日曜日は日当直バイト。大阪はオミクロンがかなり増えているし、職場でもオミクロン感染者がちらほらでているが、この病院には一人もいなかった。
普段より受診希望の問い合わせが多かったが、専門外の外傷などは断った。情けなかったのは、専門ど真ん中である消化管出血患者を、病院として緊急内視鏡ができる体制にないため、断らないといけなかったことだ。本領発揮できる場であるのに‥。
12時過ぎにベッドに入り、寝ていたら電話が鳴った。
「‥はい、OOです。」
「DNAR(心肺蘇生しない)の患者が亡くなられたのですが、家族が30分後くらいに来ますので、そしたら死亡確認に来てください。」
「‥今じゃないんですね。」
「そうです。」
時計を見たら4時半だった。結局家族が来て、死亡確認をしたのは5時45分だった。勿論その間眠れず。‥家族が来てからの電話ではだめなのだろうか。
テレビをつけると、阪神大震災についての番組をやっていた。もう27年も経つのか。当時大阪にいたが、ミキサーでかき回されているような揺れで、部屋の本はほぼ全部落ちた。震災数日後、当時通っていた関学に向かった時、阪急今津線の上に新幹線の線路が落ちていたのは忘れられない。が、家もつぶれなかったし、僕なんか全然ましな方だ。
合掌。
上記電話で起こされた後、携帯をみたら大学の同じチームの先生から、金曜日に止血した患者が再出血しているようだとラインが入っていた。十二指腸憩室出血の患者で、止血しやすいように直視鏡から側視鏡(光源がX1であるため、JF260がつながらず、TJF290がでてきた。TJFはJFより太いが、止血に太さは必要ない)に変えたが、挿入に難渋した。TJFの太さもあるだろうが、やはり腕が落ちている気がする。
最初に見た時は結構出血していたが、TJFに変えた後、自然止血してしまっていた。怪しいところにクリップをかけたが、胆管の走行がよくわからず、必要最低限にした。それが仇となり再出血したと考えられた。
今日は有給を取っていたが、当直明けに大学病院により、緊急内視鏡を行った。金曜日の部屋と違って、260シリーズがつながるX1であったが、なぜかまたTJFが用意されていたw これは直視鏡でなんとかせねばと思い、やや難渋したがクリップを追加して止血を行った。
もう出血しませんように。また出るようならIVRだな。
止血後、急いで帰宅し、妻と受験で学校が休みになっていた子供とウルフギャングで食事をした。今日は長女の誕生日でもあるので、百貨店でケーキを買い、ジョンストンズのカシミヤマフラーがセールで安く売っていたので購入した。
これでこの日当直バイトも後2回だ。