生きよ 堕ちよ

高校留年~プータロー~文系大学~再受験し医師~内視鏡に魅せられ消化器内科へ

妻は髪を切るのが上手だったらしい

ここ10年以上、妻に髪を切ってもらっている。散髪屋で髪を切ってもらっている時間が無為に思えて耐えられないからだ。常に有意義な時間を過ごしているわけではないくせにw

妻の寝る時間がどんどん早くなっていて、最近は8時過ぎに寝ているw そのため自分で切ってみようと思いやってみたら、失敗してもみあげが無くなったw バリカンのバッテリーも切れたので、その日は中断した。

写真を撮ってみたら思ったほどじゃないなと思い、バリカンを充電し、別日にトライした。

 

‥やりすぎたw バリカン切れすぎやろwww 息子が妻に散髪を失敗されて、学校に行かないと騒いでいた(全然問題ないレベルで、翌日散髪屋に行き、リカバーされていた)が、僕も仕事に行きたくなくなったw 

子供らはハゲハーゲと爆笑していたが、子供らに笑ってはだめよと言いながら、妻が一番大爆笑していたw 僕の不幸が大好物なのは昔からwww ちなみに左も失敗しているが、これよりはだいぶまし。

髪で隠れるが、油断すると出てくるので、ハードスプレーを買ってきて固めている。耳の調子は悪いわ、PCの液晶は割れるわで、最近ろくなことがないw

 

www.tokyo-np.co.jp

抜粋。

『2022年に千葉県成田市成田赤十字病院で受けた手術で、誤って人工肛門ストーマ)を大腸ではなく胃に造設されて精神的苦痛を受けたとして、患者だった70代女性の家族が病院を運営する日本赤十字社(東京都)に計600万円の損害賠償を求めて東京地裁に提訴したことが1日、関係者への取材で分かった。』

これはひどいな。手術や手技の偶発症の可能性を0にすることはできないし、医療ミスと偶発症の境界が曖昧なことはあるが、これは紛れもない医療ミスとしか言いようがない。ストマやから閉鎖は簡単やし、命には関わらないだろうけど、600万は安い気もする。

 

今週は1件ESD。胃角小彎の病変でそんなに難しくないが、前回穿孔させたので慎重に切った。15分で切除。家人が着いた時にはもう終わっており、病状説明の時にそういうと驚いていたw 経過良好。

 

今日の体重は78.7㎏。そろそろ本腰入れて減量しよう。

座右の銘はフレキシブルだが、年を取って硬くなってないか心配w

先日、息子と出かけている時に自転車と車の事故を目撃した。自転車の人は結構吹っ飛ばされていたが、幸いケガは軽いようだった。僕が警察を呼び、色々聞かれた(名前、住所、職業(学校)、携帯番号など。近くに事故の被害者いたし、個人情報だだ漏れw)。

正直、自転車も車もお互い様だが、命に関わるような事故でなくてよかった。

 

先日、バイトが終わって帰ろうと着替えていたらMEさんに呼ばれた。某医師がポリープ切除をするので監督してほしいとのこと。某医師は、僕と同年代だが医師としては6~7年目で色々問題がある。‥以前の勤務病院で師長さんと殴りあったらしいw

人格も問題あるが、それでも技術があればある程度許容されるのが医師の世界限度はあるけど。しかし、その技術が‥。そのためポリープ切除に毎回誰かが立ち会っているらしい。

‥恵まれてるなあ。僕は3年目から一人でやらされてたわ。これはこれで問題やけどw というか、後期研修が終わって、コールドポリペクトミーを見守りでやっている医師を彼以外知らない。

すでにブーツ(買ったばかり)を履いていたが(ロッカーと着替えるところが離れているので服は内視鏡着w)、見るだけならと思ってそのまま行ったら、スコープは安定しないし、コールドポリペクトミーなのにスネアをかけ損ねて血まみれだし、スネアリング途中で画面をフリーズさせて写真を撮ろうとするしで見ていられず、途中何度か取り上げて僕にしては丁寧に説明しながら、見本を見せた。ブーツに汁が飛びませんようにと祈ったが、幸いそれは大丈夫だったw 

