生きよ 堕ちよ

高校留年~プータロー~文系大学~再受験し医師~内視鏡に魅せられ消化器内科へ

転職ならぬ転病院における迷いと決断

迷いと決断というお題で思いつくのは去年から今年にかけての転職、というか転病院だ。

大学卒業後、研修医2年と後期研修医3年を公立の2次救急病院で過ごした。その後、公立の3次救急病院にうつって12年目を迎えていた昨年の秋に、上述した2次救急病院から内視鏡治療を統括する医師として来てほしいというオファーが勤務している病院の部長経由であった。

オファーを受けるべきか、否か

ここで僕が考えた選択肢は2つ。

○オファーを受けて、2次救急病院に行く。

○オファーを蹴っ飛ばして自分で病院を探す。

オファーを蹴っ飛ばして、3次救急病院に残るという選択肢もあるが(後で知ったが、そうしている医師もいた)、3次救急病院は激務で、また長くいすぎたこともあって後2~3年で辞めようと思っていたので、その選択肢はなかった。

2次救急病院は、3次救急病院ほど消化器に専念できないが、内視鏡治療の統括というのは魅力的な話であった。また医師になって最初の5年という重要な時期を過ごした病院でもあり(研修医の同期とは2年を過ごしただけだが、15年以上過ぎた今でも定期的に会っている)、全く問題がない病院だとは言わないが、愛着はあった。

しかし一番のネックは一緒に働きたくないスタッフ(以前同じ病院で勤務していた)がその病院にいることだった。表だって揉めたわけではない(僕が我慢していた)が、自分がやりたいようにやるから他の人は文句を言わずにそれに従いなさいというスタンスが受け入れ難かった。

急性期か、生活の質か 、それとも‥

自分で病院を探すというのは未知であり、またここでも次のような迷いがあった。

○もう少し急性期の病院で頑張るのか。

○40代も後半に入ってきており、仕事のペースを落とした病院を探すのか。

業者を通していくつか病院を見に行ったが、そのうちの急性期病院はオファーを受けた病院を凌駕する魅力はなかった。少しペースを落とした病院にも見学に行ったが、生活の質はぐっと改善しそうであり、魅力的で正直ぐらついた。

オファーを受けた病院からは消化器部長だけでなく、院長からも電話、手紙を頂き、また直接面談にも来られた。熱い先生でここでも正直ぐらついた(ほんとぐらぐら)。

 

両親や妻にも相談したが、結局決断するのは自分であり、悩んでいたところ、知人を経由して大学病院での勤務の話を頂いた。母校でもなく、これまで働いていた病院の関連大学でもなく、縁もゆかりもない大学であったが、これまでの医師人生を市中病院で過ごした僕にとって、大学病院は未知の世界であった。

2次救急病院か、ペースを落として働ける「生活の質」を保てる病院か、それとも大学病院か。悩んだが、クリアーカットに答えはなかなか出てこなかった。

決断‥? 消去法‥?

上記オファーを受けてから、決断まで時間がなく、ゆっくり考える時間もなかったが(非常勤で食いつないで、もう少しゆっくり考えることも考慮したが、家族のことを考えるとそれも選び難かった)、最終的には大学病院を選んだ。

大学病院という未知の世界に興味があったのと、何年かいれば学位を貰えるというのと、あと数年はまだパフォーマンスを落とさずに治療内視鏡ができるだろうと判断したのが決断した理由だが、正直なところ、減点法で決めたという側面は否定できない。

もっとたとえがうまくなりたい 

この選択肢がよかったのかどうか何とも言えない。しかし、4月に赴任後1か月以上経っても臨床一本やりで来た僕は、臨床だけでなく研究や教育の場でもある大学病院に戸惑いを感じている。何も考えずに臨床に没頭できるというのはある意味幸せな環境であった。

これまでサッカーをすることだけに専念していればよかったのが、チームをうつってサッカーだけでなく、クラブの運営や球場の清掃にまで労力を割く必要が出てきた。

‥たとえとして伝わるだろうか(笑。