先日の日曜日の日当直で、救急車を受けた。汎血球減少で通院しており、普段のHbも6~7と低めだが、その日は3しかなかった。緊急で輸血が必要だが、院内には輸血がなく、届くのはAM3時で、そこからクロスマッチをしてからの輸血になると言われた。
‥本当は輸血が必要な患者の救急を受けてはダメな病院だと思うが、今回は仕方なかった。
入院の指示を出し終えたのが、1時前だったので、寝ることは諦め、ネットサーフィンをしていた。輸血の確認に呼ばれたのが4時30分。5時過ぎに寝て、7時に受診希望患者がいると起こされた。
翌日は祝日だったが、大学病院はなぜかオープンしている。月1の日曜日の日当直翌日も働くと2週間ぶっ通しで働くことになり、心身ともによろしくないので、大学病院を辞めるまで有給や夏休みを駆使して日当直明けの月曜日はすべて休むことにしている。
今の当直は頻回に夜起こされるわけではないが、それでもこの年で月に3~4回やっているときつい。枕が変わると眠りにくいし、呼ばれるかもとどこかで警戒しているので眠りも浅くなる。
前病院の当直は激しかったが、しかし体制としては恵まれていた。輸血も院内にあったので、今回のような何とも言えないタイムロスは無かった。ERでオーダーされた輸血が緊急内視鏡をする時にはつながれているということも珍しくなかった。
夜中に消化管出血を止血できた時や胆管炎の処置をし終えた時は疲労はあるが、達成感もあり、消化器内科医としての醍醐味を感じることが出来た。
教授面談があった。臨床に戻りたい、もう病院も決めているというと、意外とあっさり通ったw
学位が取れれば講師になれるから、そこから1年いて箔をつけてから外に行ったら?と言われたが、講師になりたいと思わないし、来年4月でもあと半年なげーなとおもっているのに、さらに1年はありえないので、臨床に戻りたいと繰り返した。
箔? なにそれ、美味しいの?
数年前に医局を辞めた人は、親の医院を引き継ぐという正当な理由があるにも関わらず、かなり教授に責められたらしく(泣かされたという話も)、それ以降医局を辞めようとする人は皆ボイスレコーダーを回すらしいが、教授も退官が迫っていてどうでもいいのか(それとも僕のことがどうでもよいのかw)、僕は詰められなかった。
が、教授面談後、准教授になんとか来年の4月より後にずらせないか?と言われた。確かにESDを指導する人がいなくなって困るのはわかるが、僕としては本当はこの秋にでも出たいのに、今出たら困るだろうなということで来年の4月にしている。が、一応聞いてみますとは伝えた。
今日の体重は78.3㎏。前の減量は40代前半に開始したが、40代後半になって痩せにくくなってきている気がする。