生きよ 堕ちよ

高校留年~プータロー~文系大学~再受験し医師~内視鏡に魅せられ消化器内科へ

ERで迎えた令和元年

GWだが4月30日は勤務で、勤務後そのまま非常勤の当直へ。寝当直ではなく、救急車も一晩で数台は来るため、まあまあ忙しい。令和元年は非常勤のERで迎えた。0時ぴったりに飛び上がって令和になった瞬間地球にいませんでしたなんて、使い古されたくそしょうもないことをやるかと家族に言っていたが、僕は診察中でその瞬間を認識せず、家族は皆爆睡中であったらしい。

中規模の2次救急病院の救急は本物と偽物が入り乱れており、見抜く目が必要になる。前病院は3次救急であり、かつ救急部を通ってくるので本物の救急が多かった(たまになんじゃそらというのも混じっていたが)。

久しぶりに玉石混交の2次救急をやって、本物の救急ばかりを診られるというのはしんどいのはしんどいが、腕のふるい甲斐があり充実していたなとつくづく思う。一晩で4~5件緊急内視鏡をすると疲れるが、このあたりの消化器救急は俺が支えていると自己陶酔することができた。きっしょいナルシシズムであるのは重々承知しているが、それくらいは許されてもよいだろう。

非常勤先では朝食が出るが、もちろん検食(病院食)だ。ただなんで文句はいえないが、毎回全く同じメニューだ。この曜日の朝はこの食事と決まっているようだが、ちょっとは変えてもいいのになと思ってしまう。

当直明けの内視鏡はないため、9時過ぎに病院を出て高速に乗ると結構渋滞していた。GWなんで皆どこかへ遊びに行くのだろう。当直であまり眠れなかったのもあり、ニヒリスティックになってしまった。

 

前病院の後輩から、論文がアクセプトされたというメールが来た。彼のお父さんはある手技の達人で我々の業界では超有名人であるが、息子である彼も非常に優秀で同じ処置がうまかった。が、父親と同じ道を歩まず、違う道へ進むため、その道で有名な病院に修行にでている。

一応僕がセカンドオーサーだが、ほとんど直すところがなかったように記憶している。前病院で書かないとなあと思っていたネタがいくつかあったが、結局書かずに出てしまった。大学病院にいる以上、論文を書かないといけないため、ぼちぼちネタを探さないといけない。

 

平成が終わった。平成になった時は高校生だった。皆そうだろうけど、30年の間にいろんなことがあった。平成の初期はどん底だったが、徐々に持ち直した。何とか大学を卒業して仕事をしているし、家族もできた。令和元年は病院を変わったが、覚えやすくてよい(笑。これからは子供たちの時代だ。もうちょっと頑張るけど、徐々にペースダウンしていってもよいかなと思う。

 

今日の体重は75.6㎏。明日も勤務日だが、勤務後に研修医の時の先輩、同期、後輩たちと年に1回の食事会を行う。いつものスペアリブがうまい店なので、食べ過ぎてしまいそうだ。