経験数が圧倒的に足りない上に、学ぼうという謙虚さが彼には皆無だ。上部と違って、下部の内視鏡はセンスが問われるが(最近の若い先生は上手い)、ある程度までは数をこなすことでカバーできる。僕も若手の頃は貪欲にやったし、まだ大腸内視鏡は上達している。が、今年のバイト先の内視鏡件数を見ると、彼の大腸内視鏡の件数は週に1回しか行っていない僕よりも少なかった。ちなみに僕の件数は3位だったw

50になって新しいことを覚えるのはしんどい。しかしFPの勉強をして思ったのは、若い頃よりスピードや効率は落ちるが、この年になっても学ぶことは可能だということ。ましてや、医学に関してはこれまでやってきた下地があるのだから、入ってきやすいはず(僕はいいなと思ったら、新しいデバイスや治療法は積極的に試している)。

大学病院には学年は上だが年下の先生が多い中、彼をきつく指導する先生もいたが、馬耳東風w ‥もう変われないかな。注意してくれる人がいるってのは恵まれていることなんだけどな。

 

今日の体重は78.5㎏。横ばい。

自治体や大学の気持ちもわかる

息子の誕生日プレゼントとして、SAMBA DECONの抽選にダメもとで申し込んだら当たった。先日届いたが、写真よりかっこよくて僕が履きたくなったw 

学校に履いていったら、先生や友達にかっこいいスニーカー履いてるなとかサンバやんと言われたらしい。お父さんに買ってもらったと言ったか?と冗談で言ったら、ほんまに言ったらしいw 

‥なんか恥ずw

 

news.yahoo.co.jp

抜粋。

受験シーズンまっただ中。そんなタイミングで山梨県にキャンパスを構える昭和大学医学部に関する“受験問題”が話題になっている。同大学の医学部にも設けられた山梨県の“地域枠”の出願者に、誓約書を書かせたというのだが――。

現在SNSで拡散されている、医学部出願の際に必要となる誓約書とは、いったいどんな内容なのか。

《①入学試験に合格した場合は入学することを確約し、山梨県医師修学資金貸与制度(第二種)を利用するための契約を山梨県と締結します》

《②医師免許取得後 15 年間のうち 9 年間を山梨県知事が指定する山梨県内の医療機関の特定診療科(内科、外科、脳神経外科、整形外科、救急科、総合診療、小児科、産婦人科、麻酔科)において診療に従事します》

《③医師免許取得後、死亡又は重大な心身の故障等により医業に携わることができない場合を除き、結婚、介護、子育て、家業の継承等、多くの者が経験する事情では就業義務が消えないことを理解しています》

《④違反した場合、出身高等学校に連絡が行く可能性があることを理解しています。》』

 

①~④は僕がつけた。僕が医学部に入ったころは地域枠はなかったので詳しいわけではないが、違和感があるのは②の後半だ。病院指定はともかく、科を制限するのはやり過ぎな気がする。人手不足が理由なのだろうが、それで正当化されるのだろうか。

希望科というのは変わりうる。研修医同期7人中、研修医になった時に希望していた科に進んだのは1人だけだ。僕は精神科を志望して医学部に入ったが、4回生の頃に神経内科に変わり、研修医中に消化器内科に変わったw 途中、整形外科や循環器内科がいいなと思ったこともある。

③も厳しい気がするが、学力的、経済的に一般入試では厳しい者が、医師免許取得のためだけにこの制度を利用して、いざ免許取得後にやっぱ都会に行きますってのは大学や自治体からすればたまったものではないというのはよくわかるし、卑劣だと思う。

