生きよ 堕ちよ

高校留年~プータロー~文系大学~再受験し医師~内視鏡に魅せられ消化器内科へ

越えてはいけない境界がみえないゆえの残酷さ

今日は土曜日だが、病院が開いているので勤務あり。前病院でも土日のどちらかは行くようにしていたが、ある程度好きな時間に行けたので、さほど苦にはならなかった。

前病院は労基が入り、残業代の不払い分を2年分支払ってくれた(もらうべきものだが、まとまってもらうとうれしかった)が、大学病院は残業は全く管理しておらず、1秒たりともつかない。その分給料は安いのにも関わらず、バイトも制限されている。

‥バイトを制限するなら残業代つけるべきでは? この働き方改革のご時世に真っ向から逆らっているが、大学病院とはどこもこういうものなのだろう。

若いころは残業代関係なく病院にいたが、今は少しでも早く帰って子供たちと触れ合いたい。残業代が付かないとなるとなおさらだ。しかし、今日は同門会に参加する必要があり、仕事が終わっても帰ることができなかった。

同門会といっても参加率は非常に悪く、僕も今年赴任したから参加するように言われただけ(別の科の新人は来てなかったが)だ。感想はあえて書かないが、来年以降僕が参加することはないだろう。

そもそも同門ではないし。前病院の関連大学や今勤務している大学には同窓会費や同門会費を払っていた or いるが、母校にはびた一文払っていない。こんな僕を入学させてくれて、医師免許を取らせてくれたのに申し訳ないと思いつつ、毎年実家に届いている払い込み用紙は見て見ぬふりをしている(笑。

 

話は変わるが、僕の顔には水疱瘡の跡が残っている。おっさんになって目立たなくなって来たが、若いころはそれなりに目立っていた。物心つく前に罹患してしまい、掻くことを抑えられなかったためだ。

中学の時は、同級生にドリルであけたようだということで、ドリ穴というあだ名をつけられた。小中学生というのは残酷なもので、踏み込んでいい領域といけない領域の境界がよく分かっておらず、平気でそこを超えてくる。

僕自身も他人に対し、その境界を超えたことはあると思われる(と言っても具体的にどこで超えたかはよくわからない。逆に僕にドリ穴といったものもそんなことは忘れてしまっているだろう)ので、まあしゃあないなと思うが、あの中学はくそだ(笑。大学と違って学校愛を全く持つことができず(ダブった高校の方が好き)、いまだにあそこに行ったのは失敗だったと思っている。

 

前置きが長くなったが、勤務先で種々のウィルスの抗体を調べた結果が返ってきた。ワクチンは学生のころや前病院で打ったはずだが、いくつかのウィルスで追加接種が必要だった。ドリ穴を思い出したのは、この結果を見てであって、さすがに水痘の抗体は陽性であった。麻疹(はしか)は陽性だが、低値であり1回接種が必要、ムンプス(おたふく)は陰性であり、これも1回接種が必要。風疹とB肝は不要であった。

おたふくは小学校低学年のころ、よりによって旅行前に発症したが、親は旅行を強行し、美味しそうなご飯を全く食べられなかった記憶は今でもおぼろげにある(鬼やなと思うけど、僕も旅行前に子供らが熱出したら悩みそう)。それなのに、抗体が陰性なのはちとせつない。はしかや風疹は罹患したことなし。その他クオンティフェロン(結核の検査)も調べられていたが、これは陰性であった。

ワクチン接種に来るように書いてあるが、はしかのワクチンは入手困難なため、しばらく打てないと書いてある。医師のくせに何を言っているんだと思われるだろうが、はしかって罹患すると大変らしい。残念ながら、はしかに罹患した人を診たことがない(ERでは診ているかもしれないが)。コプリック斑とか見てわかるのだろうか?

 

今日の体重は76.6㎏