生きよ 堕ちよ

高校留年~プータロー~文系大学~再受験し医師~内視鏡に魅せられ消化器内科へ

バイトの思い出①

専攻医を終えて大学に戻る後輩がAGAクリニックでバイトをするらしいが、すごく魅力的であった。医師のバイトは割がいいものが多いが、僕は公的病院にしか勤務経験がなくバイトを禁じられているので、他所の病院や診療所に働きに行くというバイトをしたことがない。

うちの病院はおかしくて、研究会で講演をしたり、でかい研究会でプレゼンをして、お金が発生した時は貰ってはだめだというくせに(理由はよくわからない)、研究会の座長や、製薬会社に行ってMRのプレゼンを聞くことで発生するお金は受け取っていいらしい。

研究会の講演は結構準備に時間がかかって大変だったし、高輪プリンスの芸能人が結婚式を挙げるようなバカでかい会場で症例提示した時は、準備も大変なうえ、めちゃくちゃ緊張した。でもお金を貰ってはだめだと。くれるゆうねんからもろといたらええがな(どこかのナマポ芸人ではないが)、残業減らしましょうなんてメール送ってくるくせに。

しかし、製薬会社のMRの話を聞くのなんて、座って適当なこと言って弁当もらって帰るだけだし(1時間くらい。これで数万円もらえる)、ある時は内視鏡用のクリップの介助をして、そのメーカーの人に感想を言うだけで5万円もらった(これも1時間かからず)。僕からすれば、こっちのほうが貰ったらあかんやろうと思うが。

 

やや唐突だが、医師になる前にはいろんなバイトをしたので、思い出を書いてみる。

 

●フォルクス

高校生時。厨房に入ったが、最初は食べ放題のサラダばかり仕込んでいたので、包丁が大分上手になった。その後サイドメニューを作るようになったが、これが結構しんどかった。

駅から1~2分の好立地で、系列の中でも売り上げはトップクラスだったらしく、夕食時はひっきりなしにオーダーが入った。何より厨房は暑い。冬でも汗が止まらなかった。

容器にパイを載せてこんがり焼くキノコスープがあったが、オーブンが足元で見えないため、忙しい時はよく失念して焦がしてやりなおしということがあり、忙しい時に頼まれると殺意がわいた。高1の僕がサイドメニューを作り、高2の先輩がステーキを焼いていた。スタッフは何をしていたのだろう?

表はきれいだったが、裏は汚い(笑。時給560円だったが、多い月は十万位稼いでいた。女性がいたので楽しかった。初めてバレンタインチョコを貰ったのもここでだった。

慣れてくると居心地がよくなり、高校に行くのがめんどくさくなって中退してここに就職しようかと思ったこともあった。しかし、バイクの免許を取りに行くために休んでいたら、ジャンジャン電話がかかってきたので、しんどくなってきていたし、うざくなって辞めた。

今は経営母体が変わってしまい、メニューもぐっと変わった。ステーキハウスだったが、まかないはカレーばかりであった(深夜はステーキを焼いていたらしいが、高校生だったので入れなかった)。

 

●サンヨーの工場

高2だったと思うが、高校の同級生と行った。冷蔵庫の枠を延々運んでいたが、家から遠かったのと、単純にしんどくて1日で辞めた。ブロンズバックラーだ(笑。

 

●海苔屋の特売

大学生時。百貨店の入口に近いスペースで、各店舗持ち回りで特売やイベントを行っていたが、海苔屋がその当番の時だけ臨時で雇われた。その時は海苔がばんばん売れるため、地下の倉庫に待機して上に海苔を運んで行ったり、売り場で補充したり、揉み海苔をつめたり(地味に好きであった)、掃除をしたりしていた。

そんなにしんどくなく、拳法部つながりで行っていたので、皆でだべる時間も結構あった。百貨店の職員食堂を使うこともできたが、大して安くなく美味しくもないし、女子店員が化粧を一斉に直していて、食欲が失せるのであまり利用しなかった。ファミレスの裏も汚かったが、百貨店の裏はもっと汚く、ネズミを見たこともあった(笑。

 

●カメラマンのアシスト

大学生時。カーポートなどの撮影の手伝いをした。仕事内容はほとんど覚えていないが、カメラマンに目の敵にされた。普通に飯を食って、ごちそうさまと言って席を立ったら、その態度はないやろといちゃもんをつけられ、学歴高いやつはこれだからと言われた。

僕が医学部にどんな思いをして入ったか知らない奴にこんなことを言われる筋合いはなく、かっときたが、また卑屈に謝っていた(笑。黒帯は凶器だから手を出すわけに行かんしなと後で負け惜しみ自己正当化をしておいた。

どうせ短期バイトだし、怒鳴りつけて帰るくらいのことはしてもよかったと思うが後の祭りだ。

 

長くなったのでいったん切る。

今日の体重は76.4㎏。最近プラトーになってきた。今日はHIIT、ドラゴンフラッグ、立ちコロ、ブルガリアンスクワットを軽めに行った。