生きよ 堕ちよ

高校留年~プータロー~文系大学~再受験し医師~内視鏡に魅せられ消化器内科へ

受験遍歴 簡潔版+α③

大学は高校よりも遥かに真面目に通い、教養時代には全学の体育会にも所属し、成績もまあまあであり、留年せずに6年で卒業した。

成績証明書が家にあったので一部アップ田久保お前も出してみいw

卒試は約7割が優で、1つが可(体調不良で受けられず)で残りは良だったと記憶しているが、成績証明書はそこまでよくはないw

 

医学部入学後も国試、専門医試験、FP試験など色々受けたが、大学入試が一番印象深い。次に印象深いのは大学の卒業試験でごっつしんどかった。6回生の秋に週に2~3個の試験を1か月以上かけて受けるので、徹夜の連続だった。国試とはかけ離れた出題であり、イラッとしたw 

 

医師になって思ったが、医学部に入るものは皆優秀で、大学入学前に僕ほど底辺を這いずり回ったものは、皆無ではないだろうがごく少数だろう。少なくとも周りにはいない。医学部生は、摂神追桃を落ちたどころか受けたものさえほぼいないはずだし、2浪龍谷の同級生に「俺もあかんが、お前を見ていると安心する。」と優越感を与えるだけの存在とはならないw

すっと入るほうが数億倍偉いのはいうまでもないが、どん底から学力を上げていったがゆえに学力が低い人の心情もわかるというのが僕の数少ないストロングポイントだw

 

息子は浪人を否定するが、1浪なら就職にも影響しないし、関西では現役関関同立より1浪神大、阪大、2浪京大のほうが後々有利だと思う。京と阪神の間に壁(理系は阪と神の間にも)があり、神と関関同立の間にも壁がある。浪人しても成績が伸びないこともあるが。

 

息子は一人暮らし前提で大学選びをしており、先日MARCHを受けたいなどと言い出し、正直頭にきた。田舎に住んでいるのならまだしも関西という恵まれた地に住んでいてなぜMARCH? 

東京に行きたければ、早慶以上なら考えたると言った。僕は、東大以外あかんと言われたことを考えると、かなり甘いw 医学部を受けた年、センター利用で慶応の経済か法(どっちか忘れた)があり、ボーダー超えたので出してええか?と聞いたが、却下されたセンターでKO受かったけど蹴ったと言いたいだけなので当たり前w 

東京一極集中が進み、東京の大学は軒並み難化している。僕の学生時代は、知り合いの神戸文系に早慶を蹴ったものが何人かいたが、今は併願合格がまず難しいし、阪大でも早慶を優先することも珍しくなく、阪大を日本で3番目の大学だと思っていた大阪出身者としては驚愕だw 

最も、東大京大OO大のOOが地元大なのは全国共通w 神戸大卒の友人が学生時代に沖縄でバイトした時、神戸大?ふーんって扱いだったが、琉球大の学生は天才扱いされていたと言っていたw

 

MARCHも難化していて、某youtubeで関関立は法政より下と言っていた時はひっくり返りそうになった(僕らのころは法政=関大という認識)。

そもそも関関立も受かるかどうかわからんのに、MARCH受かるわけないし、東京で一人暮らしとか、なんぼ金かかんねん? 親に依存した一人暮らしなんか自立でも何でもないんやから働き出してからやれよと言った。

それでも同志社なら家賃30000円台の所であればOKと言った。京都工芸繊維大に行っていた友人が家賃10000円台(風呂なし、トイレ共同)のところに住んでいたし、そういう生活も若いうちは楽しいかもしれない。

少し前に、子供3人私立中学って、お金大丈夫?と息子が言い出して、どの口が言うとんねんと突っ込んだw そう思うなら家から通える国公立や防衛大などの学費いらんところを目指せw

 

人生つらいことは多いが、できるだけ楽しく笑って生きていってほしいということを変わらず思っている。だからヤイヤイいうが、そもそも親の言うことを全く聞かなかった自分に、どの口が言うとんねんと思ってしまうw

 

今日の体重は79.7㎏。今週は満腹になることが多く、ちょっと増えた。レンズ豆を買ってきて、スープを作ったが、まあまあ美味しかった。

受験遍歴 簡潔版+α②

adidasブルース・リーTシャツ(黒)の抽選が当たった。そもそも応募多いのか?と思って公式を見てみたら黄色のスニーカーや白Tは残っていたが、黒は売り切れでラッキーだった早速メルカリで15000円(定価6000円くらい)で転売されていたw 

