今日は業務の日だったが、ちょっと早めに抜け出して、研修医時の同期のクリニックへ。大学の健康診断で25年以上前に判明した横隔膜ヘルニアがまたひっかかった。
大阪の有名病院(K‥)で誤診され手術されかけたが、医学用語だらけの最低の病状説明と切ることが前提のスタンスに不信感を抱き、医学知識が全くないにも関わらず、手術前に僕はその病院に通院しなくなった。怖かったこともあるけど。
気管支鏡で組織をつまんできて脂肪腫と診断され、良性だが脂肪肉腫になると悪性なので切ると言われた。上記経緯で途中でドロップアウトしたが、医学部入学後母校で精査するように言われてMRIを取り、横隔膜ヘルニアと診断され経過観察となった。研修病院でも精査するように言われ、MRIを受けたが同じ診断だった。
初めて訪れたが、クリニックは綺麗だった。1年に1回の胸部X線写真でのフォローをという診断書を書いてもらった。全く知らないところへ行くと一から説明するのが面倒だし(実際医師の身分を隠して受けた人間ドックで胸部CTを受けたが、担当医が僕の説明に不信感丸出しだった)、大学病院は高い初診料を取られるので助かった。
今日は息子の私立中学受験があった。手ごたえに関しては???という感じだったが、まだ何日かあるので、踏ん張ってほしいところ。合間に甘いものを食べるようにとブラックサンダーをいくつか渡した。結果如何を問わず、ここで努力したことは無駄にならないはず。大学受験ではもっとしんどい思いをしないといけないので慣らしという意味でも。
今日は最後のセンター試験の日でもあった。団塊ジュニア世代はいまだに受験をこじらせている者がいると先日読んだしくじり世代にも書いてあったが、自業自得とはいえ人より苦労した分、僕も例外ではなくセンター試験と聞くと気になってしまう。
ここではセンターの点数を覚えていないかのように書いたが、実ははっきりと覚えている(笑。なんか、恥ずかしいのでぼかした。最初の一年だけ616か617かどっちかだったなあと思うが、2回目、3回目はきっちり覚えている。同じくらい重要であるはずの医師国試はすっかり忘れたが。
センター試験にかわる思考力や判断力を問う試験をとのことらしいが、それが大迷走しているのは周知の事実だ。民間英語試験を導入することや、記述を導入だけすることが思考力や判断力を問うことになるとは到底思えない。
思考力や判断力を問う大規模試験を仮に導入することができて、そこで落ちこぼれてしまったものはどうなるのだろうか? 今より落伍者感が強くなるのではないだろうか?
お勉強はできるけど、頭は悪いという言い回しで暗記しかできないことを揶揄する表現を時々見る。それは暗記すらできない、その努力をしない人間の僻みなこともあるが、真をついていることもある。しかし、思考力や判断力がないと判断されてしまうと、より劣等感を植え付けはしないだろうか?
思考力や判断力を養う教育を学校がしているかと言われれば、それは正直疑問だ。小中高で行われているとは思えない。そのくせ、試験ではそれを問うというのは本末転倒ではないだろうか? 大学はどうか? 経済学部は教養しか通ってないのでなんともいえないが、医学部に関していえば暗記、暗記、暗記だ。
教養の間は多少授業選択の余地はあった(といっても他学部のように自分で好きな授業を選ぶのではなく、複数ある候補から選ぶ形式だった)が、専門にあがってからは週どころか、日で時間割がきまっており、確か3年か4年だったと思うが、1月2日から学校が始まった(春の海を駅で聞きながら学校に行った時は大学生やのになんでやねんと憤ったのを覚えている)。そして延々知識を詰め込んだ。
僕は医学部の暗記教育が間違っているとは思わない。医学を飛躍的に発展させるには暗記だけでは対応できないだろうが、それは一部のスーパーマンに任せておけばよい。臨床には豊富な医学知識があればそれだけで通常の医師にはなれる。患者の症状から診断をつけるには知識の裏付けが必要だ。大多数の医師はスーパーマンである必要はない。
暗記で対応可能なこれまでの受験勝者たちが、自己否定かのような試験変更を推進するのは正直滑稽だし、それも信念に基づくのではなく試験変更自体が目的となってしまっているのは、年度末の道路をほじくり返すだけの工事と同程度に無意味だ。
現制度継続でいいではないか。問題あるっていうんやったら、まず教育を変えなはれ、教育を。思考力や判断力を養うのってどうすればいいの? 僕も教えてほしいわ。
今日の体重は79.2㎏。長女の誕生日のケーキを今日食べた。今月3個目。