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生きよ 堕ちよ

高校留年~プータロー~文系大学~再受験し医師~内視鏡に魅せられ消化器内科へ

高校留年した僕が医者になった経緯⑤

0時以降は呼ばれなかったが、やはり眠りが浅く、4時過ぎに目が覚めてしまい、そこから眠れなかった。転送されてきた胆管炎症例は胆嚢炎も合併していて、そちらは改善しなかったため、朝にPTGBAを行った。

論文のreprintが届いたので、リトアニアの先生にPDFにして送った。しかし、日本語だけど、本当に読めるのだろうか?

 

堕ちる道を堕ちて

 

続きを書く。

脆弱だが、打たれ強い(というか鈍い)雑草のような僕も、この時は立ち直るのに時間がかかった。世間は大変なことになっていたが、自分の小さな世界に閉じこもって、ひたすら色々呪っていた。誰のせいでもなく、実力不足の自分が悪いのはわかっているが、責任転嫁しまくっていた。どす黒く薄汚い感情に支配されていたが、あえて打ち消さなかった。

 

まったく前に向かわず、後ろ向きでウジ虫のような生活をしていた頃も、本だけは読み続けていたが、この時も色々な本を読んだ。特に安吾堕落論はこの時に何度も読み直した。

 

人間は可憐であり脆弱であり、それ故愚かなものであるが、堕ちぬくためには弱すぎる。」

「人は正しく堕ちる道を堕ちきることが必要なのだ。」

「堕ちる道を堕ちきることによって、自分自身を発見し、救わなければならない。」

 

これらの文章が身にしみた。どす黒い感情に身を浸して、世間を呪っていても何の益もない。自分なりに堕ちきって、もう一回引き上げないといけない。

 

色々考え、やはり初志貫徹して医学部を目指そうと考えた。5月になって漸く気力がわいてきたので、親にもう1年だけ許してくれと頼んだ。親も出口の見えないトンネルに一緒に迷い込んで不安だったろうが、許してくれた。自分が親になってよりはっきりとわかったが、この時の親の心境を思うと本当にありがたく、感謝はつきない。

 

入水の陣

 

そして再度勉強を始めた。今更、予備校に行くのもどうかと思ったので、今回も宅浪を選択した。

 

宅浪のメリットとして、自分の好きな勉強を自分の好きなようにできるということがあるが、逆に勉強する意志が弱ければいくらでも怠けることができる。背水の陣どころか、水にどっぷりつかって溺れかけていた僕は、必死で勉強した。この年から、なにかの本でストップウォッチで勉強時間を計れと書いてあるのを読んで、計りだした。月に数日、全く勉強をしない休養日を作ったが、それでも1日の平均勉強時間は10時間を余裕で越えていた。

 

自分でもきもい 

 

このストップウォッチは医師になってからも役に立った。後期研修医の時に、大腸内視鏡の挿入時間を計りたいが、画面にタイマーを出すと、それを気にしてしまい、挿入のバランスが崩れてしまう。でも時間は計りたい(最初に写真を撮って、引き算すればよいが、それは面倒)。そこで、受験勉強の時に使っていたストップウォッチを持ち出して、首からぶら下げて時間を計っていた。

 

今思うに、異様な姿だっただろう。ナースも誰一人として触れてこなかった(笑。速く挿入しようという気持ちがあったから、時間が気になって、上手くいかないと焦り、挿入が荒くなって結果余計に遅くなるという悪循環となっていた。しかし、速く入れようという気持ちが薄れてからは、画面のタイマーを気にすることもなくなり、ほとんど見なくなったので、ストップウォッチは使わなくなった。

 

トラウマってこうやってできるのね

 

初期研修医の時に内視鏡をしていると、先生遅いよ、患者さん待ってるよと、ナースにプレッシャーをかけられたり、前の人の所見を書いている時に、ベッドに次の患者を座らせて(今でもこれをされるといらっとしてしまう)無言のプレッシャーをかけられたりということがよくあった。今は速く入れることにこだわってはいないつもりだが、どこかでそのこだわりが捨てきれていないのは、この時のことが影響していると思っている。

 

鎮静なしでの検査が当たり前の時代であったので、上部消化管内視鏡は今よりこなす数が多く、そのため研修医がちんたらやっていたら、検査が回らんわといらいらするのもわからないでもない。研修制度が変わって、今、初期研修医が内視鏡をすることはあまりないが、後期研修医が自分の部屋に入ってきた時は、流れを気にせず、ゆっくりとやらせている。多分ナースはいらいらしているのだろうが、普段は速く多めに検査をしているので、いいじゃんと開き直っている。

