生きよ 堕ちよ

高校留年~プータロー~文系大学~再受験し医師~内視鏡に魅せられ消化器内科へ

大雨と麻原死刑執行のニュースを見てカオスだった95年を思い出した

只今当直中。大雨の影響か、ERを受診する人は少ないようで、コンサルトも多くは無い。しかし、それでも来る人は本物が多く、急性膵炎の転送を一人入院させた。重症ではあったが、ICU管理をするほどではなく、救急病棟に入れた。

 

雨がどえらいことになっている。記録的な大雨らしい。このあたりでも電車は多く止まっており、車も大渋滞していたとのこと。交通マヒの影響で研究会も続々中止となっている。

家があるところは土砂災害警戒区域からは外れているが、警戒区域に挟まれてさながら三角州のようになっている。外れている区域の方が狭く、なぜ家が外れているのかよくわからず、本当に信じていいのかどうか不安になる。近くの川は荒れ狂っているし。

 

麻原彰晃をはじめオウム真理教関係者が7人一気に死刑を執行された。海外からは批判の声も上がっているらしい。MSNの記事に「EUは死刑を『基本的人権の侵害』と位置づける」とあった。EU参加の条件に死刑廃止があるらしい。

こういう発言を聞くと、殺人こそ基本的人権の侵害であり、その基本的人権を奪ったものの人権を守らないといけないのだろうか?と思ってしまう。感情論なのはわかっているが。

そもそも少数の例外(闇サイト殺人事件や奈良小1女児殺人事件)を除いて、一人殺しただけでは死刑にならない。一人の基本的人権を奪ってもだ。

 

「基準の内容として、(1)犯罪の性質、(2)動機、計画性など、(3)犯行様態、執拗(しつよう)さ・残虐性など、(4)結果の重大さ、特に殺害被害者数、(5)遺族の被害感情、(6)社会的影響、(7)犯人の年齢、犯行時に未成年など、(8)前科、(9)犯行後の情状の9項目を挙げ、これらを考慮し、刑事責任が極めて重大で、犯罪予防などの観点からやむを得ない場合には、死刑の選択も許されるとした。」

これは死刑を決定する永山基準というものらしいが、もちろん一人の命を奪うのだから慎重に慎重を期するべきではあると思う。しかし、日本の無期懲役が絶対的無期刑ではなく、相対的無期刑である以上、死刑をなくすべきではないと思う。

 

地下鉄サリンが起こった95年は、1月に阪神大震災もあり、カオスな年だった。僕自身関学を辞めて再受験をしていたが、自分自身がぶれぶれであり、その結果大学にも落ち、ダークサイドに堕ちていたころだった。そのころ日記を書いていたが、自分の薄汚い部分をギュッと濃縮して吐き出しており、正直見るに堪えない。捨てるに捨てられず置いているが、暇になったら後1回読んで捨てようかなと思っている。

地下鉄サリン、麻原逮捕のころは何をする気力もなく、ワイドショーをずっと見ていたのを覚えている。阪神大震災は近くにいたため、ある程度実感できたが、地下鉄サリンオウム真理教は遠く、またあまりの出来ごとに現実としてとらえることが難しかった。

もちろん絶対に許されない犯罪であるが、自分自身がオウム真理教に近づいたとして、オウム真理教に取りこまれず、洗脳もされないと強く言いきる自信は無い。実際、麻原の化けの皮を剥がすといってオウムに近づき、ミイラ取りがミイラになったものもいたらしい。今回死刑となった者の顔を見ても、正直こんな大それたことをするようには見えない。早川死刑囚の手紙に、良心を覚醒させ、拒否すべきであったができなかったとあったらしいが、そこの謎は残る。

 

AM7時前に部長が来て、金曜日の日勤帯に入院し、主治医が決まっていない患者を、これは消化器じゃないから該当科に転科させろと怒っていた。

‥僕が入院させたわけでもないし、引き継ぎも受けていないのに。しかも転科って僕がやっていいの? 部長の仕事なんじゃないの? 仕方ないから該当科の先生と相談しよう。

 

昨日は体重を計れていないが、木曜日は74.9kgと1年ぶりに74kgになった。この時期は暑いため体重も減りやすい。

只今AM7時20分。これ以上何もなく終わりますように。