に居心地が悪かった。向こうも、コイツ違うと思ったのか、すぐに解雇された。

 

エロース は大事

 

かといって、女性に興味がないわけではなく、むしろ興味はびんびんにあるわけなので救いようがない。しょうもない話をしながら、ちらちら女子の方を見ているが、こちらの方に興味を持つわけがなく、たまに目が合うと嫌悪の色が走る(考えすぎかもしらんが)。色々こじらせて、気色が悪い。

だんさんのように2次元にのめりこもうにも、造形としては美しいが、温かみがなさ過ぎて、溺れられなかった。

 

いい年こいて、何を言っているのだと自分でも思うが、人見知りは年々増悪している。幸い嫁が社交的なので、対外的なことはすべて任せている。これで嫁も僕のようなタイプだと、色々支障をきたしていただろう。

 

医者しかできない

 

こんな僕でも、医者ならなんとかやっていけている(と思っている)。消化器内科は職人的な要素が多く、内視鏡をしている時はあまりしゃべる必要はない。外来と病棟ではしゃべる必要があるが、決められたことや必要なことを喋ればよいのでコミュ障でもなんとかなる(たまに雑談があるが、その時は少し困る)。

医者がこんなやつばかりではないが、僕に関しては医者しかできない不完全な人間だと痛感している。子供のころにイメージしていた「社会人」に自分はなれていない。毎日スーツを着て仕事をしている人を尊敬する。ジーンズ楽でいいけど。

 

荒療治

 

話を入学後に戻す。

さすがに進学校出身者が多く、僕の出身校のレベルは下から数えたほうが圧倒的にはやかった。一人同じ高校に通っていたが中退して、大検を受けて入ってきた者がいたが、賢いほうのコース(僕は普通のコースで、しかも専願。順位は知らないが、数学でポカをしていたので、決して良くはなかったはず)に1番で入ったとのことであった。

 

教養の授業は、関学よりは面白く、まあまあ真面目に行っていた。高校の同級生に誘われて、全学の某武道のクラブに入学した。医学部だけのクラブもあるが、そちらには入らなかった。

 

一応体育会であったので、練習はまあまあ厳しく週4日練習があった。体を動かすのが大嫌いであった僕にはかなりきつく、最初は準備運動の四股ふみで10回しないうちにふらついていた(高校の同級生も、誘ったのはいいけど、これを見てこいつだめやなと思ったらしい)。

 

なまった体とコミュ障に対する荒療治目的で入部したのだが、武道はまあまあ向いていたようで、最短で弐段になり(泥仕合ばかりだったが)、ヒエラルキーの一番下の段外の部門であるが、大会で優勝も経験した。ヒエラルキーは下の方が層が厚く、優勝までに8回も試合をし、へとへとになった。メダルと賞状と賞品の道着を持って帰ったら、おかんが、なにそれ?優勝したん?あんたが優勝するわけないわな、と言い放った。考えてみれば、おかんには医学部に受かった時以外ほめられた記憶がない。

 

ちなみに球技はまったくだめで、色々やったが、ものになったのは一つもなかった。中学の時は野球部にいたが、ベンチすら入れず、3年間坊主にしただけだった。練習を真面目にしていないのもあるが、野球センスが皆無であった。球技がダメなものが格闘技に移ると聞いたことがあるが、実際当たっている気がする。

 

応援団嫌い 

 

学祭で応援団に芸をさせられた。二人でマヨネーズ一気とケチャップ一気をしたが、案の定失敗した(僕はマヨネーズ。練習はしなかった)。あんなもん、飲めまへん。終わったあと、一緒に恥をかいた部員と 応援団つぶそうかとぶつぶつ言っていたが、逆切れもいいところだった。お好み焼き and オムライスでコンビ組むかと言って、自分と場の空気を和ませようとしたが、乾いた笑いしか起こらなかった。

 

罰ゲームをしたいがためのゲーム

 

確か、2回生のころだったと思うが、高校の同級生と集まった時に、朝まで億万長者ゲームをし、負けたものが罰ゲームをすることになった。やつらの罰ゲーム好きは異常で、しかも相当ヘビーな罰を考え出す。

