生きよ 堕ちよ

高校留年~プータロー~文系大学~再受験し医師~内視鏡に魅せられ消化器内科へ

初海外の思い出②

今日は1日ゆっくり。キャンプに行っている息子以外の家族で外出。

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でっかいエビを食べた。食べにくかったが、旨かった。

 

続きを書く。

10年以上前なので、時系列が定かではないが、かんたんな日記を書いていたので、それを頼りに。まず市内観光へ。バスでモントリオールのめぼしいところにつれて行ってくれるツアーに参加した。

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その途中で立ち寄ったでかい建物。ここで少し降りて見学していた。同じツアーに参加していた東南アジアのDr.数人と軽い自己紹介をしていてふと見ると、我々の乗ってきたバスが動いている。

部長と慌ててバスへ駆け寄り、乗せてもらった。東南アジアのDr.もがはがは笑いながら乗り込んできた。

 

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バスに向かって疾走する部長。

その他色々見たが、どこかの大学を見たくらいしか覚えていない。ツアー終了後、学会場に行って登録した後、部長と街を散策した。これもあまり記憶にないが、地下鉄に乗ろうとして乗り方がわからず、断念したことは覚えている。

夕食はホテルの近くの中華街へ。いろんなものを食べたが、結局中華が一番おいしく、何度か訪れた。

 

翌日はポスターを張る日であったので朝一で学会場へ。作ってくれた部長には悪いが、我々のポスターがダントツしょぼかった。部長はすぐにどこかに行った。指定時間にはポスター近くに立っていて、質問がある人がいれば答えないといけないのだが、ややこしいことを言われても困るので、誰かが近寄ってきたら自分もこのポスターを見ているふりをしようとしていた。が、そんな心配は全くの杞憂であり、誰も近寄ってこなかった。飽きてきたので途中で抜け出した。

午後から部長と合流し、食事をして(小奇麗なレストランに行ったが何を食べたかは忘れた)、街を散策&クルージングへ。

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なんかの像の前で。

 

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モントリオールの街並み

 

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クルージング中。

 

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セリーヌ・ディオンが結婚式をしたノートルダム聖堂。余り信仰心が豊かな方ではないが、厳かな気持ちになった。

あちらの食事は量が多く、胃がもたれており、二人ともまったく食欲がなく、夕食は抜いた。

 

翌日は早起きしてケベックシティへ観光へ。僕ら二人ならツアーバスに押し込まれるところであったが、開業医夫妻も参加されたため、車をチャーターしてもらい、ガイドさんもいた。ケベックシティへはモントリオールから車で2~3時間の距離で、途中、何かが世界一の滝(ナイアガラではない)を見たが、思ったよりしょぼかった。

 

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何かが世界一の滝。

 

ケベックシティは街の雰囲気が素晴らしかった。

 

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シャトーフロントナックというでっかいホテル。もうほとんど城だった。

 

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ケベックシティの街並み。

 

土地の名物を食べ、普通にうまかったが何を食べたか忘れた。土産を見ていた時、部長が娘への土産といって、言っちゃあ悪いが誰が着るねんというような、胸元にケベックシティとで~んと書かれたこの上なくださいTシャツを買おうとしていた。

「先生、そんなん娘さん着ませんて。香水とかにしたほうがええんちゃいます?」

「前回買った香水がなあ、まだ封も切られてないんや‥。」

「‥そうっすか。」

涙がこぼれそうになった。もう僕にはこれ以上何も言えなかった。部長は結局そのTシャツを買っていた。あのTシャツは着てもらえたのだろうか‥。

最も、僕も誰が被るねんという真っ白い帽子を買ったが、家で2回被っただけで、外に被って出る勇気がなく、そのままになっているので人のことはあまり言えない。

 

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探してみたらまだあった。どうしてこれを買ったのだろう? 旅のテンションは恐ろしい。

 

その後、妻と娘がわしをいじめるんや、息子だけが味方やと切ない話を聞かされた。当時独身だった僕にはそうっすかとしか言いようがなかったが、自分にも娘ができて、当時の部長の切ない気持ちはなんとなくわかる。まだ娘はなついてくれているが、ものや食べ物で釣ってるだけかもしれないがいつ、自分がそうなるかと冷や冷やしている。

僕も金遣いは荒い方だが、部長はさらに荒く、わけの分からないものを買いまくっていた。僕もメープルシロップと思って買ったものがドレッシングであったが。

挙句の果てに手持ちの金がなくなり、最後の方は僕が飯代もタクシー代も出していた。「おお、すまん、細かいのだしといてくれ。」とその都度いうが、おまえ大きいのもないやろっと突っ込みたかった。

そうはいっても僕が仕えた部長の中では一番人格者で、いい人で天然で面白い人だった。出張費としてスタッフだけ病院から補助が出たが、半分僕にくれた。

また車でモントリオールまで戻り、夜は学会主催のカナダナイトと名付けられたパーティへ。ビュッフェ形式でまあまあ美味しかった。世界と名がつくだけあり、いろんな国から参加者がいて、外人が踊りたおしていた。テンションの高さにはついていけなかったが、その場にいるだけでまあまあ楽しかった。

 

翌日は胃痛で部長がダウンしたため、一人で学会場へ。ライブを見ていたが、丁度ESDが普及し始めたころで、ESDのライブを見ていた。当たり前だが演者は皆日本人だった。その後、外人のESTのライブを見たが、普通にdeep cannulationしてESTしているだけなのに、会場では拍手が起こっていた。この程度なら医師4年目、消化器2年目の僕でもやっていることだったので、拍手することなのだろうかと不思議に思っていた。

午後は復活した部長と博物館に行ったと日記には書いてあるが、まったく記憶にない。その後一人で街の散策にでた。ただ歩いただけだが、初海外であり、歩いているだけで楽しかった。

 

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一人散策で訪れたところ。

 

部長は本調子でないため、夕食は一人で中華街へ。海外での初一人飯で少しドキドキしたが、特に問題なく終了した。

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お世話になった中華街。

 

翌日帰国の途に就いた。帰りもアメリカを経由したが、特に問題はなかった。デトロイトの空港は広く、回り切れなかった。免税店でフェラガモの財布を買った。帰りの飛行機は空いており、横になって寝ることができた。

おっさん二人で一部屋ってのはストレスやなあと思っていたが、上でも書いたようにいい人であるので、ストレスはほとんどなかった。トラブルもあったが、楽しい旅だった。

 

今日の体重は76.9㎏。脚の筋トレをした。ピストルスクワットを補助なしでやろうとしたが、よろけてしまい、肩に激痛が走った。