 

 

22歳時

関学に入学して最初は真面目に通っていたが、陰キャコミュ障の僕に関学生は荷が重かったw というか、大学が楽しくない。そらそうだ、この時点では大学に入ることが目的で、先は何も考えていなかった。

ぶっちゃけ、俺はこんなものじゃないと思っていたのもあるw 国立の成績開示をしたところ、アバウトにしか教えてくれないが、前期、後期ともに10点以内で落ちていた。前期は50人以上間にいたが、後期は10人以内で恐らく1点で落ちた。

0から1年でここまで来たのだから、まだ伸びると思い、また3年遅れは就職が厳しいということも知り、どんどん大学から足が遠のいた。夏休みに入ってしばらくして、おかんに再受験をお願いした。

子供の頃の夢、将来食べていくには?などを鑑み、医師を目指すつもりであったが、私立は経済的に、国公立は学力的に無理であった。秋前から勉強再開したが、微積分と物理化学を一からやり、他も医学部レベルにあげるのは次の受験では難しく、この年は捨てればよかったが、これ以上遅れるのはとその時は決断できなかった。

そこで考えて、

医学部は間に合わないが、なんか資格を取ろう。

よし司法試験だ(公認会計士はよく知らなかったw)

司法試験に受かるには最低京大は行かないと。

というわけのわからない結論になり、嘔気がとまらないw この年も宅浪だがZ会に入り、京大模試だけ受けた。駿台がA判定で、河合が最低判定だった。

センター試験は87%だったが、またボーダーには届かず。しかし全く迷わず前期後期ともに京大法に出願し、どちらも散った。関学は中退した。

 

23歳時

京大に落ちたショックで、勉強が手につかなかった。この年は阪神大震災オウム真理教事件があり、ずっとワイドショーを見ていた。当時京大は成績開示がなく、どれくらいで落ちたか不明。

1~2か月落ち込んで、今度こそ医学部を目指そうと思い、おかんに最後にもう1回やらせてくれと頼んだ。家から通える国公立という条件でOKがでたので第1志望、第2志望を決めた。

英語や微積分以外の数学はそれなりに完成していたので、微積分、物理化学に重点を置くことができた。物理化学微積分は全くの初学で、特に物理はしんどかったが楽しかった。この年も宅浪でZ会だけやっていた。

模試は冠模試だけで京大、第1志望、第2志望と受けた。理転したばかりなので、成績は度外視して対策問題をもらいに行くつもりで受けた。第1志望は最低判定だったが、第2志望はB判定だった。京大は理学部や農学部と書き、どちらもA判定であった。

センター試験は93%で第1志望、第2志望ともにボーダーを超えた。ボーダーを超えて初めて出願校に悩み、ぎりぎりまで悩んで第2志望(文系時に落ちた大学)にした。

親としか話しておらず、高校の友人が来た時もうまく言葉が出なくなっていたし、調査書をもらいに行く電話もできず(直接申し込みに行き、後日取りに行った)、メンタルはかなりぎりぎりの状態で、まだ成績が伸びる余地はあったと思うが、限界近かった。

後期は確実なところということで定員が多く、センター重視でボーダーを大きく超え、リサーチで一桁順位であった旭川医大をおかんに打診し、さすがにOKしてくれた。

前期は数学で大失敗4完半と思ったが0完5半wして、駄目だと思っていたが合格した。発表の日、大阪府大の工学部の試験を受けていた。携帯がない時代で、公衆電話は前期の合否を聞く者たちの長蛇の列ができており、落ちていると思っていた僕は並ぶ気もせず、ふてくされながら試験を受け、休み時間に漫画を読んでいたw 実力的にさすがにここは落ちないが、前期で受かったので合否つかず。 

 

今週は久々にERCP。腫瘍による閉塞性黄疸で、さくっと胆管選択しEST、ブラシなどを行い、ERBD留置した。経過良好。

 