ある時、サウナで首にひもをつけて、全裸で四つん這いのままマッサージをするスペースにしばっておくという誰が得するのかわからない罰ゲームを行った。店員に注意されたら、逆切れして、店員のくせにわらわへんとはどういうことや、何様や、クレーム付けに行くと言いだした。え、こいつら何言うてんねんと思ったが、本当にクレームをつけに行き、支配人を出せと騒いでいた。もちろん相手にされなかった。

他にも下品な罰ゲームは多々あるが、一度その話を飲み会でしたら、皆ドン引きであったので、それ以降は封印した。

 

25前後の男たちが、徹夜で億万長者ゲームを行った結果、僕が負けてしまった。やつらが考えた罰ゲームは、全裸で首にひもを結び、パンツをかぶり、四つん這いでコンビニに入り、1分徘徊し、外でジャンピングスクワットを10回するというものだった。ていうか、あいつらどんだけ首にひも結んで、全裸で四つん這いが好きやねん。

ここでやらないという選択肢はないため、つかまって退学になったらどうしようと脅えながら、しかしフルテンションでやった。その時の写真をとられ、僕が出世した時の脅迫の材料にするとやつらは言っていたが、残念ながら出世はしないので、それが陽の目を見ることはないだろう(笑。

 

トラウマ再燃 

 

教養はまあまあ真面目に通っていたが、一つだけ単位を落とした(全学のクラブに入っていたものは他にもいたが、高率に留年していた)。即留年ということはなかったが、単位を落としたものが呼び出され、色々説教された。転部も検討するようにとまで言われた。高校の時と違って、個々に色々言われはしなかったが、ショックを受けた。

 

高校の時よりも真面目になりました 

 

なんとか翌年単位はとれ、専門課程に進むことができた。クラブは教養までと決めていたので(脳が相当揺れるし)、専門課程にあがってからは勉強に専念した。解剖は真剣に取り組んだ。基礎はさほどでもなかったが、臨床にあがってからはこれが将来に直結すると思うと、勉強にも身が入った。

 

高校よりも通学時間はかかったが、高校の時とは比較にならないほど真面目に通った。バイトも色々やった。家庭教師も何人かやったが、あまり好きではなく、肉体労働のほうが好きだった(京大出身の後輩医師も居酒屋でバイトし、家庭教師や塾講はしたことないと言っていた)。佐川の荷物の仕分け、工場作業、チラシ配り、皿洗い、百貨店の特売の手伝い、ビルの解体など色々やった。

 

みてろよ、今度は客としてきてやる 

 

皿洗いのバイトの時、あるホテルで4~5時間ぶっ通しで皿を洗い続けた。おしゃれで、ロケーション抜群なホテルであった。高校の時のファミレスもそうだったが、厨房ってのは非常に暑い。喉が渇いて仕方がなかったが、水一滴でなかった。外人のコックが気をきかせてパンを持ってきてくれたが、喉からからやのにそんなもん食うたら、食道にへばりついてとれへんようになるわと思い、いえ、いいですと断っていた。遠慮していると思われたのか、かなりしつこく勧められた。きつさでは、佐川の仕分けの方がきつかったが、適当に水分補給ができたので、その点はましだった。

 

バイト後、いつかはこのホテルに客としてきてやると誓った。6回生の時に当時仲の良かった女性と一緒に泊まった時は勝ったと思った。結婚式を行ったのも、このホテルであった。

 

進路に悩む

 

最初は精神科医になるつもりであったが、臨床講義、ポリクリと進むうちに自分が考えていたものと違うと思い、その道は断念した。色々勉強していくうちに神経内科に興味を持ち、その道に進もうと思った(結局は消化器内科という神経内科とある意味対極の位置にある進路を選ぶことになるのだが)。

 

6回生になり、外病院の実習が始まった。ある病院で放射線科を回った時は10時~15時の実習であったが、それでも楽であったのに一緒に回っていた同級生が文句を言い、14時に終わるようになった。糞のような学生と思われても仕方ないのに、いい先生ばかりで、臨時で休みをくれ(同級生はできたてのUSJに行っていた)、毎回昼食をおごってもらい、最後には高級寿司をご馳走になった。