 

香ばしかった家庭教師

 

話を戻す。宅浪のデメリットとしては、教えてくれる人がいないので、しょうもないことで引っかかってしまうということがある。細かいことは忘れたが、物理のあることがどうしても理解できず、3日考えて漸くわかったことがあった。わかっている人に説明を受ければ、一瞬で理解できることであった。大学生の時に家庭教師のバイトをして、これって意味あんのか?と思っていたが、こういう時は役に立つと思う。

 

家庭教師といえば、ある高校生の家庭教師をしたが、高2なのに中学生の問題集と互角以下の戦い(30点、40点を平気でとってきやがった)を繰り広げていた。そのため根本的な学力を上げようという戦略を変え、学校のテストの点をとるためだけの勉強に切り替えた。

 

勉強を教えている時に鼻くそを食べたり、ローマ字読みの英語しかできず、thの時に困って、「だっ、だっ」と叫びだしたり(とうとう壊れたのかと焦った)、3次元の女に興味がないといいきり、アニメの登場人物のよさをこんこんと説きだしたり(生身の女性は良いよと言うとそっちがおかしいと言われてしまった)、一人称がだんさんだったり、僕が通っている大学よりOO大学の方が賢い(留年時に受けた大学と同レベル。じゃあ、家庭教師そっちに頼めと大人げなく言いそうになった)と僕の目の前で言ったりと、なかなか香ばしい子だったが、功利的な勉強に切り替えたおかげで、学校の成績は伸び、推薦で大学に合格した(「しがくぶに行きたい」と言った時は、歯学部は無理だと強く反対したが、よく聞くと史学科のことだった)。親に感謝された時、いやあ彼も頑張りましたからと言ったが、実際100%僕のおかげだと思っていた(笑。

 

「おねえちゃんと先生をくっつけようと、おかあさんと言ってたけど頓挫。」

「え?」

「頓挫、頓挫。」

いきなり彼にこう言われ、彼の姉の写真を見せられた。最初、頓挫がまったく頭にはいってこず、「とんざ?」と???であった。幸いなことに姉はまともで、会ったこともない僕に全く興味がなく、それで頓挫したらしい。そりゃそうだわ。

 

狂ってしまった概日時計

 

また話がそれた。他の宅浪のデメリットとしては、生活のリズムがつきにくいということがある。サーカディアン・リズムが24時間と少しずれているのは有名な話だが、日光を余り浴びずに家にずっといた僕は、生活周期がぐるぐると回り続けていた。試験時に昼夜逆転していることもあり、その時は全く寝ない日を作って無理やり調整していた。

 

この時のおかげで、僕の概日時計はかなり狂ってしまっていて、今でも少し長い休みがあると、すぐに後ろにずれてしまい、仕事の前に短時間睡眠ということが多々ある。

 

ゲームが好きで、40越えてもいまだにやっているのだが(ここ1年でfallout4、ウィッチャー3、ファークライ4、ジャストコーズ3などをクリアした。今はダクソ3をやっている)、この時はさすがに封印した。今はネットが普及し、色々な情報が得やすくなったが、この時はまだ普及していなかった。あると情報収集はしやすかったろうが、かなり時間を浪費していた可能性があり、むしろなくてよかったと思っている。

 

辛かった物理

 

志望校を決めようと思い、第一志望、第二志望を決めた。家から通える国公立をメインで選んだが、後期だけは、後期の方が定員が多い遠方の大学を選んだ。

 

医師のくせにどうかと思うが、生物があまり好きでなく(ホルモンなどの人間の体に関することは好きだったが、それ以外がどうも苦手だった)、理科は物理と化学を選択した。英語と数学はある程度のレベルに達していたので、理科に時間を費やすことができたが、それでもきつかった。特に物理は、最初参考書を見ても何のことかさっぱり分からず、教科書を買ってきて読んでもなかなか理解できなかった。全科目独学だが、一番きつかったのが物理であった。

 

とっつきにくかった物理であったが、わかりだしてからは面白くなり、ラーニングカーブは緩やかであったが、順調に延びていった。

 

秋の模試シーズンを迎えた。理転してから半年くらいしか経っていないので、入試想定問題集をもらいに行くつもりで受けた。今回も大学別模試しか受けなかった。

 