今日の体重は78.9㎏。日曜日娘二人とびっくりドンキーに行き、今週は膝が痛くてウォーキング、筋トレが思うようにできなかったが、増えなかった。

受験遍歴 簡潔版+α①

長男と次女が受験勉強を頑張っている。長男は文転し、次女は算数に悩んでいる。長女には中3のうちに英検2級を取っておけと言っているが、遊び惚けている。

ブログを始めたころにも大学受験遍歴を書いたが、冗長なのでより簡潔にそして前書かなかったことを含めて振り返ってみる暇かつネタ切れなだけで、何の脈絡もないw

 

18歳時

学校にろくに行かなかった結果留年するので、勉強しているわけがなく、そもそも受験資格がないw

 

19歳時

ダブってからもあまり学校には行かず、1学期で再留年確定したが、2学期以降真面目に行ったら卒業できるかもと言われ、ほぼ休まずに行き何とか卒業できたw 担任に受験どうするねんと言われ、大学行くつもりがなく、全く勉強していなかったが、高めで龍谷、抑えで摂神追の一つ、大阪産業大とほざいたが、抑えもくそもないw 

龍谷は名前がかっこいい、摂神追は高校の付属(大学の付属ではないw)、大産大は中学の時の友人が行っていたからという頭の悪すぎる理由で選んだw 確か学部は経済学部系に出したと思う。唯一摂神追だけ受けたが当然落ちた。残りは無駄と思い受けなかったが、じゃあ願書出すなよとおかんは思っていただろうw

 

20歳時

何とか高校は卒業でき、晴れてニート生活へ。周りにそういうやつが何人かいて、中学の同級生とバイク乗ったり、車でフラフラしたり、先日行った藤井寺在住の高校の同級生の友人の家にいりびたり、麻雀ばかりしていた。

こんな状況なのに成人式に行った。当初行かないつもりだったが、中学の同級生に前日にしつこく誘われた。スーツを持っておらず、当日買いに行ったので、ウエストはダルダルw 

一番太っていた時で100㎏前後あり、しかもニート。よく人前に顔出せたなw 黒っぽいスーツに親父のエンジ色のネクタイをしたら、某私鉄の駅員にしか見えなかったw

 

21歳時

そんな生活を1年続け、刹那的には楽しかったが、4月になって焦りが限界を超え勉強を始めたおっそ。まずセンターの過去問をやってみたが800点中200なかった。高校入学時のほうがまだ賢い糞バカが予備校行っても金ドブなんで、宅浪を選択した。

志望校をまず決めようと思い、第1志望は友人が行っている中で一番賢い大学である関西国立大、第2志望は憧れていた関学にし、学部はとりあえず経済学部かな?と相変わらずバカ全開な理由w この時点で年齢的に3浪であるが、この頃は3浪が就職に不利だと知らなかったw

医学部を目指した時ほどではないが、それなりに勉強した。バカにされたり、不愉快な事を言われるようになったので(特にフリーターやニートをしている中学の同級生)、高校の一部を除いて人間関係は断ち切った。

今と違ってネットがないし、予備校にも行ってないので、情報は本しかなく、がむしゃらに参考書をやっていたが、非効率的だった。この年は模試を受ける発想がなく、一つも受けていない。

センター試験は77%で、これがどの程度なのかわからなかった。近所の書店でセンターリサーチをやっているのをたまたま見つけ提出したら、第1志望はボーダーに足りていなかった。しかし迷わず、前期後期共に経済系の学部に出した。

私立は関学経済、商、関大総合情報、龍谷経営、法(龍谷はセンター利用)に出した。関学は第2志望、関大は新設学部で面白そうだったため、龍谷は高校の同級生が行っている学部というまたもやアホな理由で選んだ。

国公立は前期後期ともダメで、私立は関大の総合情報以外は受かったので、関学経済に進学した。

 

 

今週は1件ESD。Bauhin弁上の0-Ⅱaで小腸側を切った時は勝ったと思ったが、脂が多いわ、どこ切っているかようわからんようになるわで難渋した。ほぼ取れかけていた時に病変を吸ってしまい、2分割となってしまった。80分で切除。経過良好。

 

今日の体重は79.1㎏。昨日次女とマクドに行き、倍ビッグマックのセットを食べたが、あまり増えなかった。6~7年ぶりにマクドを食べたが、久々だったので美味しかった。ただ、体に悪いものを食べているなという罪悪感は強かったw

高校留年した僕が医者になった経緯 宅浪について

今ちょうど情熱大陸で、ESDで有名な先生が出ている。面白い髪形だが、凄腕の先生。一日9件ESDはすごいな。2件でヘロヘロになっていてはだめだな。裸足でフットペダルを踏むのはすごい。繊細なタッチを求めてだろうが、足がめっちゃ汚れそう。