その地域の医療に貢献したい、地元で医療をしたいという志の者が想定された対象なのだろうが、そうでない者が多いため、このような厳しい制約が出来たのだろう。

何が言いたいのかよくわからなくなってきたw 奴隷契約とまでは思わないが、科の制限だけは取っ払った方がいい。他は従えなければ、制限のない入試方式を選ぶべきだ。

 

今日の体重は78.2㎏。なかなか減らない。

 

めでたく馘になりました

今週、大学病院の医局長から電話がかかってきて、4月から来なくていい、馘だと言われたw 

‥ちょっと脚色したけど4月までなのは本当で、大学病院の非常勤は年数的に今年度がリミットで制度的に無理らしい。どうやって断ろうかと思っていたが、杞憂だったw

バイトはどうする?自分で探す?と言われたので、そうしますと言ったら、医局から表だって斡旋はできないが、今のバイトを続けてもらうことはできるよと言われた教授は医局員でない者はダメと言っているらしいので内緒でw バイト先の先生が是非そのまま来て欲しいと言っているとのこと。文句ひとつ言わずに検査を半分以上黙々こなしているから、便利なのだろうw

本当は午前のバイトがいいのだが、上部より下部の方が好きだというジレンマもあるw 午前に大腸内視鏡をやっている病院もあるが、多数派ではない。ま、半日休めるし午後でもいっか。

大学病院に行った時に上記の話を直接され、非常勤には年数の縛りがあるのである助手さんは半年休んで復帰したと医局長に言われた。

‥復帰を前提としたバイト斡旋? それは穿ち過ぎかw 復帰しろと言われれば、バイトも辞めればいいし。

 

長男がアメリカ旅行、長女がスキー旅行に出かけていたので、日曜日に妻と次女の3人でトルコ料理を食べに行った。

どれもとても美味しかった。レンズ豆のスープもでたが、個人的にはスープの中でもかなり上位に来ると思う。世界3大‥には、ぱちくさいのもあるが、トルコ料理が世界3大料理に入るのは納得だ。

息子がアメリカに行きたいと思わないと言っていたが、中高で色々海外に行けるのは貴重で、ありがたみが全く分かっていないw 息子はすでにシンガポール、マレーシア、ベトナムアメリカ、カナダに学校から行っている(希望すればヨーロッパ研修もある。行っていいよと言ったが、本人が希望せず)。

僕の高2の修学旅行はフェリーで大阪⇒鹿児島に行ってテニスだw ‥なにこれ。私立高校なのにしょぼw 今は知らないが僕らが在学していた頃は教師の給料が大阪で一番高かったらしい。府でトップじゃない自称進レベルのくせにw 使うところが違うやろ。

 

これまでも行ったら行ったで楽しんでおり、今回も楽しかったとのこと。長女も楽しかったと言っていた。

息子が買ってきてくれたお土産。右は粉のコーヒーだが、意外と美味しかった。

アメリカの物価はえぐかったようで、寿司と天ぷらうどんで5000円とられたらしい。

‥チープw 日本なら1000円でも高い。しかし短期の旅行でなんでくっそ高い寿司とうどん? 意外と美味しかったと言っていたがw

 

今週は十二指腸腫瘍に対し、underwater EMRを行った。小さいうちなら余裕っすよと患者さんには言っていたが、下行部の上十二指腸角に近い位置にあってスコープがずるずる抜けてしまい難渋した。少し汗を書いたが無事切除でき、経過良好。

 

今日の体重は78.3㎏。太りやすい体質にうんざりする。

悲喜こもごも

日曜日にFP2級の試験を受けてきた。平日より朝早く病院に行き、回診してから試験会場へ。会場は某私立大学。

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この大学を受験したことはないが、上記記事の初国立大入試会場がここだった。30年ぶりに入ったが、懐かしい気持ちになった。

