生きよ 堕ちよ

高校留年~プータロー~文系大学~再受験し医師~内視鏡に魅せられ消化器内科へ

研修医時代の思い出③ 各論 下

今日は娘たちと昼ご飯を買いに行き、公園に遊びに連れて行った。タンドリーチキンを作ったが、まあまあ美味で子供たちも喜んで食べていた。

今日はゆっくり筋トレができると思い、肩と足の筋トレを行った。フロントレイズ、サイドレイズ、リアレイズを3セット行った後、仕上げに逆立ち腕立て伏せをしようと思ったら、予想以上に追い込めていたようで、力が抜けてしまって逆立ちが崩れて、頭と足を強打した。何とか受け身をとって、首はひねらなかったが、下手したら大惨事だ。

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長女がケラケラ笑っていて、嫁が「笑い事じゃないのよ。」と娘をたしなめていたが、すぐ後に自分が声が出ないほど笑い転げていた。

本人曰く、大丈夫と思ったから笑いが止まらなくなったと言っていたが、絶対違うな。前、息子の髪を切っていて、失敗して髪が一部無くなってしまった時も、自分でやったくせに笑い転げていた(僕も笑ってしまったけど)。 

恐ろしいわあ。おーこわ。

 

続きを書く。

麻酔科

麻酔科の部長は鬼のように怖い先生でよく怒られた(昔はもっと怖かったらしい)。腰椎麻酔をしていて、無事に入って安心して、薬をブシュッとこぼしてしまった時は「ああ、死んだ。」と思ったが、それはそんなに怒られなかった。僕は挿管をする時に、マッキントッシュ(鎌みたいな器具)をこねる癖があるらしく、それはよく怒られた。とにかく、毎日びくびくしていたのを覚えている。その割に麻酔中に眠くなり、うつらうつらしていたら、「なんだ、この部屋は笑気が漏れているのか?」と呆れながら言われたことがある。

 

ICU

ちっこいながらもICUがあり、CHDFや人工呼吸器をいじくっていた。今はもうさっぱりわからないが、当時はそれなりにいじれた。救急病棟に入院してくる患者の指示だしも行っていた。研修医二人で、レベル300の薬物中毒者に挿管して、胃洗浄を行ったりしていたが、今の時代では許されないだろう。気管に鶏肉を詰めて、挿管してもSpO2が挙がってこない人がいたが、気管支鏡で鶏肉を取ったらすーっとSpO2が上がったこともあった。

 

3次救急

研修病院は2次救急までだったので、1ヶ月間3次救急の病院に勉強に行かされた(今勤務している病院なのだが)。なんとなくアウェイ感があり、ガツガツいく性格でもないため、あまり前に出ずに最初は適当にさぼっていたが、折角の機会なんだからもっと積極的にと専攻医の先生に注意された。その後、前に出るようにしたら、最終的には褒められた。皆Dr. carに乗りたがったが、そう機会は多くなく、僕が行っていた時は数回のみだった。同学年の研修医の先生が一度機会を譲ってくれたが、理由は忘れたが途中で引き返すことになり、残念だった。

 

研修医の時は医師もそれなりにおり、まあまあいい環境だったと思っている。それで専攻医で残ろうと思い、実際残った。しかし、専攻医中に人が徐々に減っていき、皆疲弊し、雰囲気もいまいちとなっていった。誘われたこともあり、途中で別の病院に脱出を試みたが、パワーゲームでつぶされた。

ディープな場所にあったが、僕自身はいうほど怖い目にあったことはない(後輩はERで患者に首を絞められていたが)。ERで怒鳴られたことはあるが、これはどこの病院でも一緒だろう。

今勤務している病院は有名研修病院であり、研修医も優秀な者が多い。しかし、病院が大きいので、科同士のつながりがいまいち弱い(僕自身、他科の先生で顔も知らない先生は多いし、研修医も回ってこなければ知らないまま終わることもある)。中規模病院はその点は密であり、そこはメリットであった。

僕が後期研修医になった時に、研修制度が大きく変わったが、変わる前に研修を終えることができてよかったと思っている。今の制度は、学生のポリクリの延長に過ぎない。うちの科に来る研修医も1か月でいなくなってしまう(内科志望でも回ってこない研修医もいる)。 

 

今日の体重は76.5㎏。炭水化物を減らそうとしているが、今日近所に最近できたパン屋でパンを買って食べてしまった。美味しかった。