 

宅浪について語ってみようと思う

予備校に通ったことがないので、比較はできないが、宅浪についてはまあまあ語れるので語りたいと思う。

 

まずは高校の同級生の例から

まず高校の同級生の例を挙げてみる。

 

同級生①

現役時は予備校に行かず(指定校推薦で立教に受かりそうだったが、突然鞍替えしたやつにかっさらわれた。仲の良かった同級生では一番頭が切れたが、彼はいろいろついていない)。

一浪時はYMCA予備校に通い、産近甲龍に進学。

同級生②

現役時にECC予備校に通い、推薦で京都の仏教系の大学に進学。

同級生③

現役時は多分予備校にいっていない。一浪時予備校(どこか忘れた)に通い、KKDRへ進学。

同級生④

一貫して宅浪。一浪で某国立大学夜間に入り、翌年仮面浪人し、同大学の昼間に進学。

同級生⑤

宅浪すらしていないが、一浪時に産近甲龍の夜間を受け不合格。大学へは行かず。

同級生⑥

現役河合、一浪YMCA、二浪駿台で、最終的に二浪で産近甲龍へ進学。

 

他はどういった浪人生活を送ったか知らない。

かなり偏った結果だが、僕が通っていた高校では、おそらく同級生①か③がモデルケースかと思われる。超進学校なら、もっとすごい例が出せるのだろうが、自称進学校の落ちこぼれなんでそれは無理(笑。

ちなみにその後だが、

①在学中にD志社と偽り、塾講師をしていた(教え子とちょめちょめという噂)。卒業後九州の会社に勤めていたが、しばらくして連絡が取れなくなった。

②卒業後、飲食店で勤務し、居酒屋をオープンしたが、数年前に店をたたんだ。昨年から年賀状が来なくなってしまった。バツイチ。

③知らない。

④OB訪問にいきなり遅刻し、OBをブチ切れさせ、4回春に就職活動を断念。建築を学ぶといい、某大学の夜間へ編入(一度は合格したが留年でパー。翌年は不合格、その翌年に合格し入学した。僕にいつまで学生やってんねんと言っていたが、最終的に僕より長く学生をやっていた)。卒業したが、建築の道は厳しく、よく経緯が分からないが、今は東南アジアにいる(何回聞いても何をやっているかよくわからないが、現地で奥さんをもらって、子供も4人いる)。

⑤しばらくプータローをしてJAに勤務していたが、連絡が取れなくなった(②と喧嘩してから)。バツイチ。

⑥就職活動をせず、卒業。卒業後、親の金でアメリカに遊びに行った。帰ってきてからはがーっとバイトをし、金がたまるとキャバクラ遊びをするということを繰り返していたが、突然司法試験を受けると言い出し、これまた親の金で専門学校に通いだした。その後受かったという報告はない。

 

こう見てみると、本当に人生ってのはわからんな。

なかなか香ばしいが、しかし高校留年、プータローとウジ虫のような生活をし、底辺を這いずり回っていた僕は、彼ら皆に馬鹿にされ、あいつよりはましやなと自信を与える存在であった。

 

勿論堕ちないのであれば、その方が絶対によい。しかし、日本では一度レールから外れると戻るのが非常に難しいため、どうせ堕ちるのであれば早い方がよい。若いうちの方が、まだ修正が効きやすい。

 

宅浪に最も重要なもの

話がそれた。

彼らの例を挙げて、予備校がよいのかどうか検証しようとしたが、n数が少なく、バイアスがかかりすぎていて、何とも言い難い(彼らの例だけをみると、予備校は不要と言いたくなるが、どこまで真剣に勉強していたか不明だし、予備校が有用であったものはごまんといるだろう)。

 

宅浪に最も重要なもの、それは

勉強を継続するモチベーションだ。

これに尽きる。必要十分ではないが、必要だ。

 

宅浪は孤独だ。そして同じことを延々と繰り返さないといけない。ある程度理解が進めば、楽しくなってくるが、わからない時は本当に苦しい。

勉強を継続するのにモチベーションは欠かせない。美しいモチベーション(医師であれば、人を助けたい、病を根絶したいなど)はもちろん素晴らしい。しかし、モチベーションとして強固かと言われると、それは人による(自分が病気になったりすれば、その病気を研究や治療するということは強いモチベーションになりうるが)。