第一志望は最低の判定であったが、第二志望はB判定であった。京大模試も受けていたが、さすがに医学部とは書かず、理学部にしたらA判定であった。理科を半年しかやっていないため仕方がないと思っていたが、第一志望の判定は京大より悪かった(医学部換算ではC判定くらいだった)。京大模試ではその時の実力が100%でたが、第一志望では数学でケアレスミス連発であった。ちなみに物理はどの模試もそこそこ良かった。ミスがあったとはいえ、最低判定であったので不安であった。しかし、この時点で第二志望がB判定であったので、こっちならいけるかなと思った。

 

いつものところでセンター試験の願書をもらい、いずれにせよ、今年で最後やなと思い提出した。高校の友人が遊びに来たが、親くらいとしかしゃべらない生活を送っていたせいか、しゃべろうと思っても、思ったように言葉が出てこなかった。これ以上こんな生活を送っていたら、成績は伸びても、人間が本格的に病んでしまうと思い、今年で何とか決めよう、無理なら受験はやめようと思った。最近の医学部入試では面接が多いようだが、面接があったら合格できなかった可能性が非常に高い。だいぶ病んでいた。

 

僕が担任でもそう言う

 

調査書をもらいに高校へ行った。担任は、また来たんか、今年はどこ受けるねん?と聞いてきたので、医学部を受けますと言ったら、そりゃ無茶やといわれ、どこの大学を受けるねんと聞かれた。OO大学か△△大学の医学部を受けますと言ったら、それは無理やろと一蹴され、志望校のランクを落とすように言われた。後期はかなりランクを落としてますからと言ったが、前期もランクを落とすように強く言われた。

そりゃそうだ。ランクを落とすも何も受かる大学なんかないわと思われていたんだろうと今は思うが、その時は勘弁してよ、好きにさせてえなと思っていた。

 

余分に貰った調査書があったので開けてみたことがあったが、なかなかひどかった。評定平均は2代であり、欠席、遅刻共に二ケタであった。よくこれで大学に受かったなと思うくらいひどいものであった。

 

初めてボーダーを越えたセンター試験

 

そしてセンター試験を迎えた。1日目と2日目の間に答え合わせをしてはだめだという意見を聞くが、僕は気になってしまい、むしろ悶々とするので毎回答え合わせをしていた。一日目は目標としていた点数に届かず、少し落ち込んだが、一貫して受け続けていた倫理政治経済で、これまで過去問や対策問題でも取ったことがなかった98点が飛び出し、合計は740ちょい/800であった。目標とした750には届かなかったがまあまあであった。

 

センターリサーチでは第一志望が30番代、第2志望が10番代で初めてボーダーを越えた。去年落ちた京大法学部も余ったところに書いたら7番であった。後期の志望校はセンター試験の割合が70~80%と大きいが、そこでも10番代であった。

 

ボーダーを越えて悩む 

 

後期はよっぽどへましない限りうかる。後は前期をどうするかだが、ここで僕はすごく悩んだ。今まではボーダーに達していないくせに全く悩まずに願書を出していたが、初めてボーダーを越えて悩んだ。現役や1浪なら第一志望に迷わず出していたろうが、ここまで遅れていて冒険するのは怖い。できれば前期で決めて家から通えるところにしたい(今思えばもっと選択肢を広げてもよかった)。それに第一志望は模試が悪かった。あれから学力は伸びていると思うが、それでも不安であった。

 

出願ぎりぎりまで悩み、結局は第二志望の大学に出願した。ちなみに文系の時に落ちた大学であった。前期試験の場所は大学ではなく、予備校であった(文系の時も前期の会場は別の大学であった)ので、下見に行った。近くに怖い人達の事務所があって、仁義なき戦いアウトレイジに出てきそうな方々が整列していたので、これらは結構好きで何回か見たが、回り道して駅に向かった。

 

よし、受かったと思ったけど

 

前期のテストは結構できた。数学は5問中4完半と判断し、合格を確信した。その日の夜にテレビで解答速報をやるとのことであったので、生活リズムが狂っていた僕は眠くてたまらなかったが、起きていた。

 

