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生きよ 堕ちよ

高校留年~プータロー~文系大学~再受験し医師~内視鏡に魅せられ消化器内科へ

高校ダブり医者

今日は久しぶりにTACEをした。肝臓専門医を名乗るのはおこがましいな(笑。専門医が5個もあって、もてあましつつあるのでtaperingも検討しているが、肝臓専門医が一番役に立つ(拡散アナログやC肝の薬を出すのにいる)ので、置いておきたいところ。

 

今週のアメトーークは高校ダブり芸人だった。ニッチな内容にもほどがあるが、これはまた僕のためにあるような(そうではないけど)と思い、やや食い気味に見た。しかし見ていくにつれ当時の辛い気持が蘇ってきて、逆にテンションが下がってしまった。

出ている芸人は2回ダブり(トリプルと言われていた)もいたが、僕も実際そうなりかけた。僕がダブったのは3年でだが、学校が楽しいわけなく、さらに腐ってしまい、4年生の時の1学期で規定の出席日数をオーバーした。本来なら再留年(or 退学)だが、2学期以降真面目に来たら卒業できるかもと言われ、休まずに行ったら放り出されるように卒業させてくれた(笑。

 

留年を告げられた時の記憶は正直ない。あまりに衝撃的すぎて、健忘作用が働いたのだろう。客観的に見てどう考えても留年なのだが、進級がやばいものが呼びされた時に、おまえは大丈夫と言われ、脳味噌がカニみそ並みの僕は真に受けていた。

やばさがダントツで手の施しようがなく、先生もそう言うしかなかったのだと思う。しかし、その時の僕は「大丈夫って言うたやん。」と憤っていた。もちろん憤る資格などなく、100%自業自得なのだが。

 

当時の僕に言いたい。

朝、ちゃんと学校に行っただけで拍手されている奴が大丈夫なわけないやん。

おやじに泣きついてインフルエンザの診断書を作ってもらい、1週間ほど公休扱いとしたが、焼け石に水だった。

 

留年を知った時の詳細は覚えていないが、その時の絶望感は未だに覚えている。アドレナリンが出まくって動悸が止まらなくなった。

 

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本当にこんな感じだった。人生の落伍者だとひどい劣等感に苛まれた。

 

「余は偉大なる落伍者となつていつの日か歴史の中によみがへるであらう」

なんて安吾のように言えるわけなく、ただ周期的に襲ってくる絶望の波に打ちひしがれるだけであった。

 

大学ではほとんど気にならなかったが、高校では1年下に混じっていることに凄く違和感があり、クラスに全く溶け込めなかった。番組でも言われていたが、ダブり仲間とばかりつるんでいた。留年という共通点があるだけなので、番組でも言われていたように大して仲が良いわけではなく、仕方ないからつるんでいただけであった。

 

自分が脆弱で怠惰だったからダブったのは間違いないが、原因の一つはバイトだ。目先の金に目がくらんで、週5日もバイトしており、学校が疎かになった。朝起きられなくなり、重役出勤を繰り返していた。

目先の金のために生涯年収がどれだけ減ったんだろうと、自分の頭の悪さにうんざりする。しかし、ここまで自分を追い込まなかったら、勉強もほどほどにしかせず、医者にはなっていないだろうと自分に言い聞かせている(笑。

 

ダブったのが3年だったので、イベントが少なくて助かった。元々体育祭はない学校だし、文化祭はサボった。卒業式も行かなかった。

卒業アルバムと一緒に名簿が配られたが、留年者は黒塗りにされていた。元の同級生たちには「お前のところ、消されてるから電話番号がわからんねん。」というネタで結構いじられた(実際はスカしたら見える程度のしょぼい黒塗りだった)。

 

あの頃の自分へメッセージ。

「目先の金に目がくらんでバイトなんかするが、1年の夏休みだけにしておけ。おっさんになっても朝起きるどころか、日によってはろくに寝ないで仕事してるんだから、学校くらいちゃんと起きていけ。勉強だけしてればいいなんてどれだけ楽か。しかも夕方には帰られるし。勉強すれば結果はついてくるんだから、はよやれ。」

 

 

今日の体重は75.2㎏。夜のご飯カットが効いてきたみたいだ。今日は、ブルガリアンスクワット、ピストルスクワットもどき、ドラゴンフラッグをやった。