僕自身、なぜ医師になりたいの?と聞かれた時にはこういう美しいモチベーションを答えていた(そういう気持ちがないわけではないので)。

 

これらのモチベーションだけで勉強を進められるのであれば、それは素晴らしい。意志がよっぽど強いのだろう。しかし、僕に関していえば、それだけでは勉強を継続させることはできなかった。

 

どうしても湧いてきてしまう嫉妬、怨恨などのnegativeな心情、今に見ておけ、見返してやるという自己顕示欲、将来食べていけるようになりたいという生活上の願望、あれがしたいという欲望、物欲。

 

質は問わず、薄汚いものも最大限利用し、総動員してモチベーションを掻き立てた。意志が弱い人間が孤独に耐え、地道に勉強するためにはこうするしかなかった。

 

次にメリット、デメリットを列挙してみる。

宅浪のメリット

  1. 自分の好きな時間に好きなことを勉強できる。決まった時間に、決まったことをするのが苦手な僕にはよかった。社会人になってそんなことはいっていられないが、大学生か社会人になれば矯正されるはず(高校に通えなかった僕でさえ矯正されたので、よっぽどのことがないと大丈夫)。
  2. 気分が乗らない時は自由に休める。気分転換して、またモチベーションを復活させて、勉強に戻ればよい。予備校では授業の遅れがでてしまうが、一人でやっていれば関係ない。
  3. 金銭的負担が軽い。参考書代とZ会などの通信教育代と模試代くらい。

 

宅浪のデメリット

  1. 怠けようと思えばとことん怠けられる。メリットの1は諸刃の剣となりうる。そこは強いモチベーションで勉強を継続させるしかないし、モチベーションを保てないのであれば、無駄なのでやめてしまった方がよい。
  2. ペースメーカーがないため、勉強のペースがつかみづらい。自分で計画を立てる必要がある。僕は受験本を読んで、自分のノルマを決めて、それに沿って勉強を進めた。今はネットがあるので、より容易に情報収集ができると思われる。
  3. 孤独。僕は一人でいるのがあまり苦痛ではなく、ボッチ飯も平気だが、それでも浪人時は親以外と話さない生活が長くなった影響で、言葉がなかなかでなくなった。今でもコミュ障気味だが、少なくとも社会人としてやっていけるレベルまで戻すのには、荒療治も必要であった。今は入試に面接を科すところも増えてきており、僕自身面接があったら、合格していない可能性もある。
  4. わからない問題の対応が難しい。一人で延々考えて、答えを出すことも重要だが、あまりに時間がかかると効率が悪い。教えてくれる人がいれば、すぐに理解できることでも、引っかかることがある。今はネットがあるから、そちらで解決できる可能性は十分あるが。

 

どうするのがよい?

メリット、デメリットを挙げてみると、やはりデメリットの方が大きい気がする。しかし、僕自身の気質を考えると、宅浪の方が向いていると思う。

 

医師国家試験、内科専門医をはじめとする専門医すべて独学で行った(これは普通そうである人が多いと思うが、医師国家試験も予備校があるし、内科認定医、内科専門医も10万以上するDVD講座が出ている)。

 

何が正解かは自分でもわからないが、今の知識がある状態で、あの時に戻ると仮定すると、基本は宅浪で勉強を進め、予備校の講座を一部受けるか、家庭教師を週1回だけ頼み、わからないところを教えてもらうという形を選択すると思う。

 

家庭教師を何人かやった経験から言えば、親に言われて嫌々やっている者に関しては、あまり意味はない。金を捨てているようなものだ。ある中学生を教えていた時は、もう勉強をやめようと言い出し、仕方ないので雑談をしていたこともあった(その分給料を減らされたので、こちらから辞めた)。成績は全く伸びなかった。

 

しかし、真剣に勉強をするのであれば、非常に役に立つ。学力がピーク時の僕が、受験時代の僕を家庭教師すれば、もっと効率よく勉強が進んだだろうなと思ったことがある。

 

ネットはうまく使えばよいが、はまると時間を浪費するのでよくないし、情報の正誤を自分で見抜く必要がある。内科専門医の時は2ちゃんねるが非常に役立ったが、糞みたいな情報もあるので、注意を必要とする。

 

