生きよ 堕ちよ

高校留年~プータロー~文系大学~再受験し医師~内視鏡に魅せられ消化器内科へ

異動することになりました

今日は当直。一人入院させたが、最初からベッドが満床に近い状態でERで朝まで待機の可能性も打診された。幸い救急病棟に入ることができたが。

 

昨年秋頃に異動を打診された。異動先は以前勤務していた病院で、治療手技の統括者がいなくなったため、その役割を担ってほしいということで僕が指名された(以前勤務していた病院には、人手が足りない時に当院の医師がローテートで回っていた)。

その話自体はありがたい話だが、色々思うところがあり(あまり一緒に働きたくない人がいるのと、これまで2つの病院でしか働いたことがなく、もう少し色んな病院を見てみたい(というか、アルバイトがしたい)などなど)、返事は保留していた。

今働いている病院は超急性期の病院で10年以上いることもあり、いても後2~3年かなと思っていたので、いいきっかけになったと思い、言われた病院に異動するかどうかは置いといて、ここは辞めようと思った。それは異動先の部長、当院の部長いずれにも伝えた。

 

異動先の病院の部長からは何回か電話がかかってきて勧誘され、院長からも電話や手紙で勧誘され、とうとう今週、当院にまで来られて面談をした。大変ユニークな先生で、1時間くらい話したが、僕が話したのは数分でほとんど傾聴していた(面白かったけど)。当院の部長は、とりあえず行って嫌だったら言ってくれ、そうすればローテートにしてもらうようにするからと言っているが、正直信用できないし、当院に戻ってきたいわけではない(そのつもりならこの話をけっとばして、もっとごねる)。

 

昨年3つほど業者に頼んで、色々病院を探してもらっているが、なかなかいい病院というのはない。近隣の病院も多く提示されたが、評判を知っている病院が多く、そして大体はそれはいい方向のベクトルではなく、その逆のことが多いので、年収が高かったりしても、ちょっと行く気にはなれなかった。

そのため少し遠方の病院2つに面談に行ったが、いずれも院長や理事長やらえらい先生が出てきた。僕自身は、学生や研修医の頃の見学をイメージしていたので(せいぜいその科のトップがちょっと出てくるくらいで、ほとんどは若手の先生に案内された)面喰った。現場の話を聞きたかったが、1つは聞けたが、1つではえらい先生がずっといたため、あまり聞けなかった。

いずれも異動先と同規模の病院で一長一短あり、正直悩ましい。明日当直明けだが、もう一つ面談に行く予定。

 

僕が異動するというのは公にはしていなかったが、外来後に僕が部長とそのことについて電話で話しているのをクラークさんに聞かれていてすっかりばれていた(僕のこういうところは本当に間抜けだなと思う)。

僕自身は熱い人間ではなく、頼られてきたら面倒は見るが、積極的に介入していくタイプではない。昔こじらせたコミュ障も引きずってるし、正直な話、同僚からはまあ、別にいなくてもいいんじゃないのと思われていると思っていたが、結構皆悲しんでくれて、反対の署名をするなどと言ってくれて意外だった。

他の同時期に辞める専攻医たちの送別会に僕は入れなくていいし(その日は休暇を取る予定)、僕自身の送別会はいらないと言ったが(これは以前からそう思っていた。「そういや、あいつみいひんな。」「ああ、辞めましたよ。」「あっ、そっか。」というふうにフェードアウトしたいと常々思っていた)、皆がうちうちでやってくれることになった。わざわざ申し訳ないから王将でいいんだけどと言っておいた。

 

年賀状で過去の同僚に今年で辞めることになったと書いたら、一人の後輩がこんなメールをくれた。かなり嬉しかったので引用する。

 

「OO先生は内視鏡がすごく上手くていつも検査をたくさんこなしてくれていましたし、後輩の内視鏡処置の指導も根気よく付き合ってくださりましたし、学会発表でも優秀賞を取れるくらい丁寧に見て頂きました。

英語論文を書くということを教わったのもOO先生からでしたし、他のスタッフの先生方が論文を書かない中でいっぱい論文を書いていてすごいなと思っていました。

大袈裟ではなく、僕にとってのOO病院での最大の師匠はOO先生でした。

他の誰よりもOO病院の消化器内科に貢献してきた逸材である先生が辞めるのは、病院にとってマイナスでしかないと思います!!」

 

これを書いてくれた後輩こそ、京大出で優秀であり、かつ素晴らしい人柄をしており、いつ何時も怒ることなく、にこにこして黙々と働いていた。

僕は確かに手技は色々こなせるかもしれないが、自分が大した医者でないのはわかっている。最近はあまり勉強もしていないし、仕事も手早く終わらせていることが多い。

内視鏡処置の指導は確かに粘り強く見るが、それは自分が速く取り上げられて悔しい思いをしたのと、正直取り上げるタイミングがよくわかっていないという二つの面がある。

学会発表で指導した後輩たちが賞を多くとってくれたのは、素材がよかったのと後輩たちが優秀だったからだ。1人はほぼ僕が作ったものを出したから、その1人だけは僕のおかげだが(笑。

でもこう言ってもらえて、この病院でしんどいことや辛いこともたくさんあったけれども、踏ん張ってきてよかったと思えた。

 

まだ行先は決まっていないが、今のところ医師免許さえあれば家族5人何とか食べていくことは可能であるため、ゆっくり考えよう。

‥明日の面談次第だが、どうも異動先に打診された病院にとりあえず行って、ゆっくりと次の病院を探すことになりそうな感じがする。