自信満々で答え合わせをしていたところ、英語、物理、化学は予想通りの出来だったが、数学で青ざめた。ケアレスミスを連発しており、4完半が0完5半になった。眠気が完全に吹っ飛び、アドレナリンが噴出してきて、動悸が止まらなくなった。特にひどかったのは確率の問題で、1~5の札から…という問題を1~6に読み間違え、挙句の果てにサイコロに勝手に変えていた。その日はなかなか眠れなかった。受かるかなと思った第二志望に出願して、これかいと絶望的な気持ちになった。

 

以前から、特に数学でケアレスミスが多かった。今、自分の子供が勉強している時に、わかっているのにケアレスミスが多いのをみて、この子は間違いなく僕の子供だなと思った。

 

翌日おかんに、すまん、落ちたわといった。そんなん、わからんやん、受かってるかもよと言われたが、キレ気味に無理じゃと言ってしまった。

 

被害妄想

 

これまでの国公立受験で、会心の出来であっても落ちたことから、僕は国公立大学には受からないのではないかと疑心暗鬼を抱いていた。昔は俺も悪かったんだよねと、遠い目をして語るおっさんではないが(そんな武勇伝すらないが)、愚かなことをしてきていたので、ブラックリストに載っていて、どんな成績をとっても国公立大学にこいつは入れないとなっているのではないかと真剣に考えていた。

 

被害妄想としかいいようがないが、当時の僕はその考えにとり憑かれていた。その時の自分の実力が発揮出来たにも関わらず落ちたのは、単に実力が合格ラインに達していなかっただけなのだが、それがわかっていなかった。

この考えに憑かれた僕は、C日程(今はないのかな?)で大阪府立大学の工学部に願書を出した。今の実力から考えてここに落ちるようだと、僕の妄想は正しいと判断できると考えていた。

 

この時の気持ちを思い出すと、我ながら辛くなる

 

あり得ないことなのだが、当時の僕はかなり思いつめていた。C日程の日は、前期の合格発表の日であったが、落ちていると思っていた僕は府立大学へ向かっていた(受かっても入学する気はなかったがここも下見に来ていた)。テストは楽勝で全科目90%以上はできたと思う。

 

休み中に一応、家に電話をしようとしたが、同じことを考えていた者が多数いて、携帯電話が普及する前であり、公衆電話は長蛇の列であった。どうせ落ちてるからと並ばずに、ふてくされて漫画を読んでいた。ぽつぽつと休み時間ごとに人が抜けていって、いいなあ、前期で受かったんやと羨ましかった。

 

やっと、終わった。

 

試験後、とぼとぼ帰途につき、最寄駅に着いたら、原付が撤去されていた。踏んだり蹴ったりやなと思いつつ、余計へこんで家に帰ったら、おかんはいなかった。ダイニングテーブルの上に、速達で来た合格者の番号が載った紙が置いてあり、へいへい落ちてますよねと思いつつ見たら、赤でマルがついてあり、僕の番号であった。

 

一瞬の間をおいて、絶叫した。

 

数学は部分点をかなりくれたのだろう。漸く終わった。本当にしんどいのはここからなんだけれども、その時は脱線しまくっていたレールに戻ってこれたと安堵の気持ちでいっぱいであった。数日はおかんと二人おかしなテンションであった。

 

おやじは、おめでとうと言いつつ、今から医者になってもいいことないぞと、受ける前に言えよということを合格した後に言った(結婚した後、いやあ、こいつが医学部受けるって言った時は、今からなってもいいことないぞって忠告したんですよと、嫁に言いやがったので、うそつけ、受かってから言うたわい、なんちゅうこと言うねんと思ったわと若干きれてしまった)。

 

サンデー毎日は、今でも合格発表時期に高校別の大学合格者数を載せているが、当時は緩い時代であったので、大学によっては合格者の名前が載っていた。かなり遅れて受けているのに、僕の名前もちゃんと載っていて、それを見た高校の同級生から電話がかかってきた。

 

あれか、手のひらに回転機能ついてるんか

 

昔は散々バカにされたが、皆手の平は180度回転していた(笑。僕と親(おかんだけかな)以外、誰も受かると思っていなかったので、 しゃあないのだが。

 

高校に報告に行き、受かりましたといったら、先生は、おお××大学かと後期の大学の名前を出した。まだ、後期の試験すら始まっていなかったが、先生の中では前期は落ちたものとして処理されていたのだろう。

 

後期の試験は受けなくてもよくなったが、合格祝いとして旅行して来いと親に言われた。そのつもりだったが、入学手続きが重なったので断念した。

 

こうして文系で落ちた大学にリベンジし入学した。

 

今日はここまで。