今日は長男とプールに行き、昼はそばを食べた。4日連続そばを食べている。その後、子供3人連れて、本屋とダイエーに行き、色々買わされた。僕の小遣いの多くは、子供たちの本と食べ物に使われている(笑。

 

8000歩歩き、500m以上泳いだのに、体重は89.2㎏とちょい増えた。誤差と信じよう。

高校留年した僕が医者になった経緯 名誉挽回?~内科専門医試験結果~

今日の体重は90.1㎏。昨日書いた通り、普段の体重は90㎏オーバーの様子。本日はウォーキングをした。僕のガラケーにも歩数計はついていて、本日は10000歩を越えた。といっても、そのうちの3000歩位は、子供たちを幼稚園のバザーにつれて行った分で、ちんたら歩いていたため、カロリー消費にどれだけつながったか。残りはしっかり汗をかいて歩いた。

最初から根を詰めると、長続きしないので、無理はせずにぼちぼちやっていこう。今日もファッション雑誌を読んで、理想の体型のイメージトレーニングをした。

 

僕は露悪的で自己卑下をするのが結構好きだ(高校の成績表をアップしたのもそれゆえ)。時々、そない卑屈にならんでもと言われるが、そういうことを言っている時は脳汁がでていたりする。あほかといって笑ってほしい。サドを読んだ時より、マゾッホを読んだ時の方がのめりこめたし、相対的にはMだと思う(家畜人ヤプーには衝撃を受けた。よくあんなこと思いつくわ)。

 

医師になった後、最初の方は高校留年したことも言っていたが、皆困ったような顔をするし、聞かなかったことにしようという対応もされるため、最近は言わなくなった。笑い飛ばしてくれればいいのに。今の同僚は、再受験ということは知っているが、高校留年したことは誰も知らない。

 

露悪的だと書いたくせに、自己顕示欲の呪縛からは解放されていない。どこかですごいと言ってほしいんだと思う。俗物、俗物、俗物。唾棄すべき俗物。でもそんな人間なんだからしょうがない。

そういうわけで、名誉挽回ではないが、内科専門医の試験結果をアップする。

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合格率は60%代で、専門医試験としては低い方。うちの科でも数人受けたが、僕だけが受かった(調子に乗ってすいません)。ipadに対策問題集をダウンロードし、内視鏡の合間にしこしこ勉強していたら、勝手に他の時間も勉強していると帰納されて、めっちゃ勉強してますねと後輩に言われた。

 

家では子供が暴れているし、だらけてしまってあまりやっていないと謙遜した。落ちた時に、あんなけ勉強してたのにあいつ落ちてるやん、あほやんと言われるのを危惧したためそう防御したが、家に帰ってからも、ながら勉強であるが、2か月前から勉強を始め、毎日1時間以上勉強していた。

 

内科専門医受ける人が万が一見てたら、直前2か月にイヤーノートのおまけの問題集と、セルトレ問題集②③をやるだけで十分ですよ。僕は3~4周しました。その年のセルフトレーニング問題も取り寄せてもいいかもしれません、何問か出てました。あんまり前からやっても忘れていくだけだし、最低限の努力でぎりぎり受かるのが一番賢いです。2ちゃんねるも意外と役に立ちますよ。屑と賢い人が入り乱れているんで、情報リテラシーが必要ですが。

 

試験会場でも、普段臨床しながら、こんなものまで勉強できないわよと切れている女医さんがいたが、まったく同感であった。

すでに合格していた後輩が難しかった、難しかったとびびらせるため、せっかく買ったウィッチャー3を封印して、結構勉強してしまい、60%とれば受かる試験に80%近くとってしまった(2ちゃんでは80%越えがごろごろしていた。2ちゃんで標準偏差を計算した人がいて、それによると上位5%くらいの成績であった)。

 

一番で受かろうが、べべで受かろうが資格は資格。終わった時は手ごたえが全くなく、60%あるかなと不安だったが、合格してからはあんなに勉強せんでよかったなと思った。あんまり実臨床に即しているとは言えない問題が多く、ほとんど忘れてしまったし。

 

しかし、内科の知識がブラッシュアップされたという意味ではよかった。覚えることがどんどん多くなり、自科の知識でも完全にアップデートしきれていない今、正直他科のことはどんどんわからなくなってしまっていた。

各科の試験結果は隠したが、消化器内科は85%程度で、90%を越えなかったのは恥ずかしい。

 