高校みたいな教室の一番前に座らされ試験開始。午前中は学科試験。ん?ん? ‥なんか難しいぞ。一周目はわかる問題だけを埋めていったが、6~7割しか埋まらず。

考えてもわからないものはわからないので、4択やし適当に書いても25%はあたるやろ、いや選択肢を絞り込めているものもあるから、もっと確率は高くなると割り切った。が、それでも煮え切らず、途中退室する人が多い中、時間をフルに使ったw

終了後、歩いていたら友人同士で解答を言い合っているのが耳に入ってきて、自分の間違いが判明したがGDPデフレーターってなんやねん、この会場での大学受験の時も同じことがあり、へこんだのを思い出した。

‥そしてその試験は落ちた。悪循環は避けたいw

昼食を取りながら気になる問題を確認したら、悉く間違えていて、精神的にきつくなり途中でやめた。センター試験は毎回1日目と2日目の間に自己採点して、良くても悪くてもあまり気にせず、すべて採点していたが、脆弱になったw

午後は実技。そこまで難しくなかったが、時間がぎりぎりだった。家に帰って自己採点してみると、落ちたかもと思った学科は47/60と意外とできていた。実技は、一時所得の特別控除を忘れるというケアレスミスがあったが、自己採点できるサイトでは100点中88点だった。

相対評価ではなく、絶対評価で60%取れれば合格するので、マークミスや字が読めない(何年振りかに丁寧に字を書いたw)ということが無い限り、受かっただろう。

いい思い出のない会場だったが、30年ぶりにリベンジ?できそうだw

 

大学受験からすべて独学だし、性格上独学が向いていると思うので、苦にならなかったが、若いころと違い、記憶力 & 気力の衰えとの戦いだったw 

今回も学科試験で贈与税配偶者控除の婚姻歴20年以上という基本的事項を度忘れして、ちょっとパニックになったw 最終的には思い出したが、1月1日時点でというひっかけだったので、忘れてた方が正解できたという皮肉な結果となったw 

特に気力の衰えはひどく、ながら勉強にも関わらず、1時間を超えると嫌になった。働きながらの勉強はきついが、唯一の休みの日曜日に勉強するのはもっと嫌だったw 

‥でも受かってよかった(正確にはまだやけど)。

 

今週は今年初のESD。体中部大彎、体下部大彎の2病変。体中部大彎の病変は水没するし、線維化があって浮きが悪くかなり難渋。糸付きクリップで引っ張ったら、筋層もせりあがったようでいつの間にか小穿孔あり。体動もあったため、スネアリングで切除。その後、状態は落ち着いたのでもう一病変も切除した。翌日熱発したが、穿孔部は閉鎖できており、パス通り経過している。

‥この病院に来てから初の穿孔だが、どこか気が緩んでいるのは自覚していた。もう一度気を引き締めていかねば。

 

今日の体重は77.5㎏。正月太りが解消されない。朝のプロテインを目玉焼き+スパムのバッタもんにしたのが悪いのだろうかw

 

ちょっと大人になったが、夜中の電話は辛いw

先日のヒアリングで、救急部もなく、つかいものにならないしょぼい超音波内視鏡しかない当院ではERCPは増えないという趣旨のことを言ったが、今週は3件ERCPがあった(4件の予定だったが、1件減った)。普段は月に数件だが、珍しいこともあるもんだ。

メイン術者となった1例は悪性胆道狭窄でdeep cannulation、EST、ブラシ、ERBDまで10分ちょいで終わらせた。大学病院の3年間では年に数回しか行わなかったが、なんとか腕は保てているようだ。当院の側視鏡は鉗子挙上装置がバカになっていて、多用する僕は辛いところだが、この少ない件数では更新は後回しだなw

 

久しぶりに香ばしい患者が入院してきて、イラつきを通り越してわらけてきた。詳細を書きたいが、さすがの仮免医師でも守秘義務があるので書けない部屋が気に入らないと文句言ってたところから始まり、わがまま言いたい放題w ちょっと書いてしまったが、もっと書きたいw