 

別の病院で内科を回った時、回診で行った部屋に、阪神の藪投手が見舞いに来ていた。やはりプロスポーツ選手はオーラがあり、体もでかかった。

 

6回生の秋に卒業試験があった。週に2~3個試験があり、とてもハードであった。徹夜で勉強して、試験後数時間寝て、また次の勉強をするということを繰り返していた。その途中に祖母が亡くなったが、葬式には来なくていいので試験を受けておけと親に言われたので、勉強していた。家には僕しかいないため、自炊しないといけなくなり、近所のスーパーで安い肉を買って来たら、それにあたってしまい寝込んだ。そのため、整形外科は追試となったが、それ以外は70%程度が優で残りが良とまあまあの成績をおさめた。

 

国試

 

大学によっては国家試験対策を行ってくれるところもあるようだが、うちの大学にそのようなものはなく、卒試でさえ国試と全く関係ない問題ばかり出す科もあった。大学受験と同様に、基本は独学で行っていたが、勉強会にも二つ参加していた。どちらも勉強というよりは息抜きがメインだった。

 

一つは普段あまり勉強をせず、授業にも出ない遊び人タイプ(自由選択の実習も彼らと一緒に回ったが、その中では僕が一番真面目で、課題は僕が全部やった。高校時代は彼らの方がはるかに真面目で優秀だったのだろうが)の者たちとであったが、進学校出身者の底力を見せ、普通に皆合格した。

  

クラブはやめていたが、やめてから筋トレに目覚めた。国試勉強でたまったストレス解消のため筋トレに励み、1日4~5時間トレーニングし、ベンチプレスも120㎏ほど上がるようになっていた、自宅にベンチプレスの台を買い、家で行っていたが、2回ほどバーベルが上がらなくなり、おかんに助けてもらったことがあった。あの時は本当に死ぬと思ったので、心の底から助けてくれと叫んだ。

 

おかんの鏡台を使って、筋肉をしょっちゅう見ていたら、おかんが嫌がって大きな鏡を買い、それを自分の部屋において好きなだけ見るようにと言った。最初はそうしていたが、そのうちその鏡を鏡台に向い合わせでおいて、背中の筋肉を見るようになった。おかんはもう何も言わなくなった。

 

国家試験は3日の長丁場であった。前の席の奴が、数秒おきに「ん、ん、ん」と言い続けていて、ペースを乱され、最初はいらいらしていたが、そのうち慣れてしまった。落ちるとは思わなかったが、あまり手ごたえはなかった。

 

国試発表まではだらだらしてすごした。何をしていたかよく覚えていないが、定年後までこんなにだらだらできる時はもうないだろうと思い、ひたすらだらけていた。

 

国試合格 医師へ

 

国家試験は合格した。受かると思っていたので、感動はなかったが、普通に嬉しかった。点数はまったく覚えていないが、普通の点数だったと思う。合格発表の日に、高校の同級生がやっていた居酒屋に行き、祝杯をあげた。

 

国試後の健康診断に行った医院でどこの大学?と聞かれ、答えると先輩であることが分かり、お祝いということでただにしてくれた。入学後にはあんなことを言ったおやじも国家試験合格後に回らない寿司に連れていってくれた。

 

某病院で研修をすることが決まっていたため、寮代わりのマンションに引っ越した。荷物も少ないため、車で数往復して自分で荷物を運んだ。

 

見下されるくらいしか存在意義がなく、高校留年、プータローとどうしようもなく後ろ向きな人生を歩んできたこんな僕でも医師になることができた。辛いことも多々あったが、なんとか医師を続け、10年以上が過ぎた。奴隷勤務医時代も経験したが、今は下の医師も増えてきて、少し楽になってきた。

他に何の才能もない僕が、今のような生活を手に入れることは他の道ではできないだろう。もちろん親のバックアップがあってこそで、それがないとこんなことは許されなかった。

 

今日はここまで。