40を越えてまだ試験かとうんざりしたが、会場には明らかに僕より年上で50代以上と思われる人もいた。お疲れ様です。

これで専門医も5個目。専門医と言えば、一般的にはその分野に精通しているエキスパートと思われるかもしれないが、必ずしもそうではない。多くは講習を受けて、テストを受けるだけでなれてしまう。個人的には内視鏡専門医には技術認定が必要ではないかと思っている。数が多すぎて、技術のテストをするのはめちゃくちゃ大変だろうが。

専門医に関して思うところは色々あるが、また別の機会に。

高校留年した僕が医者になった経緯 番外編 高校の成績表

今日は外来。GWの間であるため、救急外来を受診後、当科に紹介となった患者が4人もいたが、全体は40人ちょいで楽であった。

外来後、来週の内視鏡学会の予演会を行った。後期研修医が、時々餌食になることがあり、部長が怒鳴っていることもあるが、予演会は必要だと思う。自分で作っているだけでは視野狭窄に陥り、おかしな点に気づかないことが多いし、皆にみてもらうとブラッシュアップされる。やっつけで作ったため、ちょこちょこ突っ込まれたが、10分程度で治せることだったのですぐに直した。

 

高校留年から医師になった経緯を書いている時に、昔の調査書がどこかにあったなと思い探していたが、見つからず。代わりに高校時代の成績表が出てきたのでアップしてみる。

 

括目せよ、これが留年者の成績表だ

 

高校2年の時の成績表。化学は誰かのいたずら書き。担任は英語教師なので、英語がんばれと書いているが、先生自身の発音はなかなかひどかった(笑。

先生、こんな僕ですが、大学別模試では英語だけ名前が載るようになってました。英語の論文も何本か書きました。今でもほとんど話せませんし(外人の患者が来た時に沈黙してしまったり、賢い後輩を通訳に使ったりしてます)、リスニングも苦手ですが(笑。

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その裏。

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高校4年の時の成績表。

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ダブりが決定した高3の成績表は見当たらなかった。この2つよりさらにひどいと思われるので、是非僕も見たかったけど、実家かな? 捨てたかもしらんな。

しかし、ひでえ成績表。2年の時に進級おめでとう言われてるし(笑。調査書がひどいのは帰納法をするまでもなくわかるが、大学もよく入学させてくれたなあ。懐ふっかいわあ。感謝感謝(同窓会費払ってないけど。出身校でない大学には払ってる)。

 

笑ってやってください。こんな馬鹿でも医者になれます。以前トランジットでよっただけのアメリカの空港で、ドクター?と3回聞きなおされましたが、一応免許は持ってます。

 

よく落ちこぼれから医者になったという話を聞きますが、僕から言わせれば、どこが落ちこぼれやねんと突っ込みたくなることが多かったです(超進学校で落ちこぼれといわれてもねえ)。KKDRに行けば賢い方に入る高校でこの成績ですから。これこそ、真の落伍者の成績です。

高校留年というマイノリティの方たちへ

高校留年で検索して、このブログに気づき、読んでくれている人もいるかもしれませんが、こんな奴でも医師になれるんだと、踏み台にしていただければ幸いです。

 

高校を留年する人はマイノリティであるので、その心境はなかなかわかってもらえない(わからないほうがいいんですが)と思います。大体は自業自得なんですが(病気や留学を除けば)、絶望的な気持になると思います。僕がそうでした。心ない言葉をかけてくる者も多々いると思います。言われてもしょうがないのですが、それらを何かを成し遂げるモチベーションに転換してください。今に見ておけよと。

 

ベクトルさえ定まっていれば、そう簡単に歪まないと思うので、崇高なモチベーションばかりでなくてもよいと思います。薄汚い感情が湧いてきても、打ち消そうとせずに、利用してしまえばいいのです。

心ないことを言われて、不愉快な気持ちになることもあるでしょうが、目標が達せられた時、はっきりいってどうでもよくなります。これも僕がそうでした。

 

凡人は、相対化することで自分の立ち位置を確認します。下の者を見下し、上の者を羨望し、卑屈になる。本当にくだらないことだと思います。でも超越したいと思いながら、僕自身ここから完全には抜け出せているとは言えません。

 

最初は高校留年から医師になった経緯にこれらも書いてましたが、長すぎたので分けてみました。