若いころの僕なら、かわさずに真っ向から受けて立って正論マンになり、多分喧嘩になっていただろうが、おっさんになってちょっと成長したのか、流しまくった‥心の中ではええ加減にせーよと思っていたがw

上記患者が入院した翌日の午前3時、携帯が鳴った。病院からだ。大腸ポリープ切除した人がいたので、出血した?とはっとしたが、上記患者が退院するとごねているが、帰ってもよいか?、また胃が痛いので胃薬を飲んでいいか?という電話だった。

‥入院日も退院するとごねていたが、結局いたので、別に帰ってもらってもいいけど多分帰りまへんで、胃薬は自由にどうぞと言った。

大人になり切れない僕はイライラして、5時過ぎまで眠れず。動悸もしたw 研修医の時の同期はまだ当直しているが、すごいと思う(僕より年上だし)。すぐ眠れるというのは医師として重要な資質だが、残念ながら僕には備わっていない。

次の日の朝、予想通り退院せず、しれっといたwww

 

また物欲にまけてSSENSEのセールに手を出してしまった。安くなっていたCarhartt WIPのパンツとOur legacyのネックレス。SSENSEは初めてだが、すぐに届いた。

WIPでないCarharttのダブルニーペインターパンツは愛用しているが、少し太めなため今回は細めのものを買った。ダブルニーはかっこいいが、太めの流行りは終わっておらず、おっさんが履くのは‥。スキニー履くよりはましかw

 

いよいよ、明日はFP2級のテストだ。医学部入試や医師国家試験と違って、人生を左右するわけでもないし、専門医試験と違って職業に直結もしないが、それなりに緊張している。1日1時間程度しか勉強してないが、多分受かるやろ。がんばろ。

 

今日の体重は76.9㎏

 

久々の同期との食事会

先週の土日に長女と妻が1泊2日で韓国に行っていたが、とても楽しかったらしい。キムチをお土産で買ってきてくれと小遣いを渡したが、日本と変わらなかったとのことで買ってきてもらえずw 

長女はチャックテイラーを安く購入出来たと喜んでいた。個人購入でも没収されることもあるという記事をネットで見て心配していたが、杞憂だったようだ。ノージョブフドウが食べていたカンジャンケジャンが激烈に美味そうだったので、僕も行きたい。

 

残された3人のうち、長男は妻の命令で共通テストの再現テストを受けさせられており高1なのにかわいそうに、僕は次女にせがまれてゲーセンへ。

午前中にさっと回診し、帰宅後向かった。クレーンゲームにいそしみ、ブラックサンダーとチョコを何個かとチョコボールを1箱ゲット。‥使った額を考えれば、何倍買えたんだろう。

その後、娘の希望でケーキを買って帰宅。車を洗っていたら、娘がでてきて、「ケーキの箱をあけたらケーキがつぶれた。」とわけのわからないことを言いだした。

‥なんで、ケーキの箱を開けるだけでこんなことになるのか、理解できないw

 

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今週の金曜日に上記ヒアリングがあった。ある程度言いたいことは言えたが、僕自身このヒアリングを何のためにやっているのかよくわかっていないので、主張するべきことがこれでいいのかなという隔靴掻痒な感もあった。院長は百戦錬磨であり、なんとなくはぐらかされてしまったw

‥こんなちっこい病院でもこんなことせなあかんのか。正直めんどくさい。

 

土曜日は研修医時の同期、後輩と食事会。いつものスペアリブの店だが、夜は店の場所が変わったので、行きやすくはなった。

チキンとサラダ。スペアリブの写真を撮り忘れる痛恨のミスを犯したw いつもと変わらず、とても美味しかった。COVIDの影響で数年ぶりの開催だったが、一瞬で研修医の頃に戻れる気がした。が、皆年を取っており、色々あったw

 

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調べてみたら2019年5月以来なので、4年以上あいていた。いつも僕ばかり食べているので、店の場所が近くなったこともあり、妻と子供も連れていくことになったw