生きよ 堕ちよ

高校留年~プータロー~文系大学~再受験し医師~内視鏡に魅せられ消化器内科へ

書きたくなかった内容

このブログを始めたのは、こんなバカでも医者になれるんだと勉強のモチベーションとしてもらうことと、その時の僕が何を考えていたかを暇になった後、ゆっくり振り返ろうというのが主な理由だ。

それゆえに書くが、7月11日におかんが亡くなった。

朝3時過ぎに携帯がなっているのに妻が気付いた。電話に出るとおやじであり、おかんが病院に搬送されたので来て欲しいと言われていると。それ以外状況は全く分からず。電話を切って着信を見ると、2時過ぎにおかんからも着信が3回あった。

すぐに車に飛び乗り病院へ。大したことない、大したことないと言い聞かせていたが、受付で名前しかわかっていないので情報を書いてくれと言われた時点で察した。冷静なつもりであったが、おかんの生年月日を書き間違えていたし、実家の電話番号が出てこなかった。

しばらく待ってDr.から説明があった。苦しいと119番通報したが、ドアが開いておらず、救急隊が何とかして入ったと(後でわかったが隣家のベランダ越しに入ったらしい)。到着時には心肺停止状態であり、蘇生行為を行ったが蘇生しなかった。

自分の経験からもこのような状況での蘇生率が絶望的であることはわかっていた。この状況では死亡診断書は書けず、死体検案となり、事件性の有無を確認するため警察が介入する。警察に色々聞かれ、家探しをされた。

勿論事件性は無いため、死体検案がすみ、葬儀屋におかんを引き取ってもらった。派手なことが嫌いな人だったので、家族葬にした。また生前から海洋散骨を希望していたので、それは希望通りにする予定だ。

おかんの携帯を見ると、僕に3回電話をかけた後、119番通報していた。携帯を仕事中も持ち歩くため音を小さくしており、大学病院にうつって夜呼ばれる回数がぐっとへったので、寝る時も音を大きくしていなかった。いつもはちょっとした音で起きるのにその日は全く起きなかった。

救急隊が着いた時点で開錠されていなかったので、あっという間に心肺停止となったのだろう。医師としての僕を最後に頼ってくれたのに、それにこたえられなかったのが情けない。しかし、電話に出られていても結果的に救命できていないだろうから、それはそれで違う苦しみがあっただろう。

僕が一番に着いたので、本人確認をしたが、表情は思ったより穏やかだった。苦しんだ時間が短かったのであればいいのだけど。

医師だと伝えるとCTを見せてくれたが、肺は真っ白で、血管の石灰化(冠動脈も)が著明だった。肺は心肺蘇生の影響で死因はおそらく心筋梗塞か肺塞栓だろう。

喫煙者であったが、今年の4月に禁煙したと言っていた。妹曰く、しんどくて吸えなくなったのではないかと。2週間毎に電話していたが、そのたび元気だとは言っていた。強がっていたのだろう。辛抱強い人だった。

禁煙や健康診断を受けるように何度も言ったが、聞いてくれなかった。医療従事者にありがちな病院嫌いだ。

 

8日に2回目のCOVIDワクチンを打っていたが、少し発熱して倦怠感もあったらしい。しかし回復して、10日には買い物にも行っていたらしいので、因果関係は不明だ。

達観しているところがあり、もういつ死んでもいいとは言っていたが、まだ平均寿命には到達していない。ワクチンを受けるように言ったら、それは従ってくれたのでもう少し生きるつもりではあったのだろう。

本当に苦労を掛けたが、見捨てずにいてくれた。3人子供がいるが、それぞれ苦労を掛けている。現在進行形で迷惑をかけていたものもいるが、それでも一番苦労を掛けたのは僕だな。僕が医師になれたのはおかんのおかげだ。

数年前に長女が僕に「おとうさんとおかあさんの子供でよかった。次産まれてくる時もおとうさんとおかあさんの子に産まれたい。」と言って不覚にも涙がこぼれそうになったが、僕もおかんにそういいたかった。

‥夫はもうちょい選んだ方がいいかもしらんが、そうすると僕や妹が産まれないかw 

この1週間毎日実家に行って、もろもろの手続きをし、妹たちと色々話した。おかんが飼っていた猫はうちで飼うことにした。実家のマンションはおかんしか住んでいなかったが、子供らで受け継いで守っていくことにした。

きりがないのでこれくらいにする。おかん、ありがとう。